2024/04/25 17:26

特集

フルキャスト 平野氏 インタビュー

特集
国に対し、文化に対し、尊敬の念を持って相手を見ることを忘れないことが大切。
人材派遣会社を設立し、15年で年商で900億円野球場まで持つフルキャスト平野会長インタビュー
【訪問先】
フルキャスト平野会長
【インタビュアー】
中 国:招 恵敏さん
日 本:斉藤舞南美さん
学生の間では、バイト紹介のイメージが強いフルキャスト。実は、起業からわずか15年目で年商900億円の大企業へ進化を遂げているすごい会社なのだ。この急成長の立役者である平野会長に話を聞きました。
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日本人学生と留学生があの大企業フルキャストの平野会長にインタビュー!!!
【インタビュー】

招ー人材派遣会社では、人と人が接するのが大事とかんがえられますが、人付き合いを円滑に行うコツのようなものはありますか?

平野氏ー相手の気持ちを考えるということですね。何事にも、思いやりを持って接する。それは、仕事でもプライベートでも。円滑になるには、相手と打ち解けることが大切だと思います。

招ー人間関係、とくに国が違う場合、信頼関係はどう築いたらいいと思われますか?

平野氏ー信頼関係というのは、たとえば約束を守ることなど、万国共通だと思うんです。時間を守るとか。それらは基本的なことですね。文化が違えば違うほど、相手の自分と違うところを、悪いところに目くじらを立てるのではなく、良いところを見つけてほめていく。

招ー社長は、人間性を高めるのが大事とおっしゃっていますが、具体的にはどうすればよいのですか?

平野氏ー経験をすることですね。いろんなものを見て、いろんなことをする。いろんな国に行ってみる。いろんなひとに接してみる。人間というのは、自分の生きてきた中で培った経験でしか考える幅が無いんです。僕も今まで出会った人、こと、場所の積み重ねで考えています。だから経験が広がれば、その分考え方も広がると思いますよ。

斉藤ー私は今年から大学生です。経験を積むのが大事だというのはわかるんですが、何をしたらいいかわかりません。どうしたらよい
のでしょうか。

平野氏ーそうですね。経験といっても、実はいろいろなものがあるんです。とにかく、どのような形でも人生としての修羅場を潜り抜けることが必要だと思います。なんか修羅場というとすごいと感じちゃうかもしれません。生か死か、みたいなね。でも、そんなことではなく、日々に経験のなかで、例えば友達関係やアルバイトや勉強であっても、自分が物事を考えて判断し、決断する場面に多く出くわすのも、修羅場なんです。ゼミ・サークルの幹事役をかってみる。これも修羅場の一つなんですよ。会費は?場所は?みんなにどう伝える?色々考えますよね。学園祭の委員長とか。プレッシャーになっていい経験だと思う。その積み重ねが大事なんです。考えなければいけない場面、決断しなきゃいけない場面。人を引っ張らなきゃいけない場面などに出くわす必要があると思います。

斉藤ーアルバイトを今年からやろうと考えてます、友達はチェーン店で働く子ばかり。でも、知り合いはそんなバイトでは成長できないというんですが。

平野氏ー例えば、マクドナルドでもモスでも、成長できると私は思っています。経験をつめないバイトなんか無い。ウエイトレスでも、色々なお客さんが来るけども、どうしたら全ての人に満足していただくか考える。そうすれば、時給以上に経験できるんです。「1時間いれば、時給1000円もらえる」と考えては成長しないんです。時間の切り売りと考えれば、暇で給料高いのがいいですからね。「1時間でいくら」ではなく、「何をしたらいくらもらえる」という考えになればいい。考え方が大事なんです。

招ー就活の時、留学生が気をつけるべき点はなんでしょうか?
平野氏ーまず、私は人間として日本人と外国人を区別していません。法律とかは手続き的な部分は別として、「同じアジア人であり、同じ地球人である」という考えが根底にあるんです。しかし、それを前提で、もし何かあえてアドバイスをというならば、自国の誇りをもって就活してるとは思うんですが、よりそのよさを伝えることですかね。留学生だからできることってありますよね。自国と日本の文化や言葉の壁を埋めていくことができるとか。自分で留学生であるが故のメリットしっかりと訴えることです。それをプラスに転じている人は採用したいと思いますよね、経営者ならば。

招ー日本人は働きすぎと言われますが、社長は体を鍛えるのも大事とおっしゃっています。どのようなバランスでやればいいのでしょうか?

