2024/03/19 18:40

特集

認知症・自閉症は3ヶ月で例外なく改善します

特集

 

諦めるのはまだ早い!!
認知症・自閉症は3ヶ月で例外なく改善します!!

上海で市をあげて、取り組まれる「認知症改善プログラム」
 

認知症は改善する・政府も自立させた施設を厚遇

現状の介護の体制は大規模な介護施設が中心で、ひとり一人に十分なケアを行うことは現実的に困難だ。また、介護スタッフも重労働の割には、待遇がいいとはいえない。『認知症と付き合う』のが精一杯で、『認知症の改善』に役に立っているという充実感を味わうことが難しい状況も介護スタッフのモチベーションが上がらない原因のひとつとになっている。

しかし、現場では、要介護度が高くなれば、医療報酬がたかくなる現実があり、介護の状況の改善が医療報酬として評価されることがなかった。

これでは、どんどん増加する介護費用を抑制することは出来ないと、2016年11月10日、政府の未来投資会議において、介護の状況を改善した場合に医療報酬を上げると明言した。

そこで、大いに注目を浴びているのが、2万人以上の改善事例がある『心身機能活性運動療法』だ。

また、この療法は、高齢のドライバーの事故が増加する中、効果的な改善プログラムとして、自動車教習所などでも試験的に実施されるようになった。詳しくは以下のページで。

https://www.yokosojapan.net/article.php/20170212kaigo_feature_ja


序章:究極の認知症改善法【小川心身療法秘話・序章】認知症にならない!認知症にさせない!認知症を改善する!をテーマにお話しします


第1話:認知症・徘徊の改善【小川心身療法秘話】第1話 老々介護のご夫婦が改善によって幸せな日常生活を取り戻した!


第2話:認知症・徘徊と作話の改善【小川心身療法秘話】第2話 スナックの元ママがよみがえった!徘徊も作話もしなくなり、お客さんと普通の会話ができるようになりました。


第3話:【パーキンソン症状の改善】小川心身療法秘話第3話 手の震えが止まった!歩き方が自然になった!したいことができる!充実した日常生活を送ることができる!


第4話:【自閉症児の改善】小川心身療法秘話 第4話 重度の自閉症・孤独症・多動・情緒不安定・日常生活要介助・言葉が話せない 10歳の男子が3ヶ月で改善!


第5話:【脳性麻痺の改善】小川心身療法秘話第5話 脳性麻痺で一人では座れない、立てない、歩けない、5歳の脳性麻痺の女児が3ヶ月で歩いた、一気に花開くようにどんどん成長しました!


ブックレビュー https://x.gd/rjUwL

魂・心・肉体を三位一体で治療する世界的に注目されるZENホメオパシー

特集

ホメオパシーと水の関係 魂・精神・肉体を三位一体で治療する世界的に注目されるZENホメオパシー

 

 

由井寅子氏プロフィール・

日本におけるホメオパシー第一人者。

カレッジ・オブ・ホリスティック・ホメオパシー(CHhom) 学長

農業生産法人 日本豊受自然農株式会社 代表

 

1996年、本格的導入活動を始め、日本でのホメオパシーの土台作りに成功。

創始者ハーネマン氏の重要文献を徹底的に読み込み、既存のホメオパシーの処方だけでは、困難な心の病気などもインナーチャイルド(心の病気)を癒すことで克服。ホメオパシー界に革新をもたらせた魂・心・体を三位一体で治療するZENホメオパシーを確立。ホメオパシー大国インドやヨーロッパでも注目されている。

 

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ホメオパシーと水の関係   

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ホメオパシーは、症状を起こす原因になった物質を水に約10万-100万分の一に薄め『希釈振盪』(きしゃくしんとう)【水に薄めてたたくこと】・して使う『同種療法』である。

物質の悪影響もなく、『情報パターン』だけを与えることで安全で体にやさしい療法として、200年以上に渡って、ヨーロッパやインドなどで医師・治療家が実践している代替医療である。

19世紀にアメリカとヨーロッパで猛威をふるった、コレラ、腸チフス、インフルエンザ等の疫病の治療においても、目覚ましい効果をホメオパシーが発揮し、一般に広がった。

 

しかし、物質をそこまで水で薄め、『情報パターン』だけでは効果がないと、従来型医療志向が強い医師や科学者たちは、その効能性について懐疑的な態度をとり続けているものもいるが、2010年12月24日発行のサイエンス誌のインタービューの中で、ノーベル賞受賞者のリュック・モンタニエ教授は、ホメオパシー医療への擁護を表明した。

 

世界エイズ研究予防財団の創始者であり、会長をつとめるモンタニエ博士は「高希釈水(ホメオパシーで用いられる)に関しては真実である。ある一つの物質の高希釈水が“無価値”であることはない。これらは水構造であって、水構造は原分子を模倣(再現)する性質を持つからである。」と発表した。

 

水は何度も振盪(たたく)ことにより、離合集散し一定のパターンで振動していると考えられる。

 

*参考情報 リュック・ モンタニエ博士の 「水によるDNA 情報の記憶」実験

https://hado.com/water-memory/montagnier/

 

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日本で始まった人間を魂・心・体を一体とし捉えるZENホメオパシー

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潰瘍性大腸炎をホメオパスで治してもらった経験からイギリスでホメオパシーを学び資格を取った。

最初はイギリスで活動をしていたが、帰国し治療を始めたが、日本は、難病や進行した慢性病の患者さんが多く、治癒しないケースが多い事に驚く。また、病気が治癒しても、再発率も高かった。

 

この原因を調べると医原病(タミフル処方数世界一・抗生物質の量はEUの40倍・予防接種の義務化)、食原病の毒物(世界でも有数な添加物大国・OECD諸国平均の16倍の農薬使用量)に侵され、魂・心・体がボロボロになっている事がわかった。

また、多くの日本人が、罪悪感・自己否定感が強く、ストレス社会でインナーチャイルド(心の慢性病)を癒す心のケアが必要と感じた。

そこで、レメディー(ホメオパシーで使う高希釈水をしみこませた砂糖玉)の処方以外にも、『魂を開放し心の持ち方を解く』ZENホメオパシーの研究を始めた。

 

『魂の目的は何か?』『人は愛するために生まれてきた』など、

 

様々な事例を挙げながら、心の持ち方、魂の開放こそ、大切と授業でも訴えた。

 

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ZENホメオパシーの今後の日本での可能性について

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ZENホメオパシーは、『生き方を変える』ことも必要と患者さんに伝えてきた。ホメオパス(ホメオパシーの施術者)に相談する人たちの多くは、精神的な悩みも抱えている。魂レベルでの救済が必要とされている。

