努力と感謝の気持ちで自分の道を切り開こう 外国人看護士の挑戦

  • 2010/07/29 15:13
特集
看護師候補生の挑戦する気持ちと彼らを本当の家族のように支えた人たちの思いが奇跡を生んだ。
 
 
 
 
『あいうえお』からスタートしてわずか2年足らずで日本の看護師国家試験に奇跡的に合格したインドネシア人看護師リア・アグスティナさんとヤレド・フェブリアン・フェルナンデスさん。多くのEPA(経済連携協定)で来日している看護師・介護福祉士候補生のみならず、彼らを日々サポートしている関係者にも大きな勇気を与えた。

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《インドネシアの2人が看護師国家試験に合格!!》

レイクランド大学ジャパンキャンパスに通う中国(モンゴル自治区)の留学生スチントヤさんがお二人にお話をお聞きしました。

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Q1:看護師国家試験に合格本当におめでとうございます。短期間の準備での合格で多くの日本人も驚いていますが、どのように勉強をしたのですか?

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A1:(リアさん)日本に来てまだ2ヶ月の時、病院の人たちが本番の国家試験の問題を見せてくれたんですね。その当時はほとんど読むことすら出来ませんでした。他の多くの候補生はやる気をなくしていましたが、私は同じ人間だから出来ないことはないと思い、一人でも合格してみせると心に誓いました。6ヶ月の日本語の集中トレーニング終了後、午前中は病院で看護アシスタントとして勤務し、午後からは病院の中で先生について勉強をしました。漢字を覚えるには時間がかかりますが、見て、意味を理解することに集中し、書く練習はあまりしませんでした。
私たちをサポートして下さった先生達も本当に親切、丁寧に教えてくれました。日本語も練習問題を解きながら、実践的に勉強していったので、効率もよく、飽きることなく勉強を続けることが出来ました。わからないことはその場ですぐ聞いて、覚えるようにしました。また不得意な科目は先生達がやさしく問題の解説をしてくれました。これもとても助かりましたね。しかし、日本語も覚えながらの授業だったので、先生達は私たちを教えることはとても大変だったと思います。本当に有難うございました。

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(フェルナンデスさん)最初は本当に大変でしたが、リアさんの頑張る姿に励まされました。新潟県三条市の三之町病院に来てからは、午前中は勤務、午後からは院長先生はじめ、多くのスタッフの方々から国家試験の勉強について徹底的に教えてもらいました。とにかくたくさんの問題を解くことを心がけました。勉強の毎日でしたが、多くのスタッフの方々が私たちのために忙しい時間をさいてくれたので、私たちも勉強が仕事だと思い、日々工夫しながら合格するための効率のいい方法を考えました。6ヶ月の集中研修後は、日本語の勉強を別にしている時間はありませんでしたので、病院の先生と相談して、試験問題を解くことに集中し、日本語は問題を解きながら必要に応じて覚えていくことにしました。結果的にはこれがよかったみたいで、5年分の過去問題を解く練習をすることが出来できました。日本語勉強の不足分は、いつも辞書を持ち歩き、わからないことはすぐ辞書を引いて覚えて、その表現を出来るだけ使うようにして補いました。
日本語を話し、日本語で考える環境にいること自体が勉強で、日々上達が実感でき面白かったです。

Q2:サポートしてくれた新潟県三条市の三之町病院はとても家庭的な雰囲気だったようですね。

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《ボーリング大会》  

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《病院の皆さんとバーベキュー》

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《お世話になった担当者の樋口博一さんと》


A2:(フェルナンデスさん)鎌田院長先生の“私はあなた達の日本のお父さんだから遠慮しないで何でもいいなさい。”という言葉でとても安心して新潟の生活をスタートすることが出来ました。病院のスタッフの人たちも同じようにとても暖かく、時には厳しく本当の家族のように接してくれました。皆さんのお陰で安心して生活が出来、勉強に集中することが出来ました。
休みの日には、私たちが寂しくならないように、他のインドネシアの候補生が住む町に連れて行ってくれたり、ボーリングやバーベキューにも誘ってもらって勉強以外にも楽しいことがたくさんありました。剣道やバレーボールのクラブ活動もいいストレス解消になりましたね。国家試験に合格でき、私たちのために一生懸命サポートしてくれた方々に恩返しが出来てとてもうれしかったです。

(リアさん)私たちがテレビで紹介されたこともあり、買い物をしているときに三条市の街の人たちも時々頑張ってねと声をかけてくれました。三条市は雪が多く私たちにはとても寒いところですが、病院の人たちはもちろん、街の人たちもとっても暖かい人が多かったです。街の人たちまで私たちを応援してくれていることを知って、皆さんへの恩返しのためにも絶対合格してみせると心に誓いました。寒さにはまだ慣れませんがこの町で看護師として頑張っていきたいです。

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《三之町病院、ガルーダサポーターズの皆さんと》

Q3:今、国家試験を目指してがんばっているEPA候補生や留学生の皆さんに応援メッセージをお願いします。

A3:(リアさん)私にも出来たんだから皆さんにもきっと出来るはずです。日本に来た時の気持ちを思い出して目標達成まで頑張りましょう。
(フェルナンデスさん)私はリアさんとお互い励ましあって勉強をしてきました。勉強は孤立しがちですが、一緒にいる仲間とお互い励まし合って頑張りましょう。正直合格する自信は全くありませんでしたが、試験当日、次々と予想していた問題が出てきました。神様も助けてくれたと思います。ベストを尽くせば奇跡は起こります。私たちも皆さんを応援していますので、最後まで全力で頑張ってください。

