国際紅白歌合戦で来日したインドネシアの学生が日本に留学中!!

国際紅白歌合戦で来日したインドネシア学生が日本に留学中!!
NAYAさんも参加した2023年の第11回国際紅白歌合戦
https://www.yokosojapan.net/article.php/20231127irws2023_event_ja
2023年の国際紅白歌合戦で大阪観光理事長賞を受賞した、現在日本に留学中のNAYAさん(インドネシア)にお話を聞いた。
日本に来るまでの経緯
国際紅白歌合戦のことを知ったのは4年の時で、卒業試験の準備が忙しく、最初は応募する気持ちはなかったが、先生たちや、両親の薦めもあり、挑戦することにした。
5歳より歌を習っていた彼女は、日本語の歌の意味をしっかりと勉強して、心を込めて、『FIRST LOVE』(宇多田ヒカル)を歌った。2度の選考を経て、見事、インドネシア代表として、日本の大会に参加することになった。大喜びで来日したが、街がきれいなこと、日本人の礼儀正しさなど、日本がとっても気にいって楽しい時間を過ごした。
帰国後、日本で働きたいと思ったが、介護や看護ではなく、NAYAさんの専攻は臨床検査だったので、日本行きは難しく、将来の進路を考えていた時に、日本の国際紅白歌合戦の出演のために、日本に招待してくれたハンディインターナショナル・ネットワークの春山社長と食事をする機会があった。
彼女の堂々とした歌声や、気遣いのある明るい性格が気に入っていた春山社長から、日本で働かないかとNAYAさんは誘われた。一度はあきらめていた日本で働くチャンスを得た、彼女は、両親の薦めもあり、日本行きを決意した。
しかし、日本語を勉強して、仕事で使えるレベルまで上達することが入社の条件になった。
早速、毎日2時間日本語のオンラインの授業を受けて日本語の勉強が始まった。その当時は、卒業試験も同時に準備していたのでとても忙しかったが何とか頑張って日本語の勉強を続けた。 少し無理がたたって、疲労で 1ヶ月間入院をしたこともあったが何とか目標であった、 N4(日本語能力試験(JLPT)の資格を取ることができた。
インドネシアの大学の卒業後、今度は、ECCの日本語会話を重視した、オンラインでの3か月の集中コースを毎日4時間半受けた。14人くらいの学生と一緒に、オンラインで勉強したが、会話クラスで、少しづつ会話能力もついてきた。そのコースで知り合ったインドネシアの学生に実際に会ったりしながら、励まし合って勉強を続けた。
そして、その集中コースを終えて、 2025年3月来日し、今は、ECC日本語学院・三ノ宮校に通っている。
日本の印象は? 生活には慣れたか?
日本の食べ物はとても好きだし、皆さん親切なので、日本の生活を楽しんでいる。ただ、時々、インドネシアの料理も食べたくなるので、母の送ったくれた、インドネシアの調味料を使って、インドネシア風?の料理を作ることもある。
大変なのは、やはり漢字の勉強。毎日、少しづつ、練習をしている。
あと、日本人は歩くのが早いなと感じた。電車も人もすべてが時間通りきっちりと動いているのは、
すごいことだと思った。
招来の夢は?
まずは、しっかりと日本語を勉強して、日本語、英語、インドネシア語を生かして、慣れない中、日本の病院や介護施設で働くインドネシア人や外国籍のスタッフのサポートをしたいと思う。インドネシアでの医療関連の大学や高等教育機関を卒業する者はたくさんいるが、国内で働く機会が充実しているとは言えないし、仕事の負担を考えると給与的にも恵まれている状況ではない。今後は、もっと日本で働きたいという人は増えると思うので、病院で働く外国人のスタッフを総合的にサポートして、彼女たちが安心して生活できるような環境を作っていきたい。
あと、子供のころから大好きで自分にチャンスを切り開いてくれた『歌』も、みんなを励ますためにも、仕事の合間に継続してやっていきたい。
とっても、明るく夢を語ってくれた、NAYAさん。介護や医療の現場でも、外国人スタッフが働く姿を見ることも珍しいことではなくなった。
人の命を預かる緊張感の高い、ストレスの多い職場だが、彼女たちはすでになくてはならない存在になっている。その人たちを支えるヤナさんのような人材もとっても貴重な存在。いつまでも、今まで通り、明るく、楽しく、たまには、現場スタッフを励ますためにも『歌』でみんなの生活に潤いを与えてほしい。
NAYAさんは、9月19日の第13回国際紅白歌合戦in大阪関西万博にも出演する予定。
(先生たちと一緒に)