最近、感じることは、子供たちがとても霊的にも高いことだ。現在の日本社会で、子供たちの置かれている環境は決していいとは言えない。それも、霊的に高い子供達が増えていることの原因の一つになっていると思う。

 

大事なことは、『自分は生かされている』ということを理解することだ。自分が優秀だとか、美人であるとかが重要なことではない。授業でそのような話をすると以前は、精神科医になるために授業を受けているわけではないという学生もいたが、今はZENホメオパシーをちゃんと理解して、入学してくるので、そのようなこともなくなった。

 

最近は、日本各地の名水として、語り継がれる水のみをレメディとして活用した治療法も確立したZENホメオパシーは、水の可能性を広げて、新たなステージへと進んでいる。

 

ホメオパシーを日本に紹介して以来、様々な困難を乗り越えて、日本独自のZENホメオパシーを開発。

そして、10年前から、日本古来の種から作る農業も始めた由井氏。

その精力的な活動の原動力は何かと尋ねた。

 

『人は幸せになるために生きてきた。ホメオパシーはそれを実現する大きな役目がある』

 

由井代表の揺るがない信念に多くの人たちが共鳴し、西洋医学では手に負えない現代病に苦しむ人たちにとって、

ZENホメオパシーは大きな支えになっている。この広がりが止まることはないであろう。

 

インタビュー動画

『私たちは、水を通してつながっている』原子状水素って?

特集

『私たちは、水を通してつながっている』原子状水素って?


映画『WATER』は、世界初の水の神秘を様々な面から、解き明かした作品として、ロシアで300万人が視聴し、数々のドキュメンタリー賞を受賞。英語・日本語でのDVDも発刊され、世界中で、大きな反響を呼んでいます。

水が作り出す美しい映像を紹介しながら、ノーベル賞受賞者を含む多くの科学者や宗教の様々な水に関する知見や研究内容がインタビューを含め紹介されます。そこで登場する水の神秘を理解する科学者、宗教者が、口を揃えていうこと、それは、『水は情報を記憶する』『人の理念や感情によって水が変化する』ということです。科学者とは、一般に宗教的な考えとは、相容れないというケースが多いですが、水の研究者は、研究を進めれば進めるほど、水の神秘的な側面に魅了され、結論として、『水は情報を記憶する』つまりは、
『水にも意思がある』と感じるといいます。従来の科学の常識ではまだまだ、受入れられない面がありますが、実は、『水の記憶』を実証するデータもどんどん蓄積されているという現状も映画では描かれています。そして、その考えの延長線上には、70%は、水で出来ている人間も他の生物同様に、『一つに繋がっている』という結論に至ります。また、最新の量子物理学でも、『私たちは一つに繋がっている』とよく言われます。『水に記憶があり、意識があるならば、大部分は水で出来ている生命体は、すべて繋がっていると考えるのも自然なことでしょう。


水を知ることは、自分自身を知ることでもあるのです。

日本からはじまる、価値観の大転換

特集

日本からはじまる、価値観の大転換
『私たちは水を通してつながっている』

《特集》
今世紀最大の科学的発見、第四の相、液晶水とは?』
注目の『還元水素水』、驚くべき可能性!!
(原子状水素水)還元水を使った、航海実験で、40%の油の削減に成功!!

日本からはじまる、価値観の大転換!!
行動するのは、まさに今です!!

私たちの世界は今、「緊急事態」にあります。そしてこの世界的な危機は、より深刻な問題につながる兆候でもあります。 気候変動、経済破綻、エコシステムの崩壊、人口過密、水と食料の不足、資源の枯渇、原子力などの脅威。遅かれ早かれ、そうした危機はすべての人類に例外無く影響を及ぼします。

このまま持続不可能な道を突き進めば、今世紀の中頃までに地球の大部分は、人間をはじめ多くの生物が生息できない場所へと変わり果てることでしょう。

しかしながらエコロジカルな惨事、もしくは宗教や地政、資源をめぐる衝突が引き起こす戦争の悪化などによって、総合的な体制崩壊はもっと早く訪れるかもしれません。こうした脅威は現実のものです。

この世界的危機の原因となるものは、ここ数十年、ますます勢いづいて、近いうちに取り返しがつかなくなります。そのタイムリミットは今世紀末と見られていましたが、今世紀の中頃、20 年以内、10 年、5 年とどんどん早まっています。

 

日本・日本人の役割とは?


今、わたしたちは、わたしたち自身と、世界についてどう考えるのか、ということが問われています。これまでとは違う考え方が早急に求められる今は、同時に、新しい価値観や優先権を再考するチャンスでもあります。人々と自然が調和の中で共存するために、私たちが相互連携していることを理解し、新しい方向へとシフトするチャンスなのです。

本来の日本は自然と共にあり、協調や協力を重んじてきました。しかし戦後、日本は急進的に産業を発展さ
せ、物質主義にシフトしました。今、もう一度本来の「和」の精神を見直し、それをテクノロジーと融合させ、
最新の知識と伝統的な価値観を併せ持つ新しい文明を開いてゆくことが求められています。


一昔前まで、日本人の大多数は農民であり自然に感謝し、畏敬の念を持って暮らしてきました。しかし、戦後の急激な産業発展で、日本の精神文化は失われ物質主義が蔓延するようになってしまいました。3.11 の大災害は、日本人が本来大切にしてきた考え方を共有する大きなきっかけになるでしょう。今でも10 万人を超える人達が不便な生活を強いられ、原発の問題も未だに解決したわけではありません。しかし、世界中の人達が、だれを攻めるでもなく震災に立ち向かう、日本人の「我慢強さ」「自己犠牲の精神」に驚き、敬意を示しました。今こそ、日本人の本来持っている『自然と共に暮らす価値観』を『日本』から、発信することが大切だと思います。


しかし、この状況を何とかしたいと様々な分野で長年地道に活動を続けてきた人たちも大勢います。

西洋医学一辺倒の考え方や、物質科学万能主義、効率だけを求めるグローバリズムが

曲がり角に来ていることは誰もが感じています。

未来の子供たちのためにも、大きな価値観の変換を起こすのがまさに、今です。

 

ネパールでの震災復興イベントが話題に!!  

特集

ネパールでの震災復興イベントが話題に!!

ネパールでも多くのファンを持つ佐野碧(サノ・アオイ)さん

 

ネパールでNGOの活動を続ける母や、大学時代の恩師の先生の影響もあり、表現することを生業にしたいという想いが強くなった学生時代。
ネパールでの震災復興のイベントで、5000人の人たちを集めて話題になり、NHKなどの大手マスコミや現地のメディアでも大きく取り上げられた、歌手の佐野碧さんにお話をお聞きしました。


歌手になったきっかけは?