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《合格祝いのお礼をいうフェルナンデスさん》

2008年来日の第一期EPA候補生には、来年2月の看護師国家試験が最後のチャンスになる。漢字も全くわからない人たちに3年以内の合格を求めるのはとても厳しいことだ。しかし、逆にいうと、この状況下においても頑張ることが出来た人たちなら、日本の病院や社会も彼らを無条件に暖かく迎えてくれるに違いない。2人の合格の話は、現場で彼らを支える病院のスタッフ、日本語教師の人たちにも大きな勇気を与えた。本人が感謝の気持ちを持って努力し、それを支える人たちの熱い気持ちがあればこの状況を打破できるかもしれない。いろいろな難関に挑んでいる人たちも、周りの人たちに感謝し、自分を信じてベストを尽くしてほしい。

インタビューした留学生の感想

リアさんとフェルナンデスさんの二人にインタビューして印象的だったのは二人とも相手(院長先生や支えてくれたまわりの人々)への感謝の気持ちを強く持っているところでした。また、試験勉強で、ただがむしゃらに頑張るのではなく、勉強のコツもきちんと考えて進めていたところが成功の秘訣だと思いました。リアさんの「他の人にできることなら、自分にもできる。他の人ができてないなら、自分がやってみせる」という強い心が今回の成功に繋がり、フェルナンデスさんの「不可能なことはない、何もやらないより、何かをやっていたほうがいいです。」という考えが奇跡を起こしたと思います。本当に二人から大きな勇気をもらいました。他の留学生達にとっても大きな励みになると思います。


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スチントヤさん
(レイクランド大学ジャパンキャンパス英語課程) 
 
日本の医療の未来のために私たちはあきらめない!!

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《会場全員参加の大討論会》

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《期待を受けて始まったEPA制度による受け入れであったが、、》

EPA(経済連携協定)を通じてインドネシアやフィリピンの看護師・介護福祉士候補の応募者、受入れ機関数とも年々減少している。受入れ機関では、経済的・人的負担の大きさ、候補者には日本語、国家試験のハードルの高さが問題になっている。その現状をふまえて、双方の意見も聞きながら、現実的な問題と対処している専門家のボランテイア集団がガルーダサポーターズだ。
ガルーダサポーターズでは今年1月すでに、厚生労働省にスキームの見直しの政策提言を出し一定の評価は受けたが、まだまだ本格的な改善にはいたっていない。それを受けて、7月3日、東京広尾のJICA地球広場にてガルーダサポーターズ主催の『EPA受け入れスキームのゆくえ』と題し、看護・介護の専門家、大学教授、多文化政策の専門家、ベテラン日本語教師・NPO代表など100名以上の関係者が集まり、この大きな問題の抜本的な解決策を探るべく、熱のこもったオープンディスカッションが行われた。

海外の労働問題に詳しい安里准教授(京都大)によると、看護・介護の人材はどの先進国も海外からのスタッフに頼っているのが現状だ。欧米はもちろん、アジアの国々でも外国籍のスタッフの活躍が目立つ。シンガポール99%・台湾、香港でも40%以上のスタッフが外国籍だ。すでに国際的には看護・介護人材の獲得競争も激しくなっている。
今は、EPAの是非を話し合っている場合ではなく、どうすれば、外国人看護師・介護福祉士を安心して無理なく受入れられるかを考えていこう。そして、関係者が一丸となって全力をつくし行政に訴え続けていこうと激論は締めくくられた。現状の日本人看護師・介護福祉士の待遇の問題も含め、このような建設的な討論がいろいろなレベルで行われれば、この大きな問題もいずれは解決されると確信している。


ガルーダサポーターズ

日本・インドネシア経済連携協定(EPA)に基づく看護師及び介護福祉士候補者の受入システムの改善を求めるべく結成されたいろいろな分野から集まった専門家・実務家ボランテイア集団。2010年1月に提出された政策提言は関係省庁からも評価されマスコミでも取り上げられ大きな反響を呼んだ。

共同代表・事務局長 宮崎和加子氏
〒120-0022
東京都足立区柳原1-9-13 TEL:03-5284-3706 FAX:03-5284-3707

e-mail info@garuda-net.jp
ホームページ http://garuda-net.jp
(*ガルーダサポーターズの政策提言はホームページよりご覧頂けます。)
 

私はあなたをあきらめない

  • 2010/04/11 14:37
特集
自分自身の可能性に目覚めさせる『スタント・メソッド』で世界の若者を救う
 

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              マハテール元マレーシア首相とも一緒に講演


現地のマスコミでも大きな反響が。。 母国インドネシア・シンガポール・マレーシア、中国の政府や関係機関からも熱烈なラブコールを受け、それぞれの国で講演。スタント教授の教育にかける熱い思いは各国の悩める若者たちを奮い立たせた。その様子は、現地のマスメディアでも大きく取り上げられている。久しぶりに日本に帰ってこられたスタント教授に3人の学生がお話を聞いた。

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(菅野勝男氏撮影)


Q:先生の子供の頃の様子や日本に来られた経緯をお聞かせください。

A:私は幼いころ両親を亡くし、とても厳しい継母に育てられました。病弱で邪魔者扱いされ家ではいい思い出はありませんでした。家にいるのがいやだったので、朝早く登校し学校の掃除をするようにしました。そのおかげで先生やみんなにも認められるようになったので、もっと認められたいと思い、熱心に勉強しクラスメイトや近所の子供たちにも勉強を教えはじめました。しかし、高校1年になったばかりの1965年、9.30事件反共産党クーデターで、新政府が全国の中国系インドネシア人の学校を閉鎖し、私たちは教育が受けられなくなりました。仕方なく兄の電子機器の販売事業を手伝いながら、自分も修理事業を立ち上げました。そしてその事業が大成功し、兄が裕福な生活を送れるようになったので、経済的な理由から高校や大学に行けなかった私は、もっと勉強したいという気持ちを抑えきれなりました。

