心のバリアフリー 成田真由美選手
パラリンピックの開催で東京を障害者にも優しい街にしよう!!
心のバリアフリーパラリンピックの開催で東京を障害者にも優しい街にしよう!!昔は水泳が苦手だったというパラリンピック水泳の金メダリスト成田真由美さんにお話をお聞きしました。
Q:成田さんはよく学校で講演をされるとお聞きしましたが、どんなことを子供たちに伝えていますか?
A:ひとつは、簡単にあきらめないこと。あとは仲間を大切にすることですね。私は子供のころはプールが大嫌いでした。その私でも泳げるようになって、金メダルを取る目標を持ってからは最後まであきらめませんでした。だから誰でもあきらめなければ必ず出来ると思います。トレーニングはつらいですが、プールサイドには応援してくれる仲間がいます。その姿を見ると仲間のためにも頑張ろうという気が起こりますよね。
Q:成田さんは、大きな手術や入院を繰り返してもそのたびに、驚異的に復活して活躍されていますが、そのエネルギーはどこから来ていますか?
A:私の場合はいつもどんなアクシデントがあってもその苦しさの後に、必ずそれ以上のいいことが待っていると信じています。だからいつも諦めませんでした。逆に苦しいことがあれば、またその後にいいことが待っていると希望を持ってその苦しさと付き合っていくことが出来ました。
Q:パラリンピックでの思い出に残るシーンや出来事は何ですか?
A:アトランタとシドニーのパラリンピックで競い合ったドイツのカイ・エスペンハイン選手は、すばらしいライバルであり親友でもありました。ある時、彼女が危篤状態と知りましたが、私自身も入院中で動くことも出来ず仕方なく、5日で急いで折った千羽鶴をカイのお母さんに送りました。しかし、千羽鶴が届いたのは彼女の死の1日後でした。34歳志半ばで亡くなった彼女のためにも、また頑張ろうという気持ちになりましたね。パラリンピックの大会の後、ドイツにあるカイの墓をたずね、彼女が得意としていた背泳ぎで獲得した金メダルを墓前に供えて来ました。私が水泳を続けてこられたのもカイのようなよきライバルにめぐり会えたからだと感謝しています。カイは私の心の中で今も生きている永遠のライバルですね。
Q:東京にパラリンピック・オリンピックを呼ぶためには何が大切だと思いますか?
A:『心のバリアフリー』ですかね。障害を持つ人たちへの考え方を変えてほしいと思います。障害者は日本ではまだまだ活動が限定されています。実は私は健常者の水泳大会にも出ていますが、前例がないといわれ最初は出場できませんでした。しかし、前例がないのであれば私が作ろうと思い挑戦し続け、今では参加できるようになりました。最初はいつも最下位でしたが、出場しているうちにだんだんと順位も上がってきました。ある時、泳ぎ終えた後観客席から拍手が沸きあがったのですが、障害者というより、単なるアスリートとして拍手をしてもらったように感じて、本当にうれしかったですね。
この頃小中学校でも、障害者の生徒が健常者の生徒といっしょに学んでいるところがありますよね。そんな学校では私が講演にいっても子供たちはじろじろ見ることもなく、普通に対応します。出来れば一度、競技として障害者のスポーツを見てもらえればいいと思います。障害者の大会でも同じようにスポーツとして十分に楽しめますよ。
心のバリアフリー。障害者の人でも、外国人の人でも自分とは少し違うと思っても積極的に受け入れることが大切だと思います。そしたらもっと心が豊かになりますね。
「私は人との出会いに恵まれています。」という成田さん。とっても明るく、何事においても積極的な人で、お話しているだけで周りを明るくするひまわりのような人でした。すばらしいお話ありがとうございました。
A:ひとつは、簡単にあきらめないこと。あとは仲間を大切にすることですね。私は子供のころはプールが大嫌いでした。その私でも泳げるようになって、金メダルを取る目標を持ってからは最後まであきらめませんでした。だから誰でもあきらめなければ必ず出来ると思います。トレーニングはつらいですが、プールサイドには応援してくれる仲間がいます。その姿を見ると仲間のためにも頑張ろうという気が起こりますよね。
Q:成田さんは、大きな手術や入院を繰り返してもそのたびに、驚異的に復活して活躍されていますが、そのエネルギーはどこから来ていますか?
