2019/02/20 17:57

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私はあなたをあきらめない

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自分自身の可能性に目覚めさせる『スタント・メソッド』で世界の若者を救う
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マハテール元マレーシア首相とも一緒に講演

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現地のマスコミでも大きな反響が。。
母国インドネシア・シンガポール・マレーシア、中国の政府や関係機関からも熱烈なラブコールを受け、それぞれの国で講演。スタント教授の教育にかける熱い思いは各国の悩める若者たちを奮い立たせた。その様子は、現地のマスメディアでも大きく取り上げられている。久しぶりに日本に帰ってこられたスタント教授に3人の学生がお話を聞いた。

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(菅野勝男氏撮影)

Q:先生の子供の頃の様子や日本に来られた経緯をお聞かせください。

A:私は幼いころ両親を亡くし、とても厳しい継母に育てられました。病弱で邪魔者扱いされ家ではいい思い出はありませんでした。家にいるのがいやだったので、朝早く登校し学校の掃除をするようにしました。そのおかげで先生やみんなにも認められるようになったので、もっと認められたいと思い、熱心に勉強しクラスメイトや近所の子供たちにも勉強を教えはじめました。しかし、高校1年になったばかりの1965年、9.30事件反共産党クーデターで、新政府が全国の中国系インドネシア人の学校を閉鎖し、私たちは教育が受けられなくなりました。仕方なく兄の電子機器の販売事業を手伝いながら、自分も修理事業を立ち上げました。そしてその事業が大成功し、兄が裕福な生活を送れるようになったので、経済的な理由から高校や大学に行けなかった私は、もっと勉強したいという気持ちを抑えきれなりました。

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エンジニア志望だった私は精巧な電子製品を作る日本に自然と惹かれ、そして、23歳で来日し、26歳の時に一般の年齢より8年遅れではありますが、ついに日本の大学に入学することが出来ました。東京農工大学で、電子工学を専攻し、東京工業大学で博士課程も修了しました。しかし、34歳を過ぎていた私には、日本での就職先はありませんでした。日本で就職する夢を諦められなくて、自分の条件をよりよくするために、もう1つの博士号を必死に挑戦して取得しました。そこで、工学・医学と2つの博士号をとりましたが、それでも日本では認めてられませんでした。日本で14年間がむしゃらに生きてきたのにまさかだめだとは。。。途方にくれていましたが、人生を再出発しようと決心し、日本がだめなら今度はアメリカしかないなあと思い、3人の幼い子供を残し、38歳で全く未知の最もレベルが高いといわれる米国の科学界に挑戦することにしました。「当たって砕けろ」の精神で、もう一度自分の人生を賭けてみることにしました。そして、幸いにも、実力を認めてくれるアメリカの大学が見つかり、念願の教職の仕事を得ることが出来ました。5年ほどアメリカで教鞭をとりましたが、東工大の恩師奥島教授の誘いがあり日本に戻って来ました。 



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Q:どうしてアメリカから日本に戻ってきたのですか?そして、大学の教育改革に取り組むようになったのはなぜですか? 

A:私は日本で鍛えてられて、結果的に4つの博士号を取らせてもらいました。厳しい日本社会で鍛えられたお陰で今の私はあります。素直にその日本に恩返しをしたいと思いました。
しかし、赴任した大学で8割以上の学生が授業を理解していなくてもそのままにされていることに気づき、私の授業を受けている全員のやる気を燃え上がらせて見せようと決心しました。
母国や米国での実体験や日本の社会で否定されても何度も挑戦し続けた自分の体験を語り、彼らを励まし続けました。反面、授業にはとても厳しい姿勢で臨みました。授業はほとんど英語で行い、また英語でのプレゼンも学生に要求しました。はじめは学生たちもパニックを起こしましたが、こちらの真剣な気持ちが伝わると、学生たちも少しずつ努力するようになりました。どんな若者も本人も信じられないほどのすばらしい可能性(=潜在能力)を秘めています。それを引き出してあげるのは、教育者の本気の姿勢です。大学では、やる気のある学生だけを相手にすればいいという考えがありますが、私は、誰一人として彼らを見捨てません。また他の先生にも生徒を見捨てないでほしいと思っています。

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中国の大学の創立100年での記念講演



Q:子供のころ、愛情に恵まれなかったのに、先生のその限りない生徒への愛情はどこから沸いて来るんですか? 

A:私の子供時代はあまりに悲惨すぎて、他人に愛情を求めることが出来ませんでした。ただ、自然の中で遊び、生きていることに感謝するしか自分の存在意義を見出せなかったのです。しかし、子供たちに勉強を教えるうちに人に感謝される喜びを感じるようになりました。愛情は『人に先に与える』ことによって『与えられる』のです。厳しい家庭環境のお陰でそのことに気がつくことが出来ました。そしてその『先に与える愛情』には限りがありません。なぜなら、いつか必ずその気持ちが相手に伝わることを何度も経験して知っているからです。教師として教えた学生が成長していく姿を見ることほど幸せなことはありません。
私は、一人ひとりの学生がそれぞれの物語の主人公だと思っています。自分を好きになって自分らしい人生を送ってほしい。そのためには中途半端はだめです。多くの学生が涙を流すほど私の授業は厳しいので有名ですが、私は一人ひとりの学生に自分の夢を絶対にあきらめさせません。彼らの夢は私の夢でもありますから。
一見やる気のない学生ですら、本来はすばらしい可能性(=潜在能力)を秘めています。私たち教育者には、彼らの隠れた本心と真剣に向かい合って、命がけで授業に取り組む姿勢が必要です。そうすれば必ず彼らは、本当の自分を取り戻し、自分自身の夢と向かい合い、自分の物語を作っていくようになります。人に作られたのではないオリジナルの人生を生きるようになります。そしてそれは大きな自信につながり、自分をどんどん好きになり、やがて人にも優しくなります。
カワン・スタント氏 早稲田大学臨床教育学研究所所長
カワン・スタント氏:早稲田大学国際教養学術院教授早稲田大学臨床教育科学研究所所長1951年インドネシア・スラバヤ生まれ、74年に来日し、エレクトロニクス技術を学ぶ。77年に東京農工大学の電子工学科へ入学。卒業後、東京工業大学、東北大学など4つの大学で「工学」「医学」「薬学」「教育学」の博士号を取得。88年、米デュレクセル大学工学部準教授、90年、トーマス・ジェファーソン医科大学医学部準教授を兼務、93年に再来日。桐蔭横浜大学工学部教授に就任し、「学生のやる気を引き出す」教育法を確立。2003年より現職。経済産業省産業構造審議会21世紀経済産業政策検討小委員会委員を歴任、米国超音波医学会、米国音響学会、日本音響学会、日本超音波医学会などでも受賞歴あり。著書 『「できない大学生」たちが、なぜ、就職で引っ張りだこになったか』(三笠書房)が、大きな話題に。
アジアの先進国としての大人の対応が必要
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Q:日本に住む外国人が220万を超えましたが、今後日本の社会はどのように対応していけばいいと思いますか? 


