2024/04/23 21:49

ぱど 倉橋氏 インタビュー

特集
仕事は、手段。目的でない。。
色んな人に出会えることがうれしい
訪問先:ぱどの倉橋社長
訪問者:アンナベル
feature_06
あのギネスブックにフリーペーパー発行部数NO1で載った
ぱどの社長
feature_08
アンナベル:
今日はお忙しいところありがとうございました。
まずは倉橋社長の幼少期のお話から順にお聞かせいただきたいと思います。
社長は小学生の頃の転校の経験が将来役に立ったということですが、どうしてでしょうか?)

倉橋社長:
転校のおかげで、色々な学校で、友達や先生の輪に入り込んでいくテクニックを学んだからです。
そういうテクニックを身に付けることで、社会に出ても必要なコミュニケーション能力を磨くことが出来たのです。

A
(倉橋社長は、学生時代は少々不真面目だったとお聞きしましたが本当ですか?)

K:
確かに高校時代はほとんど勉強をしませんでした。
当時は学生運動が真っ盛りだったのです。
通っていた学校は進学校だったのですが、受験勉強というものを押し付けられることに反抗していました。
しかし、3年生の時に、このままではまずいということになり、勉強を始めたのです。
そうは言っても勉強をしているところを見られたくないので、夕方くらいまでバスケなどをし、その後夜中の3時くらいまで勉強していました。

A:
(そして見事京都大学に合格。大学生活はいかがでしたか?)

K:
当時の大学は学生運動が盛んで、きちんと授業が受けられる体制ではなかったのです。
そのため、クラブ活動が中心の生活になりました。
当時ラリーに夢中になっていたので、自動車部に入って、車を走らせる毎日が続きました。
院に進んだのですが、やはり学問中心になることはなかったですね。

A:
(なるほど。
それでは、その後フリーペーパー事業を立ち上げることになった経緯を教えていただけますか?)

K:
大学院を出た後、荏原製作所という会社に就職し、アメリカに2年ほど駐在したのですが、そのときの経験が起業の原点です。
当時日本では70%以上の家庭が新聞を定期購読していたのですが、アメリカでは、クーポンがたくさんついている水曜日と土曜日にだけ買うという発想が強く、新聞は定期購読されるものではなかったのですね。
そのころアメリカで流行ったものが5年後か10年後に日本でも流行るという状態だったので、きっと近い将来日本でも同じようなことになるだろうと思ったのです。
これは2005年の話になってしまうのですが、広告費の市場が全体で5兆9,000億円で、そのうち新聞が1兆円、雑誌3,900億円、そしてチラシは4,700億円でした。
新聞の方が雑誌の市場よりも大きく、デザイン料を含めると、1兆円以上の市場があるのです。
もし新聞が無くなったら、この1兆円はどうなるのか。
当時チラシを配るインフラは新聞だけでしたが、もし新聞よりも低い価格で、もっと地域を限定化して広告を打てるインフラを作れたら、新聞の代替となれるのではないかと思ったのです。
そして、それはつまりフリーペーパーということです。
当時ITがどんどん進化していくだろうという考えを持っていたので、手作業ではなくパソコンをつかって編集作業が出来るようになるという見込みもありました。
つまり、フリーペーパーなどの製作も容易になるはずだという読みもあったわけです。

A:
(そういった経緯で1987年にフリーペーパー『ぱど』を創刊されたのですね。
当時ご苦労された点はどのようなものですか?)

K:
発行する地域を細分化して、いい媒体を作っているはずなのに、なかなか広告がとれない。
当時フリーペーパーはまだ珍しい存在で、なかなか信頼を得られなかったのです。
それは苦しかったですね。

A:
(日本企業の海外展開が近年目立ちますね。
御社もそのような計画がおありですか?)

K:
現在『ぱど』の発行部数は、全国で約1260万部で、ギネスにも認定されています。
"しかし現状に満足することなく、これからも発行地域を拡大し、部数を増やしていく予定なので、その過程で当然海外進出も検討していますよ。


A:
(『ぱど』にはどのような情報が掲載されているのですか?)

K:
発行地域に住んでいる人々が、普段の生活で行動する際に役立つものが多いですね。
地元のレストランや美容室の情報、そして求人情報など、生活圏の様々な情報を掲載しています。
家庭に配布をしているので、ターゲットとしては主婦がメインです。