高校時代から歌手になりたいと思っていましたが、大学時代に会った恩師の影響で、アフリカのタンザニアに行ったことが大きなきっかけだったと思います。
一見、大変そうな生活環境でも、とっても元気に、底抜けに明るく暮らす人たちの様子を見て、先暗示せず、やっぱり、やりたいことがあれば、思い切ってやってみようと決心しました。
思い通りにいかないこともたくさんありますが、私は、本当に歌が好きで、曲を作ったり、歌詞を書いたりするために想いをめぐらすことがたまらなく心地いいです。

将来の仕事に関して、思い悩む若者も多いですが、佐野さんならどんなアドバイスをしますか?

とにかく、興味がわくことを突き詰めてやってみることだと思います。気になることにはどんどんチャレンジして、たくさん失敗してください。笑
それがうまくいっても行かなくても、自分に心地がいいのかどうか、どう感じたのかを大切にしてほしいです。
そうしていくうちに一生懸命になれることが、ようやく好きなことに変わっていく瞬間があると思います。
一生懸命になれることを、とことん続けて行けば何かが見えて来ると思います。

高齢化社会を豊かにする、シニア応援メディア『+LIFE』

この『+Life』という曲はどのようにして作りましたか?
 
元気な高齢者の方々の豊かな人生を楽しもうというメッセージだったので、神社に行ったり、お祭りで見かけた先輩方の姿を見ながら、イメージを膨らましていきました。
とっても好きだった、祖父との思い出も、振り返ることもありましたね。

歌詞の中で、
 
『もう一度、君と歩こう!!』『もう一度、+Life!!』
 
というフレーズがありますが、誰もが歳を重ね、昔は簡単に出来たことも、時間がかかることもあると思います。そんな自分を認められないときがあると思います。
私も同じです。そんな認められない自分を受け入れ、もう一度、いつだってスタートできる!!というメッセージを込めています。
そして、共に歩き、私たちに豊富な経験をたくさん伝えてほしいと思っています。

歌手としての自分を支えているものは何ですか?
 
やはり使命感ですかね!!特に、海外での活動はうまく行かないことの連続ですが、その違う価値観を越え、信じる心が何より大切だと感じました。
同じ震災を経験した私たちだから出来ることとして、ネパール大地震への支援活動がスタートしました。
歌手『佐野碧』として独り立ちするきっかけを作ってくれたのは、まだ電気も通っていない中、ソーラーランタンを持って私の歌に声援を送ってくれた大勢のネパールの方々と応援してくれる日本の方々です。
音楽を通して、文化や国を越えてネパールの方々と日本人の方々との懸け橋になって行きたいですね。
私はそれは天命と思って、これからも継続して、『HIKARI SONG GIFT』のイベントと共に、ネパール、そしてアジア、世界に光を届ける活動を続けていきたいと思います。


(写真 左から2番目が荻野氏、中央、佐野さんのお母さん、右端がスニタさん)


また、『+Life(生命)』は私にとっては、人とのつながりのようにも思います。
楽曲『+Life』が生まれたのは、シニア向け住宅事業を行う㈱イチイの荻野社長が福島出身の方で、仙台出身の私の震災復興活動に興味を持って頂いたことがきっかけです。そこから、ネパール出身の社員のスニタさんにも知り合い、在日ネパール人の学校でのミニコンサートも行いました。ネパールと東北、日本全国の本当にいろんな方々の素晴らしいご縁をいただいて、私もここまで、歌手として活動が継続出来ていると思います。


佐野さんは、小中学校で、野球に熱中し、リトルリーグは、東北選抜に女子初として選ばれ全国大会へ行った。人のやっていないことをやって、ワクワクしたい人の様だ。佐野さんのように、海外の復興イベントから火が付き、日本での歌手活動も好転したという例はまだ少ない。しかし、海外で活動すれば、日本人であることで注目を浴びる可能性が高いのも事実だ。また、日本に住む留学生が歌手として活動するのは、在留資格の問題で難しいが、歌うベトナム人介護士や踊るネパールの料理人が登場してもいいと思う。これから、5年間で、35万人の外国人労働者が日本にやってくる。日本で働いて、新しい人生を切り開く外国人の人たち。日本人もその人たちを暖かく迎え入れ、『+Life』な思考で、一緒に生活を楽しみたいものだ。

 

環境問題解決の最後の切り札!! 深井利春氏 創生水開発者 創生ワールド代表

特集
 
洗剤・シャンプー・農薬を不要のものとし、油と混ざり燃えることで化石燃料の削減、排出ガスの低害化までやってのける奇跡の水、『創生水』!!
 
 
 
 
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天才は1%のひらめきと99%の努力からなる (トーマス・エジソン)
Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration.
( Thomas A. Edison)
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《2010年4月29日には、第14回目を迎える 
創生水全国交流会を大勢の韓国の大学関係者を迎えて開催。》 


身体のほとんどは、水でできているといわれている。ある調査によると、血液の83%、脳の79%、筋肉の83%は水分だそうだ。しかし、近年化学物質による水の汚染が世界的な大きな問題になっているが、その根本的な解決方法がまだ見つかっていない。しかし、その問題に20年以上前から、使命感を持って取り組んでいる日本人が作った水、『創生水』が中国、韓国、台湾、カナダ、ドイツなどの政府あるいは関係機関などで大きな注目を浴びている。特に中国、韓国では数々の国家を挙げた環境対策プロジェクトでの共同事業や研究協力の要請が来ている。創生水開発者、深井氏の水の研究を長年続けた結果が数々の奇跡を生んでいる。創生水に掛けるその思いをお聞きした。インタビューするのは、創生水が韓国で注目を浴びるきっかけとなった、韓国テハンの重油流出事故の現場でボランテイアをしたハム・ドンスさんです。
 



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《深井社長とインタビューする韓国人学生ハムさん》


Q:どうして、洗剤をなくす水にこだわるのですか?