A:日本はもっと留学生を大切にする必要があると思います。多くのアジアの学生たちは、アルバイトをしながらも本当によく勉強しています。日本の将来のためにも、彼らを暖かく迎えてあげる大人の対応が、アジアの先進国、日本社会には必要だと思います。アメリカの大学で5年ほど教鞭をとりましたが、いろいろな国の人たちを受け入れる寛容性がアメリカの人気の秘密ですね。一方、日本で学ぶ留学生は、日本のすばらしいところをもっと積極的に学ぶべきです。たとえば、日本ほどごみのポイ捨ての少ない国はありませんし、公衆道徳の面でまだまだアジアの学生たちが日本に学ぶことはたくさんあります。

2時間半の間少しも休むことなく、真剣に語りかける姿勢。溢れんばかりの情熱。インタビューに参加した学生たちもすっかり『スタント・ワールド』に引き込まれた。しかし、今はパワフルなスタント教授も、実は2度に渡って、あまりに閉鎖的な日本の大学組織にひどい仕打ちを受け、そのショックでうつ病になり、インドネシアで静養していた経験もあるのだ。そんな経験をしながらも今は日本で真剣に学生たちに向かい合っている。スタント教授の『一人の学生もあきらめない』という教育姿勢に基づいた魂に訴える教育法『スタント・メソッド』は学生だけではなく、多くの指導者達も感動させ、教育界のみならずビジネスの現場でもその効果が大きな注目を浴びている。たったひとりの元インドネシア私費留学生の『どんな時もあきらめない気持ち』が日本の社会を動かし始めている。 

グローバルコミュニティーでは、今後1年に渡り、『スタントメソッド』によって自分を取り戻し、元々持っている自分の可能性を開花させた人たちの様子を紹介していきます。ご期待ください。 

インタビューした学生たちの感想文 

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(写真右)鈴木詩乃さん(東京農工大学)・・母親との関係に悩んで、精神的に安定していない時期もあり、母を責めることもありました。しかし、今回それはまったくの間違いだとわかり、母に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになり、自然と涙が出そうになりました。これは私にとって最も大きい変化です。スタント先生に会ってお話を聞いたことで、ずっと閉ざしていた自分の内面に新鮮な空気が入ってきたようです。酸欠状態だった私の細胞はただ今活動中です。細胞が活動することでエネルギーが得られ、力が湧いてきました。この力を就職活動や英語学習に向けていこうと思います。

(写真中央)新井誠さん(大東文化大)・・今回のインタビューは、終わった後の感想としてお告げを授かったかのような感覚でした。先生のお話の中で「社会が良くなるには馬鹿が必要だ」という言葉が印象に残っています。馬鹿とは愛のある馬鹿、人の為に尽くせる人間の事です。また、世界で活躍される先生のお話から日本はグローバル化を早急に進めないといけないと本気で思いました。今、行なっている通訳ガイドボランティアの活動やグローバルコミュニティの取り組みで、少しでもいいから海外の方に愛されるみんなが仲良く住める日本社会を一緒に作って行きたいと思いました。

(写真左)スチントヤさん(レイクランド大学)・・先生のポジティブな考え方と人に尽くす考え方には頭が下がります。留学生は、日本の社会に対して閉鎖的な面を見がちですが、日本のすばらしい面はもっと見習っていくことが大切だとあらためて感じました。先生のような方が私たちと同じ一私費留学生として日本でアルバイトをしながら、苦学されていたことを思うととても励みになりました。
「できない大学生」たちが、なぜ、就職で引っ張りになったか
面白いように「気」が目覚める9つの方法
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「できない大学生」たちが、なぜ、就職で引っ張りだこになったか
面白いように「やる気」が目覚める9つの方法 


「負け組み」だと思っていた学生たちが、スタント教授の講義を受けると変わっていく。優良企業の採用担当者や、社長までもが、「おたくの大学生が欲しいのですが」とやってくる。あきらめない教育者の本気の姿勢が学生たちに本当の自分を取り戻させる。どんな状況でも生徒を信じてベストを尽くす魂に訴えるスタント教育法がわかりやすい事例で紹介されている。就職に悩む若者だけではなく、現役の教員の人たちにもぜひ、読んでほしい1冊だ。

《「できない大学生」たちが、なぜ、就職で引っ張りだこになったか

私はあなたをあきらめない

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自分自身の可能性に目覚めさせる『スタント・メソッド』で世界の若者を救う
 

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              マハテール元マレーシア首相とも一緒に講演


現地のマスコミでも大きな反響が。。 母国インドネシア・シンガポール・マレーシア、中国の政府や関係機関からも熱烈なラブコールを受け、それぞれの国で講演。スタント教授の教育にかける熱い思いは各国の悩める若者たちを奮い立たせた。その様子は、現地のマスメディアでも大きく取り上げられている。久しぶりに日本に帰ってこられたスタント教授に3人の学生がお話を聞いた。

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(菅野勝男氏撮影)


Q:先生の子供の頃の様子や日本に来られた経緯をお聞かせください。

A:私は幼いころ両親を亡くし、とても厳しい継母に育てられました。病弱で邪魔者扱いされ家ではいい思い出はありませんでした。家にいるのがいやだったので、朝早く登校し学校の掃除をするようにしました。そのおかげで先生やみんなにも認められるようになったので、もっと認められたいと思い、熱心に勉強しクラスメイトや近所の子供たちにも勉強を教えはじめました。しかし、高校1年になったばかりの1965年、9.30事件反共産党クーデターで、新政府が全国の中国系インドネシア人の学校を閉鎖し、私たちは教育が受けられなくなりました。仕方なく兄の電子機器の販売事業を手伝いながら、自分も修理事業を立ち上げました。そしてその事業が大成功し、兄が裕福な生活を送れるようになったので、経済的な理由から高校や大学に行けなかった私は、もっと勉強したいという気持ちを抑えきれなりました。

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エンジニア志望だった私は精巧な電子製品を作る日本に自然と惹かれ、そして、23歳で来日し、26歳の時に一般の年齢より8年遅れではありますが、ついに日本の大学に入学することが出来ました。東京農工大学で、電子工学を専攻し、東京工業大学で博士課程も修了しました。しかし、34歳を過ぎていた私には、日本での就職先はありませんでした。日本で就職する夢を諦められなくて、自分の条件をよりよくするために、もう1つの博士号を必死に挑戦して取得しました。そこで、工学・医学と2つの博士号をとりましたが、それでも日本では認めてられませんでした。日本で14年間がむしゃらに生きてきたのにまさかだめだとは。。。途方にくれていましたが、人生を再出発しようと決心し、日本がだめなら今度はアメリカしかないなあと思い、3人の幼い子供を残し、38歳で全く未知の最もレベルが高いといわれる米国の科学界に挑戦することにしました。「当たって砕けろ」の精神で、もう一度自分の人生を賭けてみることにしました。そして、幸いにも、実力を認めてくれるアメリカの大学が見つかり、念願の教職の仕事を得ることが出来ました。5年ほどアメリカで教鞭をとりましたが、東工大の恩師奥島教授の誘いがあり日本に戻って来ました。


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Q:どうしてアメリカから日本に戻ってきたのですか?そして、大学の教育改革に取り組むようになったのはなぜですか?

A:私は日本で鍛えてられて、結果的に4つの博士号を取らせてもらいました。厳しい日本社会で鍛えられたお陰で今の私はあります。素直にその日本に恩返しをしたいと思いました。
しかし、赴任した大学で8割以上の学生が授業を理解していなくてもそのままにされていることに気づき、私の授業を受けている全員のやる気を燃え上がらせて見せようと決心しました。
母国や米国での実体験や日本の社会で否定されても何度も挑戦し続けた自分の体験を語り、彼らを励まし続けました。反面、授業にはとても厳しい姿勢で臨みました。授業はほとんど英語で行い、また英語でのプレゼンも学生に要求しました。はじめは学生たちもパニックを起こしましたが、こちらの真剣な気持ちが伝わると、学生たちも少しずつ努力するようになりました。どんな若者も本人も信じられないほどのすばらしい可能性(=潜在能力)を秘めています。それを引き出してあげるのは、教育者の本気の姿勢です。大学では、やる気のある学生だけを相手にすればいいという考えがありますが、私は、誰一人として彼らを見捨てません。また他の先生にも生徒を見捨てないでほしいと思っています。



中国の大学の創立100年での記念講演
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Q:子供のころ、愛情に恵まれなかったのに、先生のその限りない生徒への愛情はどこから沸いて来るんですか?