A:私の場合はいつもどんなアクシデントがあってもその苦しさの後に、必ずそれ以上のいいことが待っていると信じています。だからいつも諦めませんでした。逆に苦しいことがあれば、またその後にいいことが待っていると希望を持ってその苦しさと付き合っていくことが出来ました。
Q:パラリンピックでの思い出に残るシーンや出来事は何ですか?
A:アトランタとシドニーのパラリンピックで競い合ったドイツのカイ・エスペンハイン選手は、すばらしいライバルであり親友でもありました。ある時、彼女が危篤状態と知りましたが、私自身も入院中で動くことも出来ず仕方なく、5日で急いで折った千羽鶴をカイのお母さんに送りました。しかし、千羽鶴が届いたのは彼女の死の1日後でした。34歳志半ばで亡くなった彼女のためにも、また頑張ろうという気持ちになりましたね。パラリンピックの大会の後、ドイツにあるカイの墓をたずね、彼女が得意としていた背泳ぎで獲得した金メダルを墓前に供えて来ました。私が水泳を続けてこられたのもカイのようなよきライバルにめぐり会えたからだと感謝しています。カイは私の心の中で今も生きている永遠のライバルですね。
Q:東京にパラリンピック・オリンピックを呼ぶためには何が大切だと思いますか?
A:『心のバリアフリー』ですかね。障害を持つ人たちへの考え方を変えてほしいと思います。障害者は日本ではまだまだ活動が限定されています。実は私は健常者の水泳大会にも出ていますが、前例がないといわれ最初は出場できませんでした。しかし、前例がないのであれば私が作ろうと思い挑戦し続け、今では参加できるようになりました。最初はいつも最下位でしたが、出場しているうちにだんだんと順位も上がってきました。ある時、泳ぎ終えた後観客席から拍手が沸きあがったのですが、障害者というより、単なるアスリートとして拍手をしてもらったように感じて、本当にうれしかったですね。
この頃小中学校でも、障害者の生徒が健常者の生徒といっしょに学んでいるところがありますよね。そんな学校では私が講演にいっても子供たちはじろじろ見ることもなく、普通に対応します。出来れば一度、競技として障害者のスポーツを見てもらえればいいと思います。障害者の大会でも同じようにスポーツとして十分に楽しめますよ。
心のバリアフリー。障害者の人でも、外国人の人でも自分とは少し違うと思っても積極的に受け入れることが大切だと思います。そしたらもっと心が豊かになりますね。
「私は人との出会いに恵まれています。」という成田さん。とっても明るく、何事においても積極的な人で、お話しているだけで周りを明るくするひまわりのような人でした。すばらしいお話ありがとうございました。
成田真由美さんプロフィール
神奈川県川崎市出身のパラリンピック水泳選手。アトランタ、シドニー、アテネ、北京と4大会連続出場し、合計15個の金メダルを獲得(うち13個は世界新記録付)。その圧倒的な強さから「水の女王」と呼ばれる。水泳以外のスポーツは万能の少女時代をおくるが、中学生のときに 横断性脊髄炎を発症、下半身麻痺となり以後、車椅子生活をおくる。趣味は料理とドライブ。障害者への理解を求め、全国各地で講演活動も行っている。1997年には勤務する日本テレビの番組「24時間テレビ」の中で、鹿児島県錦江湾で12キロの遠泳に挑戦。8時間かけて完泳した。大きな手術や長期の入院を繰り返しながらも、そのたび毎に困難を新しいエネルギーに変えて、周りの人たちさえも元気にしてしまうスーパーアスリート。