平野氏ー
私の場合、スポーツは趣味ですからね(笑)でも、何事にも100%でやる人がすばらしいんじゃないでしょうか。昔は「仕事に100%打ち込め!」とかいうのがあったみたいです。でも、本当に仕事100%の人は、遊びも100%なんですね。仕事を要領よくやる人は、遊びもそう。時間の使い方とか見てるとすぐわかるんです。どちらが良くてどちらが悪いというのは無いですね。そういう人が経営もうまいと思います。

招ー貴社の目標は?

平野氏ー世界一愛される会社を造ることですね。フルキャストで働いてよかったと思ってもらう会社にしたいです。働いてくれているスタッフが、友達に「どこの派遣会社がいいかな?」といわれたときに「フルキャスト」と自信を持っていってくれるような。人々の気持ちを大事にし働いてる人が光り輝ける会社ですね。

招ー社長の座右の銘は?

平野氏ー「初心忘れるべからず」ですね。最初持っていた気持ちや志しというのは、時間や変化とともに忘れていくものなんです。一番初めにどういう気持ちで起業したとか、仕事をはじめたかというのを常に忘れないことが大事だと思います。
【インタビュアー】
中 国:招 恵敏さん
日 本:斉藤舞南美さん
【感想】
招ー緊張しました!

斉藤ー私も。でも、大学に入っていきなりこんなすごい方とお話できるなんて、とても良いチャンスを頂いたと思います。平野さんに言われたように、積極的にアルバイトなどでも責任のある仕事をやっていけるようがんばります。

招ー私は、今就職活動をしているので、とても参考になりました。「コミュニケーションの基本は相手を思いやること」というのは、絶対にその通りだと思います。就職活動も結局は、企業とのコミュニケーションですよね。

斉藤ー確かに。私はまだそういうこと全然わからないけど、自分のことを相手に伝えるっていうのは、大変ですよね。私も、大学が始まって、友達を作れるか不安だったけど、もう大丈夫だと思う。

招ーそうですね。このインタビューで二人も仲良くなれたし。今日のインタビューは本当に良い思い出になりました。ありがとうございました!

フルキャストグループ CEO 平野岳史氏

【プロフィール】平野岳史氏フルキャストグループ CEO1961年神奈川県生まれ神奈川大学経済学部卒業後、金融関係の会社に就職。1987年に家庭教師派遣ビジネスを始める。そして、1990年軽作業のアウトソーシング事業を開始。2005年には、県営宮城球場の命名権を取得し、フルキャストスタジアム宮城とした。現在17社を抱える大企業となっている。

ぱど 倉橋氏 インタビュー

特集
仕事は、手段。目的でない。。
色んな人に出会えることがうれしい
訪問先:ぱどの倉橋社長
訪問者:アンナベル
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あのギネスブックにフリーペーパー発行部数NO1で載った
ぱどの社長
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アンナベル:
今日はお忙しいところありがとうございました。
まずは倉橋社長の幼少期のお話から順にお聞かせいただきたいと思います。
社長は小学生の頃の転校の経験が将来役に立ったということですが、どうしてでしょうか?)

倉橋社長:
転校のおかげで、色々な学校で、友達や先生の輪に入り込んでいくテクニックを学んだからです。
そういうテクニックを身に付けることで、社会に出ても必要なコミュニケーション能力を磨くことが出来たのです。

A
(倉橋社長は、学生時代は少々不真面目だったとお聞きしましたが本当ですか?)