A:私の子供時代はあまりに悲惨すぎて、他人に愛情を求めることが出来ませんでした。ただ、自然の中で遊び、生きていることに感謝するしか自分の存在意義を見出せなかったのです。しかし、子供たちに勉強を教えるうちに人に感謝される喜びを感じるようになりました。愛情は『人に先に与える』ことによって『与えられる』のです。厳しい家庭環境のお陰でそのことに気がつくことが出来ました。そしてその『先に与える愛情』には限りがありません。なぜなら、いつか必ずその気持ちが相手に伝わることを何度も経験して知っているからです。教師として教えた学生が成長していく姿を見ることほど幸せなことはありません。
私は、一人ひとりの学生がそれぞれの物語の主人公だと思っています。自分を好きになって自分らしい人生を送ってほしい。そのためには中途半端はだめです。多くの学生が涙を流すほど私の授業は厳しいので有名ですが、私は一人ひとりの学生に自分の夢を絶対にあきらめさせません。彼らの夢は私の夢でもありますから。
一見やる気のない学生ですら、本来はすばらしい可能性(=潜在能力)を秘めています。私たち教育者には、彼らの隠れた本心と真剣に向かい合って、命がけで授業に取り組む姿勢が必要です。そうすれば必ず彼らは、本当の自分を取り戻し、自分自身の夢と向かい合い、自分の物語を作っていくようになります。人に作られたのではないオリジナルの人生を生きるようになります。そしてそれは大きな自信につながり、自分をどんどん好きになり、やがて人にも優しくなります。 
 

カワン・スタント氏 早稲田大学臨床教育科学研究所所長

 

 
カワン・スタント氏:早稲田大学国際教養学術院教授早稲田大学臨床教育科学研究所所長1951年インドネシア・スラバヤ生まれ、74年に来日し、エレクトロニクス技術を学ぶ。77年に東京農工大学の電子工学科へ入学。卒業後、東京工業大学、東北大学など4つの大学で「工学」「医学」「薬学」「教育学」の博士号を取得。88年、米デュレクセル大学工学部準教授、90年、トーマス・ジェファーソン医科大学医学部準教授を兼務、93年に再来日。桐蔭横浜大学工学部教授に就任し、「学生のやる気を引き出す」教育法を確立。2003年より現職。経済産業省産業構造審議会21世紀経済産業政策検討小委員会委員を歴任、米国超音波医学会、米国音響学会、日本音響学会、日本超音波医学会などでも受賞歴あり。著書 『「できない大学生」たちが、なぜ、就職で引っ張りだこになったか』(三笠書房)が、大きな話題に。
 

海の再生に人生を賭ける

特集
 

海の破壊者から
海の救世主になったプロダイバー
 
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プロダイバーの渋谷正信さんに
グローバルコミュニティーインターン生の
ランス・トロング君がお話を聞きました
 
 
 
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渋谷正信氏プロフィール:「渋谷にできない仕事はあきらめろ」といわれるほどの潜水工事の第一人者。本四架橋、羽田空港、東京湾アクアラインなどの多くの水中工事でも活躍。最近は、長年の調査に基づいた海の再生プロジェクトで、日本国内はもとより世界でも注目を浴びている。TBS系列 情熱大陸、夢の扉に出演.また忙しい仕事の合間を縫って、教育機関での講演で海を守る大切さを伝えている。


Q:海を守る活動をするようになった経緯を教えてください。

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25歳よりプロダイバーとして働き始めたが、私は、『誰よりも長く、誰よりも深く潜る』が信条で、潜水技術と体力には、誰にも負けない自身があった。そして、32歳で潜水工事会社を設立。しかし、最初の大きな潜水工事の仕事で潜水病を発症。3ヶ月の入院生活の中で人間は弱いものだと初めて気がついた。だが、その先にもまだ人生の試練が待っていた。私が人の気持ちをあまり考えず、社員にあまりに厳しいことを要求していたために、社員全員が一度に辞めてしまったのだ。
とても情けない気持ちになり、それ以降、精神的な世界の本を読んだり、ヨガなども始めた。そこで学んだ思いやりの気持ちで日々、自然や妻と接しているうちに『静かなものの中にある強さ』『女性の強さ』を深く感じるようになった。なにも言わず支えてくれる妻にも感謝するようになり、海に潜っても忘れかけていた自然の美しさを再発見するようになった。『こんな美しい海を私は水中工事で破壊し続けていたんだ。』それまで行った過去の工事を振り返り、日々後悔の念を感じ、仕事を辞めたいと考えるようになった。

『海を守ろう!!目覚めるきっかけになったアクアラインの工事』



迷いを払拭できない状態の中で、東京湾アクアラインの仕事が始まった。最初の作業として、「風の塔」と呼ばれる換気装置を据え付けた。しばらくして、その構造物に潜水し、調査してみると、黒鯛が住みついていたのを発見した。その瞬間に今まで携わった工事後の海で魚が戻ってきていた状況が次から次と目に浮かんできた。そして気がついた。

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『水中工事のすべてが悪い訳ではない。やり方次第で魚たちが住みやすい環境を作ることができるはずだ。』 それ以降「環境と開発の両立」や「潜水を通しての心の教育」に人生を捧げる決心をした。生物については、元々専門家ではなかったため、自分で海草や魚などについて一から勉強を始めた。そして、過去に携わった現場に戻り、写真やビデオで工事の後の海を徹底的に撮影して研究した。そして、私たちが提唱する海の環境にやさしい水中工事のスタイルが、少しづつ注目されるようになり、最近はテレビなどのマスコミでも取り上げられるようにもなった。ついに自分の見てきた水中の世界の現実に光が当たりはじめのた。長年地道に活動してきて本当に嬉しかった瞬間だ。
日本の海は、今危機的状況にある。魚や貝の栄養になる海草が急激に減少しているからだ。その現状をまず出来るだけ大勢の人たちに知ってほしい。ちゃんと手当てをすれば、まだ、いろいろなところで海の再生が十分に可能だ。

Q:留学生や若い読者の人たちにメッセージをお願いします。

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私は海のテロリストだった。しかし、今は海を守ることに全精力を捧げている。今はあなた自身も環境を破壊しているかもしれない。しかし、今からでも遅くはない。どんな人にも素晴らしい聖なる心があると思う。嫌なことがあってもそれを乗り越える力だとか、人に親切にするとか、そういう心をみんな持っている。これから先、何度も失敗もすると思うし、嫌なこともあると思うけど、時には自然の美しさに触れ、できるだけ多くの人に優しい言葉を掛けて、前向きに毎日を送ってほしい。

湾岸戦争で海が重油で汚れているのを見ていたたまれず、海をきれいにしようと現地でボランテイアをした経験を持つ渋谷さん。自分が大切だと思ったことは躊躇なく実行に移す実行力。60歳になった今でも、先頭に立って自分自身も海に入っていく渋谷さんの姿勢から学ぶことは多いと思う。今私たちに望まれているのは議論でなく行動だ。