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エンジニア志望だった私は精巧な電子製品を作る日本に自然と惹かれ、そして、23歳で来日し、26歳の時に一般の年齢より8年遅れではありますが、ついに日本の大学に入学することが出来ました。東京農工大学で、電子工学を専攻し、東京工業大学で博士課程も修了しました。しかし、34歳を過ぎていた私には、日本での就職先はありませんでした。日本で就職する夢を諦められなくて、自分の条件をよりよくするために、もう1つの博士号を必死に挑戦して取得しました。そこで、工学・医学と2つの博士号をとりましたが、それでも日本では認めてられませんでした。日本で14年間がむしゃらに生きてきたのにまさかだめだとは。。。途方にくれていましたが、人生を再出発しようと決心し、日本がだめなら今度はアメリカしかないなあと思い、3人の幼い子供を残し、38歳で全く未知の最もレベルが高いといわれる米国の科学界に挑戦することにしました。「当たって砕けろ」の精神で、もう一度自分の人生を賭けてみることにしました。そして、幸いにも、実力を認めてくれるアメリカの大学が見つかり、念願の教職の仕事を得ることが出来ました。5年ほどアメリカで教鞭をとりましたが、東工大の恩師奥島教授の誘いがあり日本に戻って来ました。


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Q:どうしてアメリカから日本に戻ってきたのですか?そして、大学の教育改革に取り組むようになったのはなぜですか?

A:私は日本で鍛えてられて、結果的に4つの博士号を取らせてもらいました。厳しい日本社会で鍛えられたお陰で今の私はあります。素直にその日本に恩返しをしたいと思いました。
しかし、赴任した大学で8割以上の学生が授業を理解していなくてもそのままにされていることに気づき、私の授業を受けている全員のやる気を燃え上がらせて見せようと決心しました。
母国や米国での実体験や日本の社会で否定されても何度も挑戦し続けた自分の体験を語り、彼らを励まし続けました。反面、授業にはとても厳しい姿勢で臨みました。授業はほとんど英語で行い、また英語でのプレゼンも学生に要求しました。はじめは学生たちもパニックを起こしましたが、こちらの真剣な気持ちが伝わると、学生たちも少しずつ努力するようになりました。どんな若者も本人も信じられないほどのすばらしい可能性(=潜在能力)を秘めています。それを引き出してあげるのは、教育者の本気の姿勢です。大学では、やる気のある学生だけを相手にすればいいという考えがありますが、私は、誰一人として彼らを見捨てません。また他の先生にも生徒を見捨てないでほしいと思っています。



中国の大学の創立100年での記念講演
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Q:子供のころ、愛情に恵まれなかったのに、先生のその限りない生徒への愛情はどこから沸いて来るんですか?

A:私の子供時代はあまりに悲惨すぎて、他人に愛情を求めることが出来ませんでした。ただ、自然の中で遊び、生きていることに感謝するしか自分の存在意義を見出せなかったのです。しかし、子供たちに勉強を教えるうちに人に感謝される喜びを感じるようになりました。愛情は『人に先に与える』ことによって『与えられる』のです。厳しい家庭環境のお陰でそのことに気がつくことが出来ました。そしてその『先に与える愛情』には限りがありません。なぜなら、いつか必ずその気持ちが相手に伝わることを何度も経験して知っているからです。教師として教えた学生が成長していく姿を見ることほど幸せなことはありません。
私は、一人ひとりの学生がそれぞれの物語の主人公だと思っています。自分を好きになって自分らしい人生を送ってほしい。そのためには中途半端はだめです。多くの学生が涙を流すほど私の授業は厳しいので有名ですが、私は一人ひとりの学生に自分の夢を絶対にあきらめさせません。彼らの夢は私の夢でもありますから。
一見やる気のない学生ですら、本来はすばらしい可能性(=潜在能力)を秘めています。私たち教育者には、彼らの隠れた本心と真剣に向かい合って、命がけで授業に取り組む姿勢が必要です。そうすれば必ず彼らは、本当の自分を取り戻し、自分自身の夢と向かい合い、自分の物語を作っていくようになります。人に作られたのではないオリジナルの人生を生きるようになります。そしてそれは大きな自信につながり、自分をどんどん好きになり、やがて人にも優しくなります。 
 

カワン・スタント氏 早稲田大学臨床教育科学研究所所長

 

 
カワン・スタント氏:早稲田大学国際教養学術院教授早稲田大学臨床教育科学研究所所長1951年インドネシア・スラバヤ生まれ、74年に来日し、エレクトロニクス技術を学ぶ。77年に東京農工大学の電子工学科へ入学。卒業後、東京工業大学、東北大学など4つの大学で「工学」「医学」「薬学」「教育学」の博士号を取得。88年、米デュレクセル大学工学部準教授、90年、トーマス・ジェファーソン医科大学医学部準教授を兼務、93年に再来日。桐蔭横浜大学工学部教授に就任し、「学生のやる気を引き出す」教育法を確立。2003年より現職。経済産業省産業構造審議会21世紀経済産業政策検討小委員会委員を歴任、米国超音波医学会、米国音響学会、日本音響学会、日本超音波医学会などでも受賞歴あり。著書 『「できない大学生」たちが、なぜ、就職で引っ張りだこになったか』(三笠書房)が、大きな話題に。
 

海の再生に人生を賭ける

  • 2010/01/27 14:13
特集
 

海の破壊者から
海の救世主になったプロダイバー
 
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プロダイバーの渋谷正信さんに
グローバルコミュニティーインターン生の
ランス・トロング君がお話を聞きました
 
 
 
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渋谷正信氏プロフィール:「渋谷にできない仕事はあきらめろ」といわれるほどの潜水工事の第一人者。本四架橋、羽田空港、東京湾アクアラインなどの多くの水中工事でも活躍。最近は、長年の調査に基づいた海の再生プロジェクトで、日本国内はもとより世界でも注目を浴びている。TBS系列 情熱大陸、夢の扉に出演.また忙しい仕事の合間を縫って、教育機関での講演で海を守る大切さを伝えている。