K:
確かに高校時代はほとんど勉強をしませんでした。
当時は学生運動が真っ盛りだったのです。
通っていた学校は進学校だったのですが、受験勉強というものを押し付けられることに反抗していました。
しかし、3年生の時に、このままではまずいということになり、勉強を始めたのです。
そうは言っても勉強をしているところを見られたくないので、夕方くらいまでバスケなどをし、その後夜中の3時くらいまで勉強していました。

A:
(そして見事京都大学に合格。大学生活はいかがでしたか?)

K:
当時の大学は学生運動が盛んで、きちんと授業が受けられる体制ではなかったのです。
そのため、クラブ活動が中心の生活になりました。
当時ラリーに夢中になっていたので、自動車部に入って、車を走らせる毎日が続きました。
院に進んだのですが、やはり学問中心になることはなかったですね。

A:
(なるほど。
それでは、その後フリーペーパー事業を立ち上げることになった経緯を教えていただけますか?)

K:
大学院を出た後、荏原製作所という会社に就職し、アメリカに2年ほど駐在したのですが、そのときの経験が起業の原点です。
当時日本では70%以上の家庭が新聞を定期購読していたのですが、アメリカでは、クーポンがたくさんついている水曜日と土曜日にだけ買うという発想が強く、新聞は定期購読されるものではなかったのですね。
そのころアメリカで流行ったものが5年後か10年後に日本でも流行るという状態だったので、きっと近い将来日本でも同じようなことになるだろうと思ったのです。
これは2005年の話になってしまうのですが、広告費の市場が全体で5兆9,000億円で、そのうち新聞が1兆円、雑誌3,900億円、そしてチラシは4,700億円でした。
新聞の方が雑誌の市場よりも大きく、デザイン料を含めると、1兆円以上の市場があるのです。
もし新聞が無くなったら、この1兆円はどうなるのか。
当時チラシを配るインフラは新聞だけでしたが、もし新聞よりも低い価格で、もっと地域を限定化して広告を打てるインフラを作れたら、新聞の代替となれるのではないかと思ったのです。
そして、それはつまりフリーペーパーということです。
当時ITがどんどん進化していくだろうという考えを持っていたので、手作業ではなくパソコンをつかって編集作業が出来るようになるという見込みもありました。
つまり、フリーペーパーなどの製作も容易になるはずだという読みもあったわけです。

A:
(そういった経緯で1987年にフリーペーパー『ぱど』を創刊されたのですね。
当時ご苦労された点はどのようなものですか?)

K:
発行する地域を細分化して、いい媒体を作っているはずなのに、なかなか広告がとれない。
当時フリーペーパーはまだ珍しい存在で、なかなか信頼を得られなかったのです。
それは苦しかったですね。

A:
(日本企業の海外展開が近年目立ちますね。
御社もそのような計画がおありですか?)

K:
現在『ぱど』の発行部数は、全国で約1260万部で、ギネスにも認定されています。
"しかし現状に満足することなく、これからも発行地域を拡大し、部数を増やしていく予定なので、その過程で当然海外進出も検討していますよ。


A:
(『ぱど』にはどのような情報が掲載されているのですか?)

K:
発行地域に住んでいる人々が、普段の生活で行動する際に役立つものが多いですね。
地元のレストランや美容室の情報、そして求人情報など、生活圏の様々な情報を掲載しています。
家庭に配布をしているので、ターゲットとしては主婦がメインです。

元宮城県知事で現在は大学で教鞭をとられる

特集
『人との出会いを大切に』
学生時代は大いに悩むことも必要。青春時代ってそんなにかっこいいものではないですよ。
訪問先:慶応大学浅野教授
訪問者:蒋華さん
数々の改革を進められた凄腕の元知事とは思えない、とっても穏やかな笑顔の浅野教授。
慶応大学のものおじしない学生達をやさしく導いて行かれています。先生の教え子である
中国上海からの留学生、蒋華さんがお話を伺いました。
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真剣な眼差しの浅野氏と蒋華さん
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蒋華:今の学生はよく夢がないといわれますが、先生の学生時代ははっきりした、夢はありましたか?
浅野氏:実は私も学生時代に大きな夢を抱いていたわけではないんですよ。別に学生時代に具体的な夢が無くてもかまわないと思います。
私の人生も今振り返ってみると、私の場合は自分が何か強く望んでいたというより、運命的に周りから起こってきたことが多いですね。
政治家になったのも私が強く望んでなったわけではないんですよ。宮城県で大きな事件があって、たまたま自分に話が回ってきたので
それを受け止めて知事に立候補したという感じですね。なので、今夢が無いからといって自分を卑下する必要はないと思いますよ。
40年前の私もそうでした。人生に大切なのは『出会い』ですよ。その出会いに対してどう反応するかですよね。