A:私は、ホテルやレストランの経営をしていましたが、ある日、その近くを流れる千曲川で多量の洗剤の泡を目にしました。その泡はまさしく、私の経営するレストランやホテルから流れてきているものでした。そのとき、亡き父の言葉を思い出したのです。「自然と人間は一体だ。川を汚せば人間の血液が汚れ、必ず人間は病気になる。だから川を汚してはいけない」その時、私は直感しました。「今、流れている洗剤は必ず私たちに帰ってくる」と。「洗剤をなくさないと人類が皆病気になる。でも、いったい自分に何ができるだろう」そんな悩みが頭から離れずに、三年間近く悩み続けましたが、父の言葉がどうしても忘れられず、全ての事業を清算して、私の洗剤への挑戦の日が始まりました。まずは洗剤の毒性を調べ始めました。水槽の中に魚を入れて、洗剤をたらすと、すごい勢いで暴れだし、やがて死んでしまいます。魚たちがもだえ苦しむものを、平気で使っていた現実を見て、必ず洗剤をなくしてやると決意を固めました。

Q:私財を投じて、創生水の開発に成功するまで約8年間。あきらめずに日々研究を続けられた理由はなんですか?その経緯とともにお聞かせください。


A:父の教育の影響が大きいと思います。今も、忘れられない思い出があります。ある日父は、分解された自動車のキャブレターを指さして、「これを元に戻せ」と私に命じました。私が「そんなことできるはずがないだろう。そんなことは、修理屋に頼めばいいことだ。」と反抗したら、「もともと人間が作ったものだ、人間に直せないはずがない」と、どうしても直すようにと言うのです。私は、どうして直したらいいのか見当もつかず、途方にくれましたが、有無をいわさない父の態度に、本当に自分でやらなくてはならないのだと覚悟しました。そして、泣きながら懸命に組み立てに没頭しました。その間、家にも入れてもらえず、結局、三昼夜かかったのですが、このとき私は、「やってやれないことはない」ということを学びました。そんな厳しい父でしたが、町の人からはとても尊敬されていました。父は何かあるたび「自分の畑に水を引くな、人の畑に水を引け」と、私に言い聞かせました。創生水を作るきっかけになったのもそんな教えの中にありました。

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《油に混ざり汚れを落とす創生水》  

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《こびり付いた汚れも落とす創生水》

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《ついに完成した創生水生成器》

しかし、現実的には思いはあっても、素人の私に洗剤の代わりになるものなど、どう作っていいのか見当もつきません。研究のかたわら、合成洗剤追放運動などにも参加したこともありましたが、反対をしていても現状はかわらないと思い、洗剤に代わるものを開発しようと決心しました。いろんな人たちに助言をもらいながら、自分で本を読み漁るうちに、私が着目したのは水でした。祖母の世代の人たちの話で、昔は川で洗剤など使わなくとも洗濯が出来ていたという話を聞いたからです。それなら、水を本来あった姿に戻せばいいのではと考えました。しかし、研究には大変な費用がかかり、事業を売却して得た1億以上の資金も底をつき、もはやそれまでと思ったときに、不動産事業を営む友人が四千万円ものお金を私の夢に投資してくれたのです。世の中は、バブル経済の真只中、先の見えない研究をしている私に投資してくれたことには本当に感謝しています。それからは、また寝食を忘れて、研究に没頭しました。私は自然界で起こっている現象を再現するイメージで研究を進めていきました。亡き父の言葉を胸に、また私たちが汚した川を元にもどさなければという気持ちもあり、黙々と何万回という実験を続けていきました。何度となく起こった奇跡的な発見もあり、少しずつ理想の形に近づいていきました。ある日、たまたま新聞で見た縄文時代に多量に使われていた黒曜石の記事を読み、これだと直感し、黒曜石を研究。そしてついに、洗剤の代わりになって、体にもとてもいい『原始の水』、創生水が誕生しました。

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《毎日新聞で取り上げられた記事》


Q:日本でがんばる留学生や外国人、また日本の若者たちにも望むことは何ですか?

A: 環境を守ることに国境はありません。2007年の韓国のテハンでの重油流出事故にハムさんも参加したようですが、私たちも日本から創生水の生成器を持ち込んで、沿岸の石にこびり付いた重油の除去作業をしました。創生水を使うと簡単に水と油が分離するので作業が進みとても喜ばれ、韓国のKBS放送でも取り上げられました。しかし、海はつながっていますので、この様な事故も韓国だけの問題ではありません。世界中の人たちが、地球を守るために国を超えた活動をする必要があると思います。
創生水は、今まで不可能と思われたことを可能にする『本来の水の力』を引き出すことに成功しました。美容、クリーニング、飲食、温泉、農業、医療、エネルギーとそれぞれの産業を『創生水』を使って、自然環境にやさしい新産業に作り変える可能性すら秘めています。元素番号の1番は、水素ですよね。環境問題は、水を本来の形に戻せば、必ず解決します。人間も動物も植物も土も空気もすべては水の要素で成り立っています。

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創生水を使った化学薬品を一切使わないクリーニング技術を開発

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《創生水全国交流会でスタッフの人たちも熱演》

創生水は、土も還元して本来の状態に戻そうとします。そのことにより微生物が生き返り、
農薬のいらない農業も可能になります。また、大変な重油流出事故のあった福井や韓国のテハンで海が真っ黒になった後でも、創生水をまいた海岸は微生物が活発に活動して翌年には海草でいっぱいになり魚が戻って来たのです。つまり汚染された海も創生水で再生が可能なのです。重油流出といえば、メキシコ湾で今大騒ぎになっていますが、私たちもお手伝いに行く準備を進めています。韓国でも日本でも、重油流出事故の際、多くの若者がボランテイアで活躍しました。
ここにいるハム君のように、世界中の若者がもっと地球環境を大切に考える意識が芽生えれば、世界はいい形でつながり人間だけでなく、動物も植物も住み良い地球になると思います。

「いただきます」や「ご馳走様」というのは、作った人に対してだけではなく食物の命に対してもいう言葉です。また、日本には古くから自然に感謝をする文化があります。漢字にもヒントがありまよ。「海」という漢字は「水は人の母」と指しているように見えませんか?水を汚すことは、生命の母を汚すことになると思います。水をきたなくすることを「汚す」と書くのです。何かを洗うために、水に有害物質を混ぜることが、「汚す」行為です。そして、「洗う」という字は「水が先」と書きます。「洗う」ためには、水が一番大切だと教えています。皆さんもそういう気持ちで水の大切さをよく理解して日々生活をしてください。




 
 
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韓国 ハム・ドンスさん ( 韓信 大学校 2010年春 卒業)
2007年、韓国テハンでの重油流出事故現場でのボランテイアを経験。石ひとつ洗うのにも大変な苦労をする状態で活動していた。その悪影響から活動後に重油の影響で入院した友人もいたという。

インタビューを終えた感想 AFTER INTERVIEW

創生ワールド株式会社の深井利春社長と直接会って、いろんな話を聞いてほんとうに勉強になりました。結局、人間が生き続けるためには環境が第一大切だと思いました。どんどん環境が悪くなっていく今の状況で、社長のような方が、韓国テハンでの重油流出事故の時のボランテイア活動のように、地球環境を守る番人として活躍しているのを知り少し安心しました。みんながもっと環境について真剣に考えるべきではないかと思います。
 

創生水の生みの親  深井利春氏

 
 
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福井沖重油流出事故現場でボランテイアの人たちと

深井利春 代表 プロフィール環境NGO『CWWI』(クリーン・ウォーター・ワールド・イニシアティブ)代表。創生ワールド(株)・深井環境研究所㈱ 代表。著書[topic:editor_創生水1001_ja 『洗剤が消える日』]が、日本語、中国語でも出版された。水質汚染・土壌汚染の問題が深刻な中国や韓国で、政府レベルでも今最も注目されている人物の一人だ。
創生ワールド
深井環境研究所
 
 
 

日本文化の根源は神社にあり!! 東條英利氏インタビュー

特集

 

日本文化の根源は神社にあり!!
 