Q:海を守る活動をするようになった経緯を教えてください。

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25歳よりプロダイバーとして働き始めたが、私は、『誰よりも長く、誰よりも深く潜る』が信条で、潜水技術と体力には、誰にも負けない自身があった。そして、32歳で潜水工事会社を設立。しかし、最初の大きな潜水工事の仕事で潜水病を発症。3ヶ月の入院生活の中で人間は弱いものだと初めて気がついた。だが、その先にもまだ人生の試練が待っていた。私が人の気持ちをあまり考えず、社員にあまりに厳しいことを要求していたために、社員全員が一度に辞めてしまったのだ。
とても情けない気持ちになり、それ以降、精神的な世界の本を読んだり、ヨガなども始めた。そこで学んだ思いやりの気持ちで日々、自然や妻と接しているうちに『静かなものの中にある強さ』『女性の強さ』を深く感じるようになった。なにも言わず支えてくれる妻にも感謝するようになり、海に潜っても忘れかけていた自然の美しさを再発見するようになった。『こんな美しい海を私は水中工事で破壊し続けていたんだ。』それまで行った過去の工事を振り返り、日々後悔の念を感じ、仕事を辞めたいと考えるようになった。

『海を守ろう!!目覚めるきっかけになったアクアラインの工事』



迷いを払拭できない状態の中で、東京湾アクアラインの仕事が始まった。最初の作業として、「風の塔」と呼ばれる換気装置を据え付けた。しばらくして、その構造物に潜水し、調査してみると、黒鯛が住みついていたのを発見した。その瞬間に今まで携わった工事後の海で魚が戻ってきていた状況が次から次と目に浮かんできた。そして気がついた。

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『水中工事のすべてが悪い訳ではない。やり方次第で魚たちが住みやすい環境を作ることができるはずだ。』 それ以降「環境と開発の両立」や「潜水を通しての心の教育」に人生を捧げる決心をした。生物については、元々専門家ではなかったため、自分で海草や魚などについて一から勉強を始めた。そして、過去に携わった現場に戻り、写真やビデオで工事の後の海を徹底的に撮影して研究した。そして、私たちが提唱する海の環境にやさしい水中工事のスタイルが、少しづつ注目されるようになり、最近はテレビなどのマスコミでも取り上げられるようにもなった。ついに自分の見てきた水中の世界の現実に光が当たりはじめのた。長年地道に活動してきて本当に嬉しかった瞬間だ。
日本の海は、今危機的状況にある。魚や貝の栄養になる海草が急激に減少しているからだ。その現状をまず出来るだけ大勢の人たちに知ってほしい。ちゃんと手当てをすれば、まだ、いろいろなところで海の再生が十分に可能だ。

Q:留学生や若い読者の人たちにメッセージをお願いします。

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私は海のテロリストだった。しかし、今は海を守ることに全精力を捧げている。今はあなた自身も環境を破壊しているかもしれない。しかし、今からでも遅くはない。どんな人にも素晴らしい聖なる心があると思う。嫌なことがあってもそれを乗り越える力だとか、人に親切にするとか、そういう心をみんな持っている。これから先、何度も失敗もすると思うし、嫌なこともあると思うけど、時には自然の美しさに触れ、できるだけ多くの人に優しい言葉を掛けて、前向きに毎日を送ってほしい。

湾岸戦争で海が重油で汚れているのを見ていたたまれず、海をきれいにしようと現地でボランテイアをした経験を持つ渋谷さん。自分が大切だと思ったことは躊躇なく実行に移す実行力。60歳になった今でも、先頭に立って自分自身も海に入っていく渋谷さんの姿勢から学ぶことは多いと思う。今私たちに望まれているのは議論でなく行動だ。

 
 
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 インタビューした学生の感想文 ランス トロング さん  オーストラリア モナッシュ大学  日本語・ジャーナリズム専攻

日本だけでなく、世界中で尊敬を受けているプロダイバーに話を聞かせていただいたのは、貴重でユニークな体験でした。若者の一人として、多種多様な経験を持っている人と会うことは勉強になり、自分のこれからの人生を考えさせられました。また、渋谷さんの環境再生の活動やそれまでの経緯を聞いた時、「単にプロダイバーの第一人者というだけでなく、社会貢献活動の第一人者でもあるんだ。」と、更に渋谷さんへの尊敬の念が深くなっていきました。現在の様々な環境問題を抱えている地球にとって、こういう人こそ救世主ではないかと思います。
 

いい体験が人や組織を変えていく

  • 2009/11/30 11:43
特集
キーワードは『母性』。お互いが『与え合う感覚』を何より大切に。
普通の主婦から映画プロデユーサーへ転進。初めて作った映画が日経地域情報化大賞・「日経MJ賞」を受賞。映画製作を通して人の心に火を付け、地域を再生していく越後啓子さんにお話を伺いました。
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映画のプロデューサーになるまでの経緯を教えてください

主人の仕事の関係で東京から福島県白河市に移住したとき、慣れない土地で子供がまだ小さかった専業主婦の私は、まず、子供の学校のPTA活動に参加し、町内でのコミュニケーションに努めました。次第に多くの友人知人ができ、東京での人脈を活かし、講演会やイベントを主催するようになりました。しかし、私も含めて周りは今までイベントなど主催したことのない主婦達ばかり。様々なトラブルもありましたが、素人のみんなが気持ちをひとつにして地域の人たちの応援を得ながら、何とかイベントを成功させることができました。今までそのような活動に縁のない主婦の方々が涙を流して喜ぶ姿を見て、人が持っている現場力や普段は気がつかない人の魅力を実感することが出来ました。本当にいい経験でしたね。その後、熱心な若い製作スタッフ達との出会いがあり、地域の活性化にも繋がると思い、白河市でのロケ支援を提案。制作スタッフ達の熱意も伝わり、前代未聞の地域住民とプロのスタッフとで創る、映画製作のプロジェクトがスタートしました。それを契機に映画会社を設立し、プロデューサーとして本格的に映画に関わるようになりました。