 
 
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 インタビューした学生の感想文 ランス トロング さん  オーストラリア モナッシュ大学  日本語・ジャーナリズム専攻

日本だけでなく、世界中で尊敬を受けているプロダイバーに話を聞かせていただいたのは、貴重でユニークな体験でした。若者の一人として、多種多様な経験を持っている人と会うことは勉強になり、自分のこれからの人生を考えさせられました。また、渋谷さんの環境再生の活動やそれまでの経緯を聞いた時、「単にプロダイバーの第一人者というだけでなく、社会貢献活動の第一人者でもあるんだ。」と、更に渋谷さんへの尊敬の念が深くなっていきました。現在の様々な環境問題を抱えている地球にとって、こういう人こそ救世主ではないかと思います。
 

いい体験が人や組織を変えていく

特集
キーワードは『母性』。お互いが『与え合う感覚』を何より大切に。
普通の主婦から映画プロデユーサーへ転進。初めて作った映画が日経地域情報化大賞・「日経MJ賞」を受賞。映画製作を通して人の心に火を付け、地域を再生していく越後啓子さんにお話を伺いました。
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映画のプロデューサーになるまでの経緯を教えてください

主人の仕事の関係で東京から福島県白河市に移住したとき、慣れない土地で子供がまだ小さかった専業主婦の私は、まず、子供の学校のPTA活動に参加し、町内でのコミュニケーションに努めました。次第に多くの友人知人ができ、東京での人脈を活かし、講演会やイベントを主催するようになりました。しかし、私も含めて周りは今までイベントなど主催したことのない主婦達ばかり。様々なトラブルもありましたが、素人のみんなが気持ちをひとつにして地域の人たちの応援を得ながら、何とかイベントを成功させることができました。今までそのような活動に縁のない主婦の方々が涙を流して喜ぶ姿を見て、人が持っている現場力や普段は気がつかない人の魅力を実感することが出来ました。本当にいい経験でしたね。その後、熱心な若い製作スタッフ達との出会いがあり、地域の活性化にも繋がると思い、白河市でのロケ支援を提案。制作スタッフ達の熱意も伝わり、前代未聞の地域住民とプロのスタッフとで創る、映画製作のプロジェクトがスタートしました。それを契機に映画会社を設立し、プロデューサーとして本格的に映画に関わるようになりました。

映画作りで学んだことは何でしょうか

映画を通して、製作に関わる人達全員が、自然にテーマを共有し、映像に撮られることで町が変化していく姿に感銘を受けました。今までは、どうしても変わらなかったことが映画の撮影を通じて変わっていったのです。大事なことは、技術、手法、お金だけでなく、製作に関わる人たち、一人一人のモチベーションをどれだけ上げられるかということだと実感しました。

越後さんにとって教育とは何でしょう

教育とは「いい経験」を積み重ねることだと思います。たとえば、町おこしの映画の製作でも最初は大変ですが、製作に関わる人たちが映画を作るという目的に結集すれば、町の組織自体さえ変わっていくこともあります。限られた時間の中での撮影でも変更や新しい提案が次々出てくるので、組織のルールでいちいち許可を取ったりしていては時間が間に合いません。そこで、トップの方と相談して、トップダウンで直接指示を出してもらう体勢を作りました。ある自治体では、映画の撮影がキッカケになり、その後もトップ直結のプロジェクトが増えたようです。「いい経験」をすれば人は自然と学びます。既成概念にとらわれず、とにかくやってみることですね。

教育に関して、私の心のあり方の原点は母性ですが、女性の持つ子供を生み育てていく感覚が、映画作りや組織の活性化にも大切だと思います。子育ても映画のプロデュースも予定通り行かないのが当たり前ですが、自分を犠牲にしてでも、家族のために、あるいは映画のために臨機応変に対応していく柔軟性が母性にはあると思います。男性的な社会はある意味、奪い合う社会かもしれません。しかし、母性の強い女性的な社会は与え合う社会といえるでしょう。日本のいろいろな意思決定の場所で大切なものを守るために、今後女性の与え合う感覚が必要とされてくると思います。



今後、日本に多くの留学生が増えていくことが予想されますが日本はどのように変わっていくと考えていますか

これからますます民族の移動が活発になり、特にアジアの人々との関わりが大切になってくと思います。その中で留学生達の独自の役割を作ってあげないといけないと思います。例えば、通訳でも単なる機械的なものではなく文化を超えたコミュニケーションという重要な役割を担っているのです。そのように別の視点からみて役割を与えること、工夫することが大切だと思います。

今後はどのような活動を行っていく予定ですか

今は、人それぞれが持っているキャリアに注目して活動しています。社会で長く働いた人は勿論、若い人でもそれまで生きてきたキャリアがあります。経験や年齢、性別のみで人を判断せず、ひとりひとりが持っている感性を大切に育てていける組織を作っていきたいですね。
そこでもキーワードは『母性』です。お互いが『与え合う感覚』を何より大切にしていきたいです。

地域活性・教育改革の仕掛け人

越後啓子氏 プロフィールこれまでの概念を覆す映画制作法を次々と展開。期間限定型のパートナーシップマネジメントで、地域を巻き込む手法は、ビジネス・地域活性の分野でも注目され全国からの講演依頼も多い。映像の魅力を通じて、子供達の教育環境改善を図りたいという強い願いを持つ。 洞爺湖サミット公式記念上映作品/環境映画「KIZUKI」・文部科学省2008年第20回生涯学習フェスティバル・「まなびピアふくしま」記念事業作品/映画「春色のスープ」などのプロデュースに参加。 多くの地域の特性を生かした教育改革のプログラムで活躍。今もっとも注目されている地域活性・教育改革の仕掛け人のひとりである。
インタビューした学生の感想

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三浦宏起さん 慶応大学4年 

インタビューの際、越後さんは今まで多くの自治体や地域の悩みが、映画作りを通して、解決していったとおっしゃっていました。映画作りには、人や地域を変えていく「きっかけ」になる様々な要素があるようです。「良い経験」は、悩んでいたこと、改めて実感すること、今まで意識しなかったことなどを気づかせてくれます。そして、気づきこそが新たな創意工夫を生む第一歩であると思うのです。私もこの取材活動を通じ新たな気づきを得て、皆様に提供していけるよう頑張りたいと思いました。

日本の再生はここからはじまる

特集

日本の再生はここからはじまる

No.1 No.2
留学生や日本人学生が地域の人たちと協力して新しい未来を切り開く
高島平団地、日本で一番大きく、歴史のある団地で日本の大学生と留学生が地域の活性化に目覚めて大きな問題に挑戦している。 新しい地域と大学の関わり方を探るため、このプロジェクトの発起人で、ある大東文化大学の山本教授と大学職員の井上さん、活動中の大学生、留学生や地域の人たちにお話をお聞きしました。
カテゴリ名:
国際交流のイベント参加者で記念写真
1:高島平のプロジェクトを始めようと思ったきっかけは何ですか?
(山本教授)

かつては3万人以上が住んでいたといわれる高島平団地も、今では65歳以上の高齢者の割合が35%近くになり、超高齢化団地となりつつあります。また少子化が進み今後、以前にもまして大東文化大学も地域との連携が大切になって来ています。社会全てが内向きになっている状況を大学側と地域の人たちが協力して打破しようとの思いで情報交換をスタートしたことがこのプロジェクトの始まりです。最初は関係者の賛同を得るのに苦労しましたが、触れ合う間に、少しずつ雰囲気が変わり始めました。現在は大学や文部科学省からの補助も得て、高島平団地の空室を大学側が借り上げて希望学生に家賃の一部を大学が負担する形で、留学生9人を含む学生16人が入居しています。