日本らしさ、日本人らしさを理解し、
海外に発信 してこそ が真の国際人だ !!
 
 
 
神社人サイト運営者 東條英利氏プロフィール・・ 1972 年生まれ埼玉県出身、株式會社カルチャージ代表取締役。東條英機の直系曾孫。日本独自の社会公益事業モデルを模索し、神社並びに神道の存在に着目。神社を通じたカルチャー・ツーリズムを提唱し、新たな地域コミュニティと文化エンターテイメントの再生を目指している。 5 24 日の著書『日本人の証明』の出版に伴い、全国にて講演活動を精力的に行う。
 
本格的な国際化社会を迎え、今以上に海外の人たちとの交流が進むのは間違いない。『日本』『日本人』について詳しく語れることも益々要求されてくるであろう。そこで今回は、神社文化振興ポータルサイト『神社人』を運営する東條英利氏に、明治神宮で通訳ガイドボランテイアの活動をする津田塾大学 3 年の千浜優さんがお話を聞いた。
 
 
Q1: 神社のポータルサイトを作ろうと思ったきっかけは何ですか?また、神道の一番の魅力は何だと思いますか?
 
A1: 日本文化に特化したポータルサイトを作ろうと思ったのがそもそもきっかけですが、日本文化の源泉である神道について調べているうちに、日本には、 8 万社以上の神社があることがわかりました。しかし、そのデータベースが無かったんですね。それなら、自分でやってみようと、神社を巡って、写真を撮ったり、歴史を調べたりすることを始めたんです。
 
私も神社について、始めから詳しかったわけではありませんが、多くの神社を巡っているうちに、それぞれの神社がその土地において、歴史的な意味がありとてもユニークな存在であることがわかってきました。
3 年がかりで 900 以上の神社を巡りましたが、神社同士の関連性なども段々と見えてきて、多くの新しい発見がありました。これも自分の足で歩かないとわからなかったことだと思います。
 
それと、神道は宗教というより、『想いの集合体』と考えると理解しやすいと思います。例えば、歴史的に漁業で生計を立てていた地域では、人々の『安全な航海への祈り』が元になって、『海の守り神』が祭られたりしています。大阪の住吉大社なんかがそうですね。多くの神社を巡るとその当時の人々の想いが感じられます。そんな場所は神社しかないのではないでしょうか。
また、ご祭神は、必ずしも日本のものばかりではありません。
 
その土地に関係がある海外から来た人たちが祭られている神社もあります。仏教やその他の海外からの考えや文化を積極的に受け入れる日本文化の特徴も神道の『寛容性』から 来て いると思います。それと、神道には、キリスト教や仏教のような戒律や経典も存在しません。神社にはご神体として鏡が置いてありますが、それは、鏡に写った自分の姿の中に『神』はあるということを示しています。
 
他の宗教の様に、理想の自分になるために『教えを守りなさい』というより『答えを自分の中に見つけなさい』という姿勢ですね。だから『神教(神の教え)』ではなく、『神道(神の道)』なのです。その理想の自分に近づく方法は、あえて言うと、『他者感謝』つまり、万物に感謝するということです。
 
その原始的でシンプルな自然崇拝の考え方が、自然と共生する新しい生活スタイルとして今見直されています。一番古くて新しいこの価値観が、日本発でもっと発信されると素晴らしいですね。
 
 
Q2: 日本と天皇の関係をわかりやすく教えてもらえますか?また『日本を守る』とはどういうことだと思いますか?
 
私の活動の原点は 、 『建国記念の日』の意味を良く理解すること です。日本国は、 2672 年 続く天皇を国家元首と仰ぐ『 世界最古の国』として、王制を敷く国家でも広く認められています。しかし、そのことが義務教育では、正確に教えられておらず一般にはあまり知られていません。もし、今の天皇制が無くなれば、日本国も無くなってしまいます。それ位、天皇制を保持していくことは大切なことなんです。
 
『日本を守る』とは、日本らしさ、日本人らしさを守っていくことだと思います。昔は祖父母が子や孫の世代に日本の国の良さや素晴らしい美徳を伝承して来ました。 3.11 の大震災の時も、ほとんど大きな暴動なども起こらず、お互い助け合った東北の人たちの姿は、世界でも驚きを持って報じられました。
 
トルコでも大きな震災があった時、『日本を見習え』という考えが民衆に広がり、大きな暴動などにも発展することが無かったと聞いています。しかし一方では、経済合理性を追求した結果、日本は 10 兆円以上もの食料を廃棄している『残飯大国』でもあります。日本人はかつて大部分が農民で、自然の恵みに感謝し生きてきました。新しい価値観を求められている今こそ、『物』や『仲間』を大切にしてきた農耕民族としての『日本人の美徳』を思い起こす必要があると思います。
 
Q3: 、今を生きる日本人の若者に一番必要な心構えは何だと思いますか?またこれから迎える国際化社会にどのように向きっていけばいいと思いますか?
 
挑戦する意欲でしょうかね。私も、サラリーマン時代、自分で志願して 4 年間香港で駐在した経験があります。それが、今の活動にも繋がっていると感じます。人生は長いので、守りに入るのではなく、若いうちにどんどん何にでも挑戦してほしいですね。失敗を恐れず海外に飛び出し自分と考え方が違う人とたくさん触れ合ってください。そうすれば、やがては、自分の自我に目覚めるようになり、『日本らしさ』『日本人らしさ』に気づき、真の国際人になれると思います。
 
東條さんへのインタビューの感想     ( 津田塾大学 3 年 千浜優)
 
私が最も感銘を受けたのは、世の中には色々な考え方、思想があるということの解が大切だ というお話です。そのことで、日本人であるということを自分自身が良く理解し、日本らしさ、他者との違いを発見できると思います。その過程を通して、日本人としてのアイデンティティが確立し、独自性が生まれ、国際社会で活躍出来るようになると思いました。私たち若い世代は、『日本らしさ・日本人らしさ』を理解せず、十分な準備もなく、グローバル時代を 迎えようとして いますが、もう一度、日本 の文化、伝統を学び直し、 自分のアイデンティティを 見出だす事が大切だと感じました。 東條さんの神社データーベースなど学ぶための教材は沢山ありますので、自分なりにどのように学んでいくか考えていきたいと思いました。
 
日本人の証明

学研パブリッシングより5/24に発売!
 