映画作りで学んだことは何でしょうか

映画を通して、製作に関わる人達全員が、自然にテーマを共有し、映像に撮られることで町が変化していく姿に感銘を受けました。今までは、どうしても変わらなかったことが映画の撮影を通じて変わっていったのです。大事なことは、技術、手法、お金だけでなく、製作に関わる人たち、一人一人のモチベーションをどれだけ上げられるかということだと実感しました。

越後さんにとって教育とは何でしょう

教育とは「いい経験」を積み重ねることだと思います。たとえば、町おこしの映画の製作でも最初は大変ですが、製作に関わる人たちが映画を作るという目的に結集すれば、町の組織自体さえ変わっていくこともあります。限られた時間の中での撮影でも変更や新しい提案が次々出てくるので、組織のルールでいちいち許可を取ったりしていては時間が間に合いません。そこで、トップの方と相談して、トップダウンで直接指示を出してもらう体勢を作りました。ある自治体では、映画の撮影がキッカケになり、その後もトップ直結のプロジェクトが増えたようです。「いい経験」をすれば人は自然と学びます。既成概念にとらわれず、とにかくやってみることですね。

教育に関して、私の心のあり方の原点は母性ですが、女性の持つ子供を生み育てていく感覚が、映画作りや組織の活性化にも大切だと思います。子育ても映画のプロデュースも予定通り行かないのが当たり前ですが、自分を犠牲にしてでも、家族のために、あるいは映画のために臨機応変に対応していく柔軟性が母性にはあると思います。男性的な社会はある意味、奪い合う社会かもしれません。しかし、母性の強い女性的な社会は与え合う社会といえるでしょう。日本のいろいろな意思決定の場所で大切なものを守るために、今後女性の与え合う感覚が必要とされてくると思います。



今後、日本に多くの留学生が増えていくことが予想されますが日本はどのように変わっていくと考えていますか

これからますます民族の移動が活発になり、特にアジアの人々との関わりが大切になってくと思います。その中で留学生達の独自の役割を作ってあげないといけないと思います。例えば、通訳でも単なる機械的なものではなく文化を超えたコミュニケーションという重要な役割を担っているのです。そのように別の視点からみて役割を与えること、工夫することが大切だと思います。

今後はどのような活動を行っていく予定ですか

今は、人それぞれが持っているキャリアに注目して活動しています。社会で長く働いた人は勿論、若い人でもそれまで生きてきたキャリアがあります。経験や年齢、性別のみで人を判断せず、ひとりひとりが持っている感性を大切に育てていける組織を作っていきたいですね。
そこでもキーワードは『母性』です。お互いが『与え合う感覚』を何より大切にしていきたいです。

地域活性・教育改革の仕掛け人

越後啓子氏 プロフィールこれまでの概念を覆す映画制作法を次々と展開。期間限定型のパートナーシップマネジメントで、地域を巻き込む手法は、ビジネス・地域活性の分野でも注目され全国からの講演依頼も多い。映像の魅力を通じて、子供達の教育環境改善を図りたいという強い願いを持つ。 洞爺湖サミット公式記念上映作品/環境映画「KIZUKI」・文部科学省2008年第20回生涯学習フェスティバル・「まなびピアふくしま」記念事業作品/映画「春色のスープ」などのプロデュースに参加。 多くの地域の特性を生かした教育改革のプログラムで活躍。今もっとも注目されている地域活性・教育改革の仕掛け人のひとりである。
インタビューした学生の感想

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三浦宏起さん 慶応大学4年 

インタビューの際、越後さんは今まで多くの自治体や地域の悩みが、映画作りを通して、解決していったとおっしゃっていました。映画作りには、人や地域を変えていく「きっかけ」になる様々な要素があるようです。「良い経験」は、悩んでいたこと、改めて実感すること、今まで意識しなかったことなどを気づかせてくれます。そして、気づきこそが新たな創意工夫を生む第一歩であると思うのです。私もこの取材活動を通じ新たな気づきを得て、皆様に提供していけるよう頑張りたいと思いました。

心のバリアフリー 成田真由美選手

  • 2009/08/05 09:24
特集
パラリンピックの開催で東京を障害者にも優しい街にしよう!!
心のバリアフリーパラリンピックの開催で東京を障害者にも優しい街にしよう!!昔は水泳が苦手だったというパラリンピック水泳の金メダリスト成田真由美さんにお話をお聞きしました。
Q:成田さんはよく学校で講演をされるとお聞きしましたが、どんなことを子供たちに伝えていますか?

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A:ひとつは、簡単にあきらめないこと。あとは仲間を大切にすることですね。私は子供のころはプールが大嫌いでした。その私でも泳げるようになって、金メダルを取る目標を持ってからは最後まであきらめませんでした。だから誰でもあきらめなければ必ず出来ると思います。トレーニングはつらいですが、プールサイドには応援してくれる仲間がいます。その姿を見ると仲間のためにも頑張ろうという気が起こりますよね。

Q:成田さんは、大きな手術や入院を繰り返してもそのたびに、驚異的に復活して活躍されていますが、そのエネルギーはどこから来ていますか?

A:私の場合はいつもどんなアクシデントがあってもその苦しさの後に、必ずそれ以上のいいことが待っていると信じています。だからいつも諦めませんでした。逆に苦しいことがあれば、またその後にいいことが待っていると希望を持ってその苦しさと付き合っていくことが出来ました。

Q:パラリンピックでの思い出に残るシーンや出来事は何ですか?