地域通貨「サンク」の普及活動や、団地の活性化事業や広告・出版・映像事業などの展開も計画中ですし、昨年まで学生だったスタッフ(井上温子氏 後述)も大学の職員としてプロジェクトに関わり、学生と地域の人たちが以前にもまして自主的にプロジェクトの企画、運営に携わるようになってきています。



2:住民の方々と留学生や日本人の学生たちとの関わりについてお聞かせ下さい。
(井上温子大学職員)

カフェサンクという団地の店舗スペースを利用した交流スペースが5月にオープンしました。そこで学生たちや地域の方々が自主的に様々な行事や講座を企画しています。
留学生や日本人の学生が中国語、韓国語、英語などを教え、地域の人たちは子供に絵本の読み聞かせをしたり、外国人のための日本語教室などを開催しています。全ての講座は、関わる人たちのボランティアで成り立っていますが、報酬の代わりに地域通貨「サンク」が発行されます。サンクは地域の加盟店でポイントとして利用ができますから、間接的に地域の経済的な活性化にも役立つことになりますね。


3:このプロジェクトを通してどんなことを感じられましたか?

(山本)
日本の社会が内向きになっていることですかね。自分のテリトリー以外のことは関係ないという姿勢は正さないといけないと思います。パイがどんどん大きくなる成長社会が終焉を迎えているのにまだそのことに気がついていない人が多いように思います。今、一番そのことを理解しないといけないのは学生でもなく、地域住民でもなく、大学の教員だと思います。大学は少子高齢化の大きな波を受けているにもかかわらず危機感がない。このことが一番心配していることですね。教員が学生の自主性を尊重して、どうしたらやる気を起こすことが出来るかを真剣に考えなければならないと思います。ますます、大学の枠を超えて、地域や他の大学とも連携して学生の学ぶフィールドをどんどん広げていくことが重要ですね。


4:自分の将来を決めかねている学生にメッセージをお願いします。


(山本)
損得だけで物事を判断するのではなく、本当に今の自分に重要なことは何かを自分自身に問いただしてみてください。高島平には日本の社会が抱える問題が山積しています。しかし、ここに集まった学生たちはその問題に果敢に挑戦して、失敗してもまた新しいやり方を考えて仲間たちとがんばっています。周りの大人たちも経験の少ない彼らが懸命に一つのことに取り組んでいる姿をいつまでも傍観しているわけにはいきませんよね。
カフェサンクでも志のある大人たちが学生たちをサポートする体制が出来つつあります。
一度、カフェサンクに来て見てください。きっと新しい出会いが待っていますよ。

(井上)
ここにはそれぞれの個性を活かしあって助け合える仲間が大勢います。
「自分が出来ること」で周りの人たちを幸せにする、こんなにすばらしいことが実現できる舞台がここ高島平団地にはあります。私も去年まで学生でした。協力してくれるはずの学生が急にこれなくなったり、時間をかけて行事の計画してもぜんぜん前に進まないこともたくさんあります。しかし、山本先生のおっしゃる通りとにかく前向きにがんばっていると色々な人たちとの出会いの中で不思議と道が開けてくることもありました。
一度、カフェサンクに遊びに来てください。私たちと一緒に大きな夢を共有し、その夢をいっしょにかなえていきましょう!!

大東文化大学 山本教授

カテゴリ名:
山本 孝則 教授 大東文化大学 環境創造学部 環境創造学科 やまもと・たかのり 1948年東京生まれ。81年武蔵大学大学院経済学研究科博士課程修了。89年大東文化大学経済学部講師。92年同助教授。97年同教授。01年より現職。この間に94年独ハノーバー大学客員教授。主な著作に『現代信用論の基本問題』(以下いずれも日本経済評論社刊)『不良資産大国の崩壊と再生』『環境創造通貨』(共著)などがある。 山本先生が主宰する「環境創造学と環境創造通貨サンクのページ」の URLはコチラ ↓ http://members.at.infoseek.co.jp/tyamamoto/

私塾が日本を救う!!

特集
 
人のために流す涙は自分に勇気を与える
出会いは人生を加速する 
 
                  
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私はこうして46歳から英語をモノにした

46歳から一念発起して英語に再挑戦した山元氏は、語学力を身につけたことで性格まで変わり、明るく積極的な人間になった。今からでも遅くない語学征服のカギやアイディアを、ユニークな語り口で披露してくれます。山元氏いわく、『いい加減だから良いのだ。何事も完璧を求めない』。まずは、生き方を変えること。転機を逃さずに、21世紀対応型人間になれば、英語は自然についてくる。人生を楽しみながら、遊びながら英語がいつの間にか上達する、山元式超簡単・英語習得法を伝授します。

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山元学校が101回目を迎えました

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感動を与える動画サイト wajju  山元学校での大使のお話も聞けます
http://www.wajju.jp/clips/list/wajju.php?search_keyword=%E5%B1%B1%E5%85%83%E5%AD%A6%E6%A0%A1


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各国の来賓の方もお祝いに駆けつける

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外国人の来賓にも拍手をあびた だいじょうぶの歌

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EARTHST のイベントにも山元学校が協力
 
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「努力は苦し、されどその実は甘し」(野口英世博士)
Patience is bitter but its fruit is sweet
(Dr. Hideo Noguchi)


社会変革の時代を迎え、加速度的にパワーアップする平成の松下村塾、山元学校。65歳になった今も走り続ける山元雅信氏にインタビューしました。

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山元学校を始められた動機は何ですか?

海外から帰ってきたときに、無気力、無感動の精彩のない日本人が多くなっていたのに気づいて、何かしなければと考えていた矢先、瀬島龍三さん(昭和の参謀と言われた元伊藤忠会長)の「幾山河」の出版記念パーティで「自分の会社だけでなく日本人や日本の国づくりも心配りして欲しい」と直接言われました。そして、「私塾が日本を救う」という本も3度読んで、やってやるぞという気持ちも固まっていたちょうどその頃、学生たちから講演依頼などがあり、またその反響もあったので、月に一回、講演を聴いた学生たちとの「再会の場」として山元学校が始まりました。初めは体験談を話していましたが、だんだん賛同者が応援に駆けつけてくれ、たくさんの素晴らしい人が次々に話をする、現在の形に自然となっていきました。現在私は進行役に徹しています。

学生時代どんな学生でしたか?

優秀な兄たちと自分を比べて、とても劣等感が強く自分に自信を持てない人間でした。
大学2年までは、英語や海外インターンのサークルでも活動をしていましたが、今の妻に会いそれもやめて、いつも彼女といっしょにいましたね。彼女なしでは生きていけないような運命的な出会いを感じたので、卒業後すぐに結婚しました。

どのように自分を変えていったのですか?