 
東條家という特異な家に生まれた著者が、みずからのこれまでの体験と、日本人として抱くべき誇りについて語る、ユニークな日本人論。グローバル化に対応できない日本人に、神道を基軸とした逆転の発想を提示し、失われた誇りと自信を復活させよ、と説く。
 
ブックレビューを見る http://goo.gl/Z0i0j
 


出版記念特別企画として、全国12都市でキャラバンを開催。キャラバンフィナーレとして2012年6月16日(土)16:30〜19:00、明治天皇の玄孫にあたる、作家 竹田恒泰氏を特別ゲストに迎え、東京都品川区学研ビルにて、特別講演会「始まりは1000人の証明」(定員300名)を実施いたします。
 

グローバルコミュニティーでの

東條氏の連載コラム『最古の国 日本』はこちらから

https://www.yokosojapan.net/article.php/jinjya0329_iternational_ja

 

1. 本当の教養とは? 日本を知ること

2010年11月30日(火) 14:59 JST - 記事

2. 2:建国記念日の意味って?
2011年1月26日(水) 20:37 JST - 記事

3. 3:危機を乗り越えたところに大きな飛躍がある
2011年3月28日(月) 21:54 JST - 記事

4. 「モッタイナイ」の精神に立ち返ろう!!
2011年5月29日(日) 17:44 JST - 記事

5. 日本のお盆について
2011年7月30日(土) 23:33 JST - 記事

 6. 大人女子のわがままをかなえるピンクの本
2011年10月 3日(月) 09:43 JST - 記事

日本のお正月の文化的ルーツとは?

8. 和太鼓を通じて草食系男子の根性を叩き直す?
2012年1月25日(水) 23:24 JST - 記事

9:『日本人の証明』を出版して 

10 日本人の証明を出版して NO2 東條英利氏連載コラム NO.11

11  日本人にとって『働く』とは?  東條英利氏連載コラム NO.12

12 感性の鋭かった先人達の知恵に学ぶ   東條英利氏連載コラム NO.13

13   日本語の不思議  表意文字と表音文字 東條英利氏連載コラム no.14

14   日本人にとって『式年遷宮』の意味するものは? 東條英利氏連載コラム no.15

15   グローバルな社会で必要とされる教養とは? 東條英利氏連載コラム  NO.16

16 『神社ツーリズム』発刊!! 東條英利氏連載コラム  no.17

国際紅白歌合戦を国際的行事に育てよう

特集

 

 

国際紅白歌合戦を国際的行事に育てよう

『we are the world』を参加者と共に熱唱する溝畑観光庁長官

約20カ国からの参加者・観客が歌合戦を見守った


(文:国際紅白歌合戦実行委員会 多文化情報誌イミグランツ編集長 石原 進氏)


「紅白歌合戦」といえば、言うまでもなく大晦日にNHKが催す国民的な行事である。ヒット曲や懐かしのメロディーを国民がみんなで共有し、人々はその年にあった様々な出来事を振り返る。そして、新たな年に向けて国民的なつながりや連帯を確認するのだ。そのメロディーは、時代や世相を映し出す鏡でもある。


「国際紅白歌合戦」は、「紅白」にかこつけたものの、趣はちょっと違う。歌合戦の“主役”は、「紅白」よりも、まさに「国際」である。それは私たちの身近にいる外国人たちが折りなす「多文化歌合戦」ということもできよう。

被災地の人たちのためにAMAZING GRACEを捧げる太宰さんと世界の仲間たち

困っている時は助け合っていこう

左:『Melodies of life 』を歌ったセバスチャンさん 右:『You're beautiful 』を歌った辻林さん(高校2年)

『キセキ』を歌う、中国人(姜さん)と韓国人の友人のデュオ


歌合戦とは言っても、東日本大震災を抜きには語れない。3・11の未曾有の大地震と大津波、さらには原発事故。世界各国から援助隊が駆けつけ、「頑張れ、ニッポン」のコールとともに募金も相次いだ。在日外国人も被災地にボランティアとして駆けつけた。在日外国人にとっても「ヒトゴト」ではなかった。「被災地の人たちを元気づけたい」。これを国際紅白歌合戦の企画段階からテーマとして考えた。

会場を沸かした溝畑観光庁長官


歌合戦に参加した「歌手」たちもの思いは同じだった。それが海外に向けて発信されれば、「被災地へのエール」となってこだましてくるはず。そのうねりをより大きくするため観光庁に後援をお願したが、溝畑宏長官自らが白組の歌手として登場し、型破りの熱いパフォーマンスを演じて会場をわかせた。

9ヶ国語のエスニックメディアでも掲載された

すべてのメディア掲載についてはこちらをご覧ください


エスニックメディアや多文化メディアが主催団体に名を連ねたことも挑戦的な取り組みだった。媒体力ではマスメディアに大きく劣るが、それぞれが母国語でITを駆使して発信する情報は楽々と国境を越える。日本語マスコミとは別の次元で威力を発揮する。ユーストリームによる実況中継の試みもあった。国際紅白歌合戦の「国際」の意味はそこにもある。


それにも増して注目すべきことは、様々な国籍の外国人や日本人が歌を通じて一つになったことだ。在日外国人は200万人を超えるが、国籍が違えば交流する機会はほとんどない。ともすれば同じ国籍同士が集まりがちだ。同じ言葉をしゃべれなければ、当然といえば当然である。

『マイウェイ』を歌い最優秀賞を受賞したデンマークさん

 

 優秀賞の太宰鶴恵さん(高校2年)

 

フィナーレはみんなで『世界でひとつだけの花』


しかし、歌声は言語の壁を越える。それを国際紅白歌合戦が示して見せた。圧倒的な歌唱力で賞を受賞したフィリピン人介護福祉士候補生のデンマークさんや日本とコンゴのミックスルーツの太宰鶴恵さん。彼らの歌声は「共生」への力強いメッセージとして心に響いた。

国際紅白歌合戦で出会った新しい仲間と記念写真


HNKの紅白歌合戦が日本の国民的行事であるなら、国際紅白歌合戦は多文化社会の共生行事ということができる。いや、地域のイベントにとどまっていては面白くない。回を重ねて、世界の人たちの注目を集める国際的行事に育ってほしい。