A:アトランタとシドニーのパラリンピックで競い合ったドイツのカイ・エスペンハイン選手は、すばらしいライバルであり親友でもありました。ある時、彼女が危篤状態と知りましたが、私自身も入院中で動くことも出来ず仕方なく、5日で急いで折った千羽鶴をカイのお母さんに送りました。しかし、千羽鶴が届いたのは彼女の死の1日後でした。34歳志半ばで亡くなった彼女のためにも、また頑張ろうという気持ちになりましたね。パラリンピックの大会の後、ドイツにあるカイの墓をたずね、彼女が得意としていた背泳ぎで獲得した金メダルを墓前に供えて来ました。私が水泳を続けてこられたのもカイのようなよきライバルにめぐり会えたからだと感謝しています。カイは私の心の中で今も生きている永遠のライバルですね。

Q:東京にパラリンピック・オリンピックを呼ぶためには何が大切だと思いますか?

A:『心のバリアフリー』ですかね。障害を持つ人たちへの考え方を変えてほしいと思います。障害者は日本ではまだまだ活動が限定されています。実は私は健常者の水泳大会にも出ていますが、前例がないといわれ最初は出場できませんでした。しかし、前例がないのであれば私が作ろうと思い挑戦し続け、今では参加できるようになりました。最初はいつも最下位でしたが、出場しているうちにだんだんと順位も上がってきました。ある時、泳ぎ終えた後観客席から拍手が沸きあがったのですが、障害者というより、単なるアスリートとして拍手をしてもらったように感じて、本当にうれしかったですね。
この頃小中学校でも、障害者の生徒が健常者の生徒といっしょに学んでいるところがありますよね。そんな学校では私が講演にいっても子供たちはじろじろ見ることもなく、普通に対応します。出来れば一度、競技として障害者のスポーツを見てもらえればいいと思います。障害者の大会でも同じようにスポーツとして十分に楽しめますよ。

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心のバリアフリー。障害者の人でも、外国人の人でも自分とは少し違うと思っても積極的に受け入れることが大切だと思います。そしたらもっと心が豊かになりますね。
「私は人との出会いに恵まれています。」という成田さん。とっても明るく、何事においても積極的な人で、お話しているだけで周りを明るくするひまわりのような人でした。すばらしいお話ありがとうございました。

成田真由美さんプロフィール

神奈川県川崎市出身のパラリンピック水泳選手。アトランタ、シドニー、アテネ、北京と4大会連続出場し、合計15個の金メダルを獲得(うち13個は世界新記録付)。その圧倒的な強さから「水の女王」と呼ばれる。水泳以外のスポーツは万能の少女時代をおくるが、中学生のときに 横断性脊髄炎を発症、下半身麻痺となり以後、車椅子生活をおくる。趣味は料理とドライブ。障害者への理解を求め、全国各地で講演活動も行っている。1997年には勤務する日本テレビの番組「24時間テレビ」の中で、鹿児島県錦江湾で12キロの遠泳に挑戦。8時間かけて完泳した。大きな手術や長期の入院を繰り返しながらも、そのたび毎に困難を新しいエネルギーに変えて、周りの人たちさえも元気にしてしまうスーパーアスリート。

今どうして通訳ボランティアガイドなのか?

  • 2009/03/27 02:07
特集
ボランティアガイドという仕事について
 
 
思いやりのある言葉は短く簡単なものであっても、
その反響はじつに無限である。(マザー テレサ)
Kind words can be short and easy to speak,
but their echoes are truly endless.(Mother teresa)
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今どうして通訳ボランティアガイドなのか?

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世界は今、急速な国際化社会に向かって、突き進んでいます。日本も例外ではありません。大都市圏では、国際結婚のカップルが10組に1組を数え、いろいろな国から来た留学生や働く外国人の人たちを目にすることも珍しくなくなりました。しかし、一般的にはまだまだ日本に住んでいる外国人の人たちと親しく付き合っている人は少ない状況です。ましてや海外からの観光客との接点などはほとんどない人が大半ではないでしょうか。
ここ数年は1700万人以上の日本人が海外に旅行やビジネスで渡航しています。そこで多くの人たちは現地の普通の人たちの『やさしさ』や『思いやり』の気持ちに感銘を受けて帰国しています。

けっして、日本と比べると豊かとはいえない国の人たちがいきいきと生活していて、外国から訪れている自分たちを歓迎してくれる。

そろそろ、私たち日本人もこころをオープンにして、日本に住んだり、訪れたりしている外国人の人たちを暖かく迎え入れる必要があるのではないでしょうか。通訳ボランティアガイドの業務はその歓迎の気持ちを伝えていく大切な使命を持っています。
 
ボランティアガイドという仕事について

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皇居東御苑大手門にて

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明治神宮参道にて


東京シテイガイドクラブの深谷さんに通訳ボランティアガイドについてお聞きしました。

通訳ボランティアガイドを始めた動機は何ですか?

私もそうですが、多くの通訳ボランティアガイドの皆さんは海外で外国の人たちに親切にしてもらった経験を持っています。その親切に日本に来る外国人の人たちを案内することで恩返しをしていこうという気持ちで活動されている人が多いですね。

東京シティガイドクラブはどのようなブラブですか?

この東京シティガイドクラブは『東京シティガイド検定』という試験に合格した人たちの有志が集まって出来たクラブです。最初は得意の分野別に分かれて研修や勉強会をすることから始めました。勉強会を続けるうちに『東京』という大都市についてもっと勉強してみたいという気持ちがわいてきました。みんなで街を歩きながら東京の持つ歴史、文化、風土に直に触れることの楽しさ、メンバー同士の交流もとても楽しくて知的な満足感も得ながら外国人観光客の人たちにも喜んでもらえるすばらしいクラブです。


外国人の観光客はどのように案内するのですか?

勉強会で知識をつけ、自信が持てるようになると、次はこの喜びを少しでも他の人たちにも伝えてあげたいと思うのは自然の成り行きだと思います。現在は23のモデルコースを作り海外の人たちを案内しています。観光客だけではなく、在日の外国人、留学生の団体など日本に住んでいる外国人の人たちを案内することも多いのですが、日本の文化についてあらためて感じることの出来る体験が出来たととても喜んでもらっています。

東京観光を通じた文化交流本当に楽しいですよ。こんなに楽しく、知的で、語学の上達にもなる経験はなかなか他では体験できないと思います。
新しい『東京の魅力』も発見できるし、日本の文化に対してもっと興味も沸いてくると思います。また一番うれしいことは、案内した人たちが本当に喜んでくれることですね。
人にこんなに喜んでもらえることが身近に出来て、文化交流にもなる。通訳ボランティアガイドって本当に楽しいですよ!