卒業後もなんとなく仕事をしていたのですが、31歳の時にノルウェーに赴任することになりました。英語にも仕事にも自信がない私が送られたのは会社としての受注実績もない国で、左遷のようなものでした。
その私が変わったのは雑誌のある記事がきっかけです。ある日、知り合いから日立造船の記事が当時の朝日ジャーナルに載っていると聞き、その記事を読みました。造船の仕事が減り、工場の社員の家庭が次々に崩壊しているという記事でした。自分の仲間が大変な状況にあることを知り、号泣して3時間ぐらい涙が止まりませんでした。
そして私は決心しました。うまくいかない理由を他人のせいにしていた自分を改め、
日本にいる仲間のためにも頑張ろうと。
しかし、周りは実績のある企業ばかり。私は受注するために必要な情報は、何でも集めるようと走り回りました。船主(船を発注する人)が必要な荷主(船に積む荷物を発注する人)の情報収集や金融機関の条件まで、自分のところに情報が集まってくるような仕組みも作りました。一時は業界紙の情報の出所の7割近くが自分だったこともあります。会社に頼ることが出来なかった私は、自分独自の情報ネットワークを作り、最後には市場の85%までを独占することが出来るようになったのです。


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講演などでどんなことを日本人学生や留学生に伝えていますか?

どんな状況でも自分を諦めないこと。特に今まで挫折を知らずに人生を歩んで来た人たちは逆境に弱いところがあります。人生、勝負は、20代でも30代でもありません。
40代、50代でもそれで人生が終わるわけではありません。私は現在65歳ですが、まだまだ新しいことに果敢に挑戦しています。
山元学校には、目を輝かせて、世の中のために役に立つことをやってやるぞと
訴える人が大勢集まります。そこで、いろいろな人との出会いがあります。
年齢も中学生から、80歳前後のシニアの方までと幅広く、毎回各国大使のスピーチがあり、参加者も国会議員、企業経営者、歌手、ダンサー、芸術家、公務員、医師、エンジニア、メディア関係者など様々です。学生さんも大勢集まっていて、年代を超えた交流が本音で出来る雰囲気がありますのでぜひ一度参加してください。

外国人の人たちも増えてきましたがこれから日本はどうなって行くと思いますか?

いろいろな文化を持つ人たちと一緒に暮らしていくことは大変重要なことです。近い将来、日本もアメリカやフランスのように移民大国になっていくのは間違いないでしょうね。国際結婚という概念もなくなるかも知れません。お互い交わりあってみんなオバマさんのような顔になっているかもしれませんね。

先生の一番好きなことばは何ですか?

『出会いは人生を加速する』ですね。人はいろいろな人と出会い、学びあって成長していくものだと思います。ひとつの出会いが人生を大きく変えていくこともあります。
山元学校でも今まで本当の多くに人たちの運命的な出会いに遭遇してきました。

最後に、これから就職活動をスタートする学生たちにアドバイスをお願いします。

面接官は将来伸びる人を採用しようと思っていると思います。
どういう人が伸びていくと思いますか?考えてみてください。
伸びる人は、素直で、明るく、愚直な人です。素直な人は、どんどん知識や意見を取り入れていきます。明るい人には情報が集まります。愚直な人は単純なことでもやり続けられます。また、時代はIQからEQになり今はHPの時代になったと思います。HPとはHorse Power すなわち馬力です。大きく世の中が変わっていく時代は、頭のよさというより、人からものを吸収し、加速度的に成長する力が必要です。それがまさに『出会いは人生を加速する』ということですね。
 
 
 

山元学校塾長:山元雅信氏プロフィール:

 
 
日立造船(株)時代、赴任先の北欧でマーケットシェア85%を達成させ、神話を作り上げる。入社18 年後カーナーズ・エクスポジション・ジャパン(株)にヘッドハントされ、アジア最大の国際産業見本市を立ち上げ、成功に導く。その後、セガにヘッドハントされ、サードパーティ売上げ10倍、北米売上げ倍増を達成、マーケットシェア63%など数々の記録を打ち立てる。現在は、「Break Through Consultant」という新しい国際ビジネスコンサルタントとして多数の企業のアドバイザーをつとめ、各種新規事業に取り組む。年間100回をこえる講演活動と就筆活動を精力的に展開。二国間の学生会議を30以上の大学生たちと設立。2008年4月より各国大使のインタビュー記事を載せた、産・官・学を結ぶ環境新聞「BLUE EARTH」を発行。毎月18日開催の山元学校は今年100回目を迎えた。 http://yamamotogakko.jp/
 
 
 
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( インタビューした学生の感想 )

今回の取材で、私は多くの事を教えていただきました。その中で、印象に残っている言葉が『出会いは人生を加速する!』です。人と出会う事は、その人間の人生と交じわる事で、自分の人生の幅が広がるという意味でした。まさに、多くの苦労と出会いをなさった山元先生らしい名言だと思います。
私も、オリンピックボランティアをキッカケに多くの人々と出会い、たくさんの影響を受けて来ました。この言葉で、自分が感じていた事が確信に変わりました。
最後に、山元先生と出会えた事を感謝し、山元学校で多くの事を学び、多くの人々に出会って、自分を磨きたいです。(大東文化大学 環境創造学科 3年 新井 誠)

学生たちより山元先生へのお祝いの言葉

山元学校が100回目を迎えたとのこと、心よりお慶び申し上げます。
山元先生とはアイセックという学生団体の活動の中で知り合う機会があり、以来何かにつけてお世話になっております。初めてお会いした際に議論が弾み、昼に来訪したのが夜半過ぎまで滞在することになったのを昨日のことのように覚えています。山元先生を見ているとその行動力、フレッシュさに圧倒させられる一方で、次世代を担う人間の一人として
自分も負けていらない、という気持ちになり、その存在が非常に励みとなっています。
山元学校は、そんな山本先生の持つ魅力に惹かれた人たちがつながり、新たなアクションを起こす場として、非常に大きな意味を持っていると確信しています。山元学校の元に集まった人達が地域・世代・国境を超えて、社会に対し『これはすごい!』と言わせるような素晴らしいものを生み出していく、いつまでもその様な素晴らしい空間であり続けることを願っています。(東京大学法学部 嶋田庸一)

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山元先生との出会いは2年前、今までお会いした方の中でも群を抜く先生のバイタリティに、LEAFメンバー一同圧倒されておりました。
その後先生にはLEAF日本実行委員会の顧問の就任して頂き、どれだけお世話になったことか。先生の豊富な人脈を数多くご紹介頂き、いつも本当に感謝しております。
そして、迎えた山元学校100回記念。LEAFメンバー一同より花束を送らせて頂きましたが、いつも通り活発な先生には花束がかすんでしますほどのオーラがありました。
今後もお身体にはお気をつけ下さいませ。200回、300回といわず、いつもの先生らしく1,000回くらいを目指して頂ければと思います。
20年後にも同じ姿で僕達の前に立っていることが容易に想像できますね。いや、実は30年後でしょうか(笑)
最後になりましたが、改めて山元学校100回記念おめでおうございます。今後とも末永くLEAF日本実行委員会をよろしくお願い致します。
LEAF(東アジア国際学生フォーラム) 日本実行委員会一同》

心のバリアフリー 成田真由美選手

特集
パラリンピックの開催で東京を障害者にも優しい街にしよう!!
心のバリアフリーパラリンピックの開催で東京を障害者にも優しい街にしよう!!昔は水泳が苦手だったというパラリンピック水泳の金メダリスト成田真由美さんにお話をお聞きしました。
Q:成田さんはよく学校で講演をされるとお聞きしましたが、どんなことを子供たちに伝えていますか?

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A:ひとつは、簡単にあきらめないこと。あとは仲間を大切にすることですね。私は子供のころはプールが大嫌いでした。その私でも泳げるようになって、金メダルを取る目標を持ってからは最後まであきらめませんでした。だから誰でもあきらめなければ必ず出来ると思います。トレーニングはつらいですが、プールサイドには応援してくれる仲間がいます。その姿を見ると仲間のためにも頑張ろうという気が起こりますよね。

Q:成田さんは、大きな手術や入院を繰り返してもそのたびに、驚異的に復活して活躍されていますが、そのエネルギーはどこから来ていますか?