 

 

多文化情報誌『イミグランツ』 

 グローバルコミュニティーでは、今回、多文化共生に詳しい元毎日新聞論説副委員長の石原進氏に国際紅白歌合戦の総括の記事を書いていただきました。石原氏は、記者当時から日本における外国人問題に深い関心をもち、「多文化共生社会・日本」 の実現をはかるべく多文化情報誌『イミグランツ』を創刊されています。第一線のジャーナリストとして活躍された深い見識と、毎日新聞政治部副部長時代に培った豊富な人脈を活用し、海外有識者ネットワーク日本事務局長を努めながら、『日本社会の内なる国際化』の啓蒙活動を『イミグランツ』を通して地道に続けておられます。
『イミグランツ』は、以下の公式サイトよりお求めいただけます。

http://www.imin.co.jp/immigrants/

多文化情報誌『イミグランツ』 NO.4

特集1:東日本大震災と在日外国人・・被災地でボランテイア活動に参加した外国人の人たち

特集2:『EPA』を問い直す・・待ったなしの人材不足。いろいろな角度からEPAのシステムを考える。

特集3:『開国』から20年・・単なる労働者としてではなく、日本を作っていく仲間として。。

私塾が日本を救う!!

特集
 
人のために流す涙は自分に勇気を与える  
出会いは人生を加速する 
 
                  
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私はこうして46歳から英語をモノにした

46歳から一念発起して英語に再挑戦した山元氏は、語学力を身につけたことで性格まで変わり、明るく積極的な人間になった。今からでも遅くない語学征服のカギやアイディアを、ユニークな語り口で披露してくれます。山元氏いわく、『いい加減だから良いのだ。何事も完璧を求めない』。まずは、生き方を変えること。転機を逃さずに、21世紀対応型人間になれば、英語は自然についてくる。人生を楽しみながら、遊びながら英語がいつの間にか上達する、山元式超簡単・英語習得法を伝授します。

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山元学校が101回目を迎えました
 
「努力は苦し、されどその実は甘し」(野口英世博士)
Patience is bitter but its fruit is sweet
(Dr. Hideo Noguchi)


社会変革の時代を迎え、加速度的にパワーアップする平成の松下村塾、山元学校。77歳になった今も走り続ける山元雅信氏にインタビューしました。

山元学校を始められた動機は何ですか?

海外から帰ってきたときに、無気力、無感動の精彩のない日本人が多くなっていたのに気づいて、何かしなければと考えていた矢先、瀬島龍三さん(昭和の参謀と言われた元伊藤忠会長)の「幾山河」の出版記念パーティで「自分の会社だけでなく日本人や日本の国づくりも心配りして欲しい」と直接言われました。そして、「私塾が日本を救う」という本も3度読んで、やってやるぞという気持ちも固まっていたちょうどその頃、学生たちから講演依頼などがあり、またその反響もあったので、月に一回、講演を聴いた学生たちとの「再会の場」として山元学校が始まりました。初めは体験談を話していましたが、だんだん賛同者が応援に駆けつけてくれ、たくさんの素晴らしい人が次々に話をする、現在の形に自然となっていきました。現在私は進行役に徹しています。

学生時代どんな学生でしたか?

優秀な兄たちと自分を比べて、とても劣等感が強く自分に自信を持てない人間でした。
大学2年までは、英語や海外インターンのサークルでも活動をしていましたが、今の妻に会いそれもやめて、いつも彼女といっしょにいましたね。彼女なしでは生きていけないような運命的な出会いを感じたので、卒業後すぐに結婚しました。

どのように自分を変えていったのですか?

卒業後もなんとなく仕事をしていたのですが、31歳の時にノルウェーに赴任することになりました。英語にも仕事にも自信がない私が送られたのは会社としての受注実績もない国で、左遷のようなものでした。
その私が変わったのは雑誌のある記事がきっかけです。ある日、知り合いから日立造船の記事が当時の朝日ジャーナルに載っていると聞き、その記事を読みました。造船の仕事が減り、工場の社員の家庭が次々に崩壊しているという記事でした。自分の仲間が大変な状況にあることを知り、号泣して3時間ぐらい涙が止まりませんでした。
そして私は決心しました。うまくいかない理由を他人のせいにしていた自分を改め、
日本にいる仲間のためにも頑張ろうと。
しかし、周りは実績のある企業ばかり。私は受注するために必要な情報は、何でも集めるようと走り回りました。船主(船を発注する人)が必要な荷主(船に積む荷物を発注する人)の情報収集や金融機関の条件まで、自分のところに情報が集まってくるような仕組みも作りました。一時は業界紙の情報の出所の7割近くが自分だったこともあります。会社に頼ることが出来なかった私は、自分独自の情報ネットワークを作り、最後には市場の85%までを独占することが出来るようになったのです。


講演などでどんなことを日本人学生や留学生に伝えていますか?

どんな状況でも自分を諦めないこと。特に今まで挫折を知らずに人生を歩んで来た人たちは逆境に弱いところがあります。人生、勝負は、20代でも30代でもありません。
40代、50代でもそれで人生が終わるわけではありません。私は現在65歳ですが、まだまだ新しいことに果敢に挑戦しています。
山元学校には、目を輝かせて、世の中のために役に立つことをやってやるぞと
訴える人が大勢集まります。そこで、いろいろな人との出会いがあります。
年齢も中学生から、80歳前後のシニアの方までと幅広く、毎回各国大使のスピーチがあり、参加者も国会議員、企業経営者、歌手、ダンサー、芸術家、公務員、医師、エンジニア、メディア関係者など様々です。学生さんも大勢集まっていて、年代を超えた交流が本音で出来る雰囲気がありますのでぜひ一度参加してください。

外国人の人たちも増えてきましたがこれから日本はどうなって行くと思いますか?

いろいろな文化を持つ人たちと一緒に暮らしていくことは大変重要なことです。近い将来、日本もアメリカやフランスのように移民大国になっていくのは間違いないでしょうね。国際結婚という概念もなくなるかも知れません。お互い交わりあってみんなオバマさんのような顔になっているかもしれませんね。

先生の一番好きなことばは何ですか?