メンバーはシニア層や社会人がほとんですが、若い人たちも十分に楽しめますので、外国人の友人を誘って一度ツアーに参加してみてください。そして一度、あらためて『東京』を外国人の人たちと一緒に体験してみてください。
(注:日本人の方だけでの外国語での案内はしていませんので、必ず外国人の人たちと一緒に参加してください。)

あと、外国人で困っている人を見たらぜひ声を掛けてあげてください。
その一言が相手にとってどんなにうれしいことか、ほんの一言でその国の印象が大きく変わることもありますから。

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NPO 法人 東京シティガイドクラブ事務局
〒113-0024 文京区西片1-15-15
春日ビジネスセンタービル10F  (東京観光財団内)
TEL・FAX 03-6912-1518
http://tcgc.5.pro.tok2.com/index.html
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観光庁でインターンとして活躍する留学生

  • 2009/01/27 14:02
特集
『住んでよし、訪れてよし』の国づくりを目指して
観光庁で2008年12月より3ヶ月の予定で中国、韓国、アメリカ、イギリスの選ばれた留学生たちが、インターン(行政体験研修)をしている。『開かれた観光庁』を目指す取り組みの一環として外国人の視点を観光行政に活用し、外国人留学生のキャリア形成支援や観光行政に対する理解を深めてもらうのが目的だ。
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中国、韓国、アメリカ、イギリスの選ばれた留学生たちへのインタビューはこちら
観光庁の業務に関連する以下の課題について、観光庁職員からのレクチャーや関係者へのヒアリングを交えつつ研究を行います。

(1)外国人観光客の受入のための環境づくり(観光地域振興課)
関東エリアにおいて、外国人観光客に人気のあるモデルルートを選定し、その受入体制が、外国人観光客にとって「理解しやすく」、「使いやすいもの」であるかとの観点からの研究を行う(12月に実施予定の「外国人によるひとり歩き点検隊」にも参加)。

(2)在留外国人の視点からの観光プロモーション手法の開発(国際観光政策課)
我が国に住む外国人のネットワークを活かした観光プロモーション手法や、日本人が気づいていない外国人に評判の観光スポット等の発掘など、在留外国人の視点からの観光プロモーション手法の研究を行う。

(3)観光プロモーション手法の比較研究を通じた戦略策定(国際交流推進課)
日本に事務所を置く各国政府観光局へのインタビュー、インターネットによる情報収集、文献調査等を通じ、日本と外国の観光プロモーション手法に関する比較研究を行う。

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『観光とは自分の生活文化にほこりを持つこと。
住んでいる人たちが楽しそうに暮らしているのを見て観光客が集まってくる。』



島田 晴雄氏 千葉商科大学学長 
観光立国推進会議ワーキンググループメンバー


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1943年生まれ。慶應義塾大学大学院修了後、米ウィスコンシン大学で博士号(労働経済学)を取得。以後、MIT(マサチューセッツ工科大学)、フランスESSEC(経済経営グランゼコール)の客員教授を歴任。OECDやILOのアドバイザーを務めるなど、わが国有数の国際派エコノミスト。政府税制調査会特別委員、観光立国懇談会委員、内閣府特命顧問なども歴任。学術研究の傍ら、新聞、雑誌、テレビなどでも活発な言論活動を行っている。著書は『雇用改革 「雇用の質」を改善せよ』(共著)(東洋経済新報社 2007年)『成功する!「地方発ビジネス」の進め方』(かんき出版 2006 年)など多数。


外国人の留学生の活用について:

『外国の文化を理解している人たちが観光産業に入るといい。研修実習制度をもっと今以上に業界団体も取り入れるといいであろう。』

学生へのメッセージ:

『外国人の留学生は問題意識があるからいいが、日本人の学生は問題意識がない人が多い。』『これから、日本人の活動の中心はますます海外になっていく。海外を見ないような
学生はこれから生きていけない。外国人の友達もいっぱい作って英語だけではなく
中国語やスペイン語も勉強しよう。そして世界に出て行こう!!』

中国、韓国、アメリカ、イギリスの選ばれた留学生たちへのインタビューはこちら

観光は国際化、地域活性化のキーワード

  • 2008/09/26 10:38
特集
観光学科 鈴木教授にお話を伺いました
外国の人たちといっしょに日本の郷土のよさを再発見する旅に出てみよう。
桜美林大学 鈴木教授
呉英姫さん(学習院大学)
いよいよ、10月1日に観光庁がスタートします。
今回は、『観光立国』を目指す、日本の観光に向けての取り組みを大手旅行会社の経験を生かして観光業に様々な提案を投げかけている鈴木教授に中国人留学生の呉英姫さんがお話をお聞きしました。
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地域の時代が到来!!
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1:観光の重要性についてお聞かせ下さい。

日本を元気にするため、特に地域産業を活性化するためには、『観光』は非常な重要なキーワードです。日本は最近までアウトバンド(日本人が海外に行くこと)が多く、インバウンド(外国人観光客を日本に迎えること)が非常に少なかったのですが、日本国内に観光客を海外から迎えることは日本の真の国際化にも非常に有効なことですね。色々な国からお客さんが来ると地域にも活気が出て、みんなが自分の故郷に自信を取り戻すきっかけになると思います。
あと、観光は色々な産業を活性化する起爆剤にもなります。観光客を迎えるお店や宿泊施設、
新しいおみあげの開発なども考えられます。

2:日本の一番いいところは何だと思いますか?