A:私の場合はいつもどんなアクシデントがあってもその苦しさの後に、必ずそれ以上のいいことが待っていると信じています。だからいつも諦めませんでした。逆に苦しいことがあれば、またその後にいいことが待っていると希望を持ってその苦しさと付き合っていくことが出来ました。

Q:パラリンピックでの思い出に残るシーンや出来事は何ですか?

A:アトランタとシドニーのパラリンピックで競い合ったドイツのカイ・エスペンハイン選手は、すばらしいライバルであり親友でもありました。ある時、彼女が危篤状態と知りましたが、私自身も入院中で動くことも出来ず仕方なく、5日で急いで折った千羽鶴をカイのお母さんに送りました。しかし、千羽鶴が届いたのは彼女の死の1日後でした。34歳志半ばで亡くなった彼女のためにも、また頑張ろうという気持ちになりましたね。パラリンピックの大会の後、ドイツにあるカイの墓をたずね、彼女が得意としていた背泳ぎで獲得した金メダルを墓前に供えて来ました。私が水泳を続けてこられたのもカイのようなよきライバルにめぐり会えたからだと感謝しています。カイは私の心の中で今も生きている永遠のライバルですね。

Q:東京にパラリンピック・オリンピックを呼ぶためには何が大切だと思いますか?

A:『心のバリアフリー』ですかね。障害を持つ人たちへの考え方を変えてほしいと思います。障害者は日本ではまだまだ活動が限定されています。実は私は健常者の水泳大会にも出ていますが、前例がないといわれ最初は出場できませんでした。しかし、前例がないのであれば私が作ろうと思い挑戦し続け、今では参加できるようになりました。最初はいつも最下位でしたが、出場しているうちにだんだんと順位も上がってきました。ある時、泳ぎ終えた後観客席から拍手が沸きあがったのですが、障害者というより、単なるアスリートとして拍手をしてもらったように感じて、本当にうれしかったですね。
この頃小中学校でも、障害者の生徒が健常者の生徒といっしょに学んでいるところがありますよね。そんな学校では私が講演にいっても子供たちはじろじろ見ることもなく、普通に対応します。出来れば一度、競技として障害者のスポーツを見てもらえればいいと思います。障害者の大会でも同じようにスポーツとして十分に楽しめますよ。

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心のバリアフリー。障害者の人でも、外国人の人でも自分とは少し違うと思っても積極的に受け入れることが大切だと思います。そしたらもっと心が豊かになりますね。
「私は人との出会いに恵まれています。」という成田さん。とっても明るく、何事においても積極的な人で、お話しているだけで周りを明るくするひまわりのような人でした。すばらしいお話ありがとうございました。

成田真由美さんプロフィール

神奈川県川崎市出身のパラリンピック水泳選手。アトランタ、シドニー、アテネ、北京と4大会連続出場し、合計15個の金メダルを獲得(うち13個は世界新記録付)。その圧倒的な強さから「水の女王」と呼ばれる。水泳以外のスポーツは万能の少女時代をおくるが、中学生のときに 横断性脊髄炎を発症、下半身麻痺となり以後、車椅子生活をおくる。趣味は料理とドライブ。障害者への理解を求め、全国各地で講演活動も行っている。1997年には勤務する日本テレビの番組「24時間テレビ」の中で、鹿児島県錦江湾で12キロの遠泳に挑戦。8時間かけて完泳した。大きな手術や長期の入院を繰り返しながらも、そのたび毎に困難を新しいエネルギーに変えて、周りの人たちさえも元気にしてしまうスーパーアスリート。

みんなで東京にオリンピックを呼ぼう!!

特集
2016年東京オリンピックを望む学生の会
2006年からオリンピック招致の運動に積極的に関わっている学生団体
テレビで見た石原都知事の、『未来の若者のために東京で2016年にオリンピックをやりたい』という話を聞き、当時の大学生有志が学生という立場を生かし、オリンピックのPRをしようと2006年に立ち上げた団体。オリンピック招致の署名活動をしたり、オリンピックの記念の場所をめぐるツアーをしたりしながら、学生らしい招致活動の草の根ムーブメントを起こしていく為の活動をしている。オリンピックの招致関連のボランティアも努めた森崎さんと大友君に話を聞いた。
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「スポーツの力」をオリンピックで体感したい! オリンピックキャラバンで東京から福岡まで2ヵ月半かけて各地を訪問。主に大学や学生団体、NPOなどを訪問し、77日間で6,089kmを移動しながら、今回の環境や障害者の人たちに配慮した新しいかたちのオリンピックを訴えた



学生の会の皆さんが行った、オリンピックキャラバンについて教えてください。


2007年12月1日の出発式には、元ノルディックスキー競技選手で金メダリストの荻原健司さんが駆けつけてくださり、旅先では北京オリンピッ ク トランポリン日本代表の廣田遥選手、アテネオリンピック 水泳銀メダリストの山本貴司さん、阪神タイガースの若竹竜士選手など、数々のアスリートの方々にお目にかかりました。また大学やNPO、議員の方まで幅広 い分野の2000名以上の皆さんと交流させていただきました。

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 こうした活動を地元のラジオや新聞に取り上げていただくことで、私たちのオリンピックに対する想いを日本全国の皆さんに届けると共に、地方に住む皆さんが抱いている想いを直接うかがうこともできました。とても学ぶことの多いオリンピックキャラバンだったと思います。




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右:森崎さん 左:大友さん

森崎さんは外国人との関わりがこの運動に関わる
きっかけになったということですが。


サッカーW杯の時の出会いで、私の人生は大きく変わりました。
当時私は中学2年生だったのですが、お台場で私が今まで見たことがないフェイスペインティングをした楽しそうな外国人の人を大勢見たんです。お祭りのような雰囲気だったの
習いたてのつたない英語でその人たちに話しかけたんです。そのつたない英語を外国人の人たちは一生懸命聞いてくれてとっても楽しかったんですね。楽しそうな皆さんの仲間になれたようで、外国人の人との出会いが私の人生を変えたと思います。
この運動に関わってオリンピックを日本、東京で行うことが出来れば、子供たちにも私に起こった出会いを作ってあげることが出来ると思います。
東京オリンピックをきっかけに、そこから新たにたくさんの夢が生まれてほしいですね。

大友さんが学生の会に関わって感じることは何ですか?

この運動に関わるまでにいろいろな人権活動や環境イベントに参加したことがあったのですが、自分の好きなスポーツと関わりながら社会的な活動をしたいと思ったんです。
今回の東京オリンピック招致には環境問題に対する明確な提言があって今までのオリンピックとは少し違った側面も持っています。環境問題は一人ひとりが関わっていかなければいけない世界の共通の問題だと思います。2016年に東京でオリンピックが行われれば、世界中のみんなが環境問題に対してもっと関心を持って前向きに取り組む気持ちが沸いてくると思います。


全人類が直面する環境問題に正面から取り組んでいる
東京オリンピックの招致運動を応援していきましょう!!




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http://www.2016tokyo.jp/
http://www.tokyo2016.or.jp/jp/news/2008/04/2016_1.html


アジアのためのオリンピック  留学生も東京オリンピックの招致を応援

今どうして通訳ボランティアガイドなのか?