『出会いは人生を加速する』ですね。人はいろいろな人と出会い、学びあって成長していくものだと思います。ひとつの出会いが人生を大きく変えていくこともあります。
山元学校でも今まで本当の多くに人たちの運命的な出会いに遭遇してきました。

最後に、これから就職活動をスタートする学生たちにアドバイスをお願いします。

面接官は将来伸びる人を採用しようと思っていると思います。
どういう人が伸びていくと思いますか?考えてみてください。
伸びる人は、素直で、明るく、愚直な人です。素直な人は、どんどん知識や意見を取り入れていきます。明るい人には情報が集まります。愚直な人は単純なことでもやり続けられます。また、時代はIQからEQになり今はHPの時代になったと思います。HPとはHorse Power すなわち馬力です。大きく世の中が変わっていく時代は、頭のよさというより、人からものを吸収し、加速度的に成長する力が必要です。それがまさに『出会いは人生を加速する』ということですね。
 
 
 

山元学校塾長:山元雅信氏プロフィール:

 
 
日立造船(株)時代、赴任先の北欧でマーケットシェア85%を達成させ、神話を作り上げる。入社18 年後カーナーズ・エクスポジション・ジャパン(株)にヘッドハントされ、アジア最大の国際産業見本市を立ち上げ、成功に導く。その後、セガにヘッドハントされ、サードパーティ売上げ10倍、北米売上げ倍増を達成、マーケットシェア63%など数々の記録を打ち立てる。現在は、「Break Through Consultant」という新しい国際ビジネスコンサルタントとして多数の企業のアドバイザーをつとめ、各種新規事業に取り組む。年間100回をこえる講演活動と就筆活動を精力的に展開。二国間の学生会議を30以上の大学生たちと設立。2008年4月より各国大使のインタビュー記事を載せた、産・官・学を結ぶ環境新聞「BLUE EARTH」を発行。毎月18日開催の山元学校は今年100回目を迎えた。 http://yamamotogakko.jp/
 
 
 
( インタビューした学生の感想 )

今回の取材で、私は多くの事を教えていただきました。その中で、印象に残っている言葉が『出会いは人生を加速する!』です。人と出会う事は、その人間の人生と交じわる事で、自分の人生の幅が広がるという意味でした。まさに、多くの苦労と出会いをなさった山元先生らしい名言だと思います。
私も、オリンピックボランティアをキッカケに多くの人々と出会い、たくさんの影響を受けて来ました。この言葉で、自分が感じていた事が確信に変わりました。
最後に、山元先生と出会えた事を感謝し、山元学校で多くの事を学び、多くの人々に出会って、自分を磨きたいです。(大東文化大学 環境創造学科 3年 新井 誠)

学生たちより山元先生へのお祝いの言葉

山元学校が100回目を迎えたとのこと、心よりお慶び申し上げます。
山元先生とはアイセックという学生団体の活動の中で知り合う機会があり、以来何かにつけてお世話になっております。初めてお会いした際に議論が弾み、昼に来訪したのが夜半過ぎまで滞在することになったのを昨日のことのように覚えています。山元先生を見ているとその行動力、フレッシュさに圧倒させられる一方で、次世代を担う人間の一人として
自分も負けていらない、という気持ちになり、その存在が非常に励みとなっています。
山元学校は、そんな山本先生の持つ魅力に惹かれた人たちがつながり、新たなアクションを起こす場として、非常に大きな意味を持っていると確信しています。山元学校の元に集まった人達が地域・世代・国境を超えて、社会に対し『これはすごい!』と言わせるような素晴らしいものを生み出していく、いつまでもその様な素晴らしい空間であり続けることを願っています。(東京大学法学部 嶋田庸一)

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LEAF_photo-hp.JPG

山元先生との出会いは2年前、今までお会いした方の中でも群を抜く先生のバイタリティに、LEAFメンバー一同圧倒されておりました。
その後先生にはLEAF日本実行委員会の顧問の就任して頂き、どれだけお世話になったことか。先生の豊富な人脈を数多くご紹介頂き、いつも本当に感謝しております。
そして、迎えた山元学校100回記念。LEAFメンバー一同より花束を送らせて頂きましたが、いつも通り活発な先生には花束がかすんでしますほどのオーラがありました。
今後もお身体にはお気をつけ下さいませ。200回、300回といわず、いつもの先生らしく1,000回くらいを目指して頂ければと思います。
20年後にも同じ姿で僕達の前に立っていることが容易に想像できますね。いや、実は30年後でしょうか(笑)
最後になりましたが、改めて山元学校100回記念おめでおうございます。今後とも末永くLEAF日本実行委員会をよろしくお願い致します。
《LEAF(東アジア国際学生フォーラム) 日本実行委員会一同》

ブラジルの人たちが私を育ててくれました

特集

 

 

移民100周年を迎える日系ブラジル人社会の歌姫

 

10年に渡り日系コミュニティーでの公演を続ける井上祐見さん

インタビュワー 可児タイスさん


日系ブラジル3世  歌手デビューした21歳の時に見たNHKのど自慢のサンパウロ中継をテレビで見る。『この人たちの為に歌いたい』との気持ちだけでブラジルでの公演に挑戦。

 

1:どうしてブラジルで歌うことを始めたのですか?

 

NHKのど自慢のブラジル大会をテレビで観ていて、日系の方々が日本の歌をとても大切に歌っている様子を知りました。すぐにマネージャーさんに「ブラジルに行って日系の方々に日本の歌を届けたい」と伝えました。南米との付き合いも人脈も何もない中、マネージャーさんはじめ多くの人たちに助けて頂いたおかげでブラジル公演を実現することが出来ました。一回目の公演が大好評をいただいて、「また来年も」というお話になりました。ブラジルを中心に南米各地の日系移住地を回らせていただいて今年で10年目。言葉も文化もまったく違う人たちの前で、私の歌やおしゃべりが伝わるかどうか不安でしたが、「歌を楽しむ」という気持ちは、人種も言葉も国籍も大きな問題じゃないんですね。


>2:今年はブラジル移民が始まって100周年ですが、そのことについてどう思われますか?

 

移民一世、二世の方々は大変な苦労の中、今の日系社会を築いてこられました。今年は大きな記念イベントが日本でもブラジルでもたくさんありますが、大切なことは101年目の来年だと思います。この機会をただ単なるブームに終わらせないようにまた、移住で苦労された方々を忘れて欲しくない」という気持ちをこめて『日系移民』の人たちの歌、『オブリガード 笠戸丸』をこれからも歌って行きたいと思います。

 

移民100周年を迎える日系ブラジル人社会の歌姫 歌手デビューした21歳の時に見たNHKのど自慢のサンパウロ中継をテレビで見る。『この人たちの為に歌いたい』との気持ちだけでブラジルでの公演に挑戦。その後10年の間毎年欠かさず、ブラジルの日系社会の人たちの為に歌ってきた。『日系人の心』を歌う日系社会では欠かせない存在の演歌歌手。移民100周年の記念の年にますます活躍の場を広げている

 

 



ハルとナツ novela sobre a imigraçao japonesa no brasil 届けなかった手紙