この小さな国土に北海道から沖縄まで各地域で多種多様な特色があるところですね。四季折々の自然や郷土の料理もすばらしいですし、温泉にしても各地で本当に特色があります。日本人特有のホスピタリティーももっと日本人が外国人を理解して、地域に誇りを持てば、それ自身が大きな観光資源になりますね。

3:日本が観光立国になるためには何が一番必要だと思いますか?

外国人の人たちといっしょに日本のすばらしいところを見つけ出す努力をすることだと思います。自分たちが普段、当たり前になって見逃しているものでも外国人の人たちにとっては、とっても魅力のあるものかもしれませんね。
旅行業界の公共の組織や大手の企業などももっと、外国人の人たちがリーダーとして活躍する場をもっと作っていくことが必要ではないかと思います。また日本に長期で滞在している留学生や外国人の人たちに住み心地のいい国だと思ってもらうことも大切ですね。
彼らが日本を好きになって帰国してくれれば、それが1番のPRになります。


4:観光業界に興味のある学生たちに何かメッセージをお願い致します。

旅行のプロを目指してがんばってもらいたいですね。私のところの学生でも
旅行の資格をとって、がんばって大手の旅行会社に入った中国人の留学生もいます。
彼は、入社3年目にして北京オリンピックの時に現地で重要な役割を果たしました。
日本人の気がつかないことでも外国人であれば分かることがたくさんありますよね。
どんどん経験を積んで日本の会社でマネージャーを目指してください。
これから将来、皆さんの活躍する場所は必ず増えていくでしょうから、その時に
主役になれるようにがんばってください。

5:座右の銘を教えていただけますか?

とにかく、百聞は一見にしかず。とりあえず、どんなことでも頭で考えるだけではなく
体で経験することが大切だと思います。やりたいことがあったら、とにかく、実行してみましょう!!

鈴木勝 教授プロフィール

鈴木勝 教授プロフィール1967年 早稲田大学商学部を卒業し、JTB(日本交通公社)入社京都支店での経験を経て、責任者としてシドニ-に5年、北京に4 滞在 JTBワールド・オセアニア部長、取締役アジア部長などを経て8年前から、“サラリーマン貫徹派”教授として、大学の教壇で学生相手に「国際ツーリズム振興論」etc.を講義。現在、インバウンド&アウトバウンドの双方向観光が均衡&拡大する「観光立国ニッポン」造りに取り組む。

自然に対する感謝が大切!

  • 2008/05/27 16:49
特集
― 環境問題には国境がありません!! ―
映画「KIZUKI」の監督 瀬木直貴氏インタビュー
インタビュアー
王秀麗さん
中央大学
自然に対する感謝が大切!
映画「KIZUKI」の監督 瀬木直貴氏インタビュー
― 環境問題には国境がありません!! ―
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Q:映画監督になるきっかけは何ですか?


A:公害で有名な三重県四日市市で生まれた私は家族旅行で長野に行った時に、その自然の豊さに魅了されて自然の中で暮らしたいという気持ちになりました。また、小学校4年生の時に教科書で見た、公害の悲惨さを訴える水俣病の写真をきっかけに、報道の道に進みたいと思うようになりました。
しかし、大手の新聞社の試験には受からなかったので、大学時代に、アルバイトをしていた映画の製作会社にそのまま入社しました。そこで、スタッフにも恵まれたお陰で通常10年はかかるところ、わずか2年半で監督になれました。あまりの速さで監督になったので、本当に映画が好きかどうかと自分に問いかけてみようと思い、26歳で監督をやめ、7ヶ月間世界旅行に出かけました。
言葉が通じにくい環境の中で自分自身をあらためて見つめ直してみました。そして、1秒間に24枚の写真が入る映画なら、写真以上の『思いを伝える』可能性があるんじゃないかと思い、日本に戻り助監督からやり直しました。そして、映画が大好きになりました。

Q:「KIZUKI」にこめた特別な思いを聞かせて下さい。


A:人間の行動の矛盾、心の葛藤に焦点を当てました。今回の作品はドキュメンタリー映画ではありません。人間ドラマを中心にして、裏面にある社会問題を抉り出すように作りました。人間は生きていくうえで、必ず何かを作り、資源を消費していく。しかし、資源を消費しなければ生きていくことが出来ません。人間はこのような矛盾を抱えています。今回の作品は4つのストーリーからなり、主人公のそれぞれが持っている矛盾や葛藤を描いているので、ストーリーに自分を照らし合わせて考えてみることが出来ると思いますよ。

Q:中国の環境問題についてどう思いますか?


A:映画には石垣島の漂着ごみをみんなで拾うシーンがあります。その中で、8~9割は海外からのもので、中国語やハングル語の文字が並ぶごみが多くあります。それは、中国や韓国が一方的に悪いと言うのではなく、環境問題には国境がないということです。このことはぜひ理解してほしいですね。国境がないから、環境問題は世界中の人が何か行動を起こさなければ意味がない。

Q:留学生たちへのメッセージ


A:現状では、残念ながら、留学生が集まる地域ではごみの分別などがきちんとされていないことがあります。それぞれの環境、文化、生活習慣は違いますが、やはり環境問題には国境がないから、どうしていけばいいかを改めて考えてみてほしいです。

Q:座右の銘は何ですか?


A:うん。座右の銘かどうかわかりませんが、「感謝」―自然に対して、相手に対して、家族に対しての感謝の気持ちを持ち続けることです。

瀬木直貴監督プロフィール

瀬木直貴監督プロフィール1963 年 三重県生まれ 大学を卒業後 プロダクション勤務を経てフリー 地域の自然とコミュニティを舞台に継続的に映画を撮りつづけ、前作「Watch with Me 卒業写真」は末期医療のあり方に正面から挑み、映画・演劇雑誌『ぴあ』で観客満足度1位(昨年6月)を記録するなど社会派の監督として、映画業界のみならず、教育、まちづくりの分野でも注目されています。 瀬木監督プロフィール

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