特集
ボランティアガイドという仕事について
 
 
思いやりのある言葉は短く簡単なものであっても、
その反響はじつに無限である。(マザー テレサ)
Kind words can be short and easy to speak,
but their echoes are truly endless.(Mother teresa)
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今どうして通訳ボランティアガイドなのか?

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世界は今、急速な国際化社会に向かって、突き進んでいます。日本も例外ではありません。大都市圏では、国際結婚のカップルが10組に1組を数え、いろいろな国から来た留学生や働く外国人の人たちを目にすることも珍しくなくなりました。しかし、一般的にはまだまだ日本に住んでいる外国人の人たちと親しく付き合っている人は少ない状況です。ましてや海外からの観光客との接点などはほとんどない人が大半ではないでしょうか。
ここ数年は1700万人以上の日本人が海外に旅行やビジネスで渡航しています。そこで多くの人たちは現地の普通の人たちの『やさしさ』や『思いやり』の気持ちに感銘を受けて帰国しています。

けっして、日本と比べると豊かとはいえない国の人たちがいきいきと生活していて、外国から訪れている自分たちを歓迎してくれる。

そろそろ、私たち日本人もこころをオープンにして、日本に住んだり、訪れたりしている外国人の人たちを暖かく迎え入れる必要があるのではないでしょうか。通訳ボランティアガイドの業務はその歓迎の気持ちを伝えていく大切な使命を持っています。
 
ボランティアガイドという仕事について

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皇居東御苑大手門にて

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明治神宮参道にて


東京シテイガイドクラブの深谷さんに通訳ボランティアガイドについてお聞きしました。

通訳ボランティアガイドを始めた動機は何ですか?

私もそうですが、多くの通訳ボランティアガイドの皆さんは海外で外国の人たちに親切にしてもらった経験を持っています。その親切に日本に来る外国人の人たちを案内することで恩返しをしていこうという気持ちで活動されている人が多いですね。

東京シティガイドクラブはどのようなブラブですか?

この東京シティガイドクラブは『東京シティガイド検定』という試験に合格した人たちの有志が集まって出来たクラブです。最初は得意の分野別に分かれて研修や勉強会をすることから始めました。勉強会を続けるうちに『東京』という大都市についてもっと勉強してみたいという気持ちがわいてきました。みんなで街を歩きながら東京の持つ歴史、文化、風土に直に触れることの楽しさ、メンバー同士の交流もとても楽しくて知的な満足感も得ながら外国人観光客の人たちにも喜んでもらえるすばらしいクラブです。


外国人の観光客はどのように案内するのですか?

勉強会で知識をつけ、自信が持てるようになると、次はこの喜びを少しでも他の人たちにも伝えてあげたいと思うのは自然の成り行きだと思います。現在は23のモデルコースを作り海外の人たちを案内しています。観光客だけではなく、在日の外国人、留学生の団体など日本に住んでいる外国人の人たちを案内することも多いのですが、日本の文化についてあらためて感じることの出来る体験が出来たととても喜んでもらっています。

東京観光を通じた文化交流本当に楽しいですよ。こんなに楽しく、知的で、語学の上達にもなる経験はなかなか他では体験できないと思います。
新しい『東京の魅力』も発見できるし、日本の文化に対してもっと興味も沸いてくると思います。また一番うれしいことは、案内した人たちが本当に喜んでくれることですね。
人にこんなに喜んでもらえることが身近に出来て、文化交流にもなる。通訳ボランティアガイドって本当に楽しいですよ!

メンバーはシニア層や社会人がほとんですが、若い人たちも十分に楽しめますので、外国人の友人を誘って一度ツアーに参加してみてください。そして一度、あらためて『東京』を外国人の人たちと一緒に体験してみてください。
(注:日本人の方だけでの外国語での案内はしていませんので、必ず外国人の人たちと一緒に参加してください。)

あと、外国人で困っている人を見たらぜひ声を掛けてあげてください。
その一言が相手にとってどんなにうれしいことか、ほんの一言でその国の印象が大きく変わることもありますから。

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NPO 法人 東京シティガイドクラブ事務局
〒113-0024 文京区西片1-15-15
春日ビジネスセンタービル10F  (東京観光財団内)
TEL・FAX 03-6912-1518
http://tcgc.5.pro.tok2.com/index.html
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観光庁でインターンとして活躍する留学生

特集
『住んでよし、訪れてよし』の国づくりを目指して
観光庁で2008年12月より3ヶ月の予定で中国、韓国、アメリカ、イギリスの選ばれた留学生たちが、インターン(行政体験研修)をしている。『開かれた観光庁』を目指す取り組みの一環として外国人の視点を観光行政に活用し、外国人留学生のキャリア形成支援や観光行政に対する理解を深めてもらうのが目的だ。
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中国、韓国、アメリカ、イギリスの選ばれた留学生たちへのインタビューはこちら
観光庁の業務に関連する以下の課題について、観光庁職員からのレクチャーや関係者へのヒアリングを交えつつ研究を行います。

(1)外国人観光客の受入のための環境づくり(観光地域振興課)
関東エリアにおいて、外国人観光客に人気のあるモデルルートを選定し、その受入体制が、外国人観光客にとって「理解しやすく」、「使いやすいもの」であるかとの観点からの研究を行う(12月に実施予定の「外国人によるひとり歩き点検隊」にも参加)。

(2)在留外国人の視点からの観光プロモーション手法の開発(国際観光政策課)
我が国に住む外国人のネットワークを活かした観光プロモーション手法や、日本人が気づいていない外国人に評判の観光スポット等の発掘など、在留外国人の視点からの観光プロモーション手法の研究を行う。

(3)観光プロモーション手法の比較研究を通じた戦略策定(国際交流推進課)
日本に事務所を置く各国政府観光局へのインタビュー、インターネットによる情報収集、文献調査等を通じ、日本と外国の観光プロモーション手法に関する比較研究を行う。

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『観光とは自分の生活文化にほこりを持つこと。
住んでいる人たちが楽しそうに暮らしているのを見て観光客が集まってくる。』



島田 晴雄氏 千葉商科大学学長 
観光立国推進会議ワーキンググループメンバー


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1943年生まれ。慶應義塾大学大学院修了後、米ウィスコンシン大学で博士号(労働経済学)を取得。以後、MIT(マサチューセッツ工科大学)、フランスESSEC(経済経営グランゼコール)の客員教授を歴任。OECDやILOのアドバイザーを務めるなど、わが国有数の国際派エコノミスト。政府税制調査会特別委員、観光立国懇談会委員、内閣府特命顧問なども歴任。学術研究の傍ら、新聞、雑誌、テレビなどでも活発な言論活動を行っている。著書は『雇用改革 「雇用の質」を改善せよ』(共著)(東洋経済新報社 2007年)『成功する!「地方発ビジネス」の進め方』(かんき出版 2006 年)など多数。


外国人の留学生の活用について:

『外国の文化を理解している人たちが観光産業に入るといい。研修実習制度をもっと今以上に業界団体も取り入れるといいであろう。』

学生へのメッセージ:

『外国人の留学生は問題意識があるからいいが、日本人の学生は問題意識がない人が多い。』『これから、日本人の活動の中心はますます海外になっていく。海外を見ないような
学生はこれから生きていけない。外国人の友達もいっぱい作って英語だけではなく
中国語やスペイン語も勉強しよう。そして世界に出て行こう!!』

中国、韓国、アメリカ、イギリスの選ばれた留学生たちへのインタビューはこちら