蒋華:慶応大学にこられて、学生と接してどう感じられますか?
浅野氏:知事の時代はある程度、人との出会いが世代的には限られていますよね。大学に来てから自分の娘の年代の人たちと毎日接することはある意味エキサイティングでありチャレンジングですね。戸惑いもありますが、この年になっても新しい『出会い』が会って感謝していますね。疲れることもあるけどね。教育者という立場ですが彼らに何かを教えるというよりむしろ、何かを考えるきっかけを作りたいと思っています。
蒋華:先生が理想的に運営されていると考える国や自治体などありますか?またそれをどのように学生に伝えられていますか?
浅野氏:北欧の国々が理想に近い感じですかね。障害者福祉など、人間ひとりひとりが大切にされているのがすばらしいですね。
日本もその理想に近づけると思っています。今私が授業で心がけているのは、知識を教えるというより、現状を知ってもらってひとりでも多くの学生たちに政治や地方自治に関心を持ってもらえるよう考えることですよね。

蒋華:留学生や日本人の学生に対してですが、学生時代に経験してほしいことは何ですか?
浅野氏:必ずしも政治に深い関心を持ってほしいとは思っていません。学生時代は理想が高いですから現実とのギャップで思い悩むことも多いと思いますが、大いに悩んでほしいですね。青春時代というのはそんなにかっこいいものではないと思います。メールのやり取りなどで満足して、傷つくのを恐れて人と深く交わらない生き方より友達とけんかしたり、失恋したりする経験も大切ですよね。学生時代は、利害関係なしに人と付き合える貴重な時間ですから人との出会いを特に大切にしてほしいと思いますね。

蒋華:最後に先生の好きな言葉を教えてください。
浅野氏:厚生省の役人時代に新人の研修を担当したことがあるのですが、その時によく言っていた『足下に泉あり』という言葉ですかね。
日本の若い人たちの考え方として、学生時代から将来のためにと競争を続けてきて、いい大学に入って希望の組織に入ってもさらに我慢して上を目指していくイメージがありますが、私は若い人たちに今を楽しんで生きることも大切だよと伝えたいですね。
先のことを案じることも大事ですが今を楽しむ気持ちをもっと大切にしてほしいですね。


浅野司郎教授プロフィール

1948年(昭和23年)2月8日生まれ。宮城県仙台市出身。東京大学法学部卒業後1970年厚生省に入り、社会局老人福祉課課長補佐、在米日本大使館一等書記官、厚生省障害福祉課長などを歴任。たくさんの仲間と出会い、「障害福祉の仕事はライフワーク」と思い込 む。 1993年11月、23年7ヶ月務めた厚生省を退職し、宮城県知事選挙に出馬、当選。次々と改革を推進し、3期12年を知事として務める。現在は、慶応義塾大学総合政策学部教授、宮城県社会福祉協議会会長、東北大学客員教授、社団法人日本フィランソロピー協会会長を務める。知事在職中ジョギング知事と呼ばれた程のジョギング好き。また、15歳からのエルヴィス・ファンとしても有名で 知事時代、地元仙台のコミュニティFMで、毎週水曜日「シローと夢トーク」という番組のDJを務めた。エルヴィスの曲だけをかけ、エルヴィスの曲の話だけするという番組であった。浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』 夢らいんプロフィールで紹介した『ジョギング日記』も見ることが出来ます。

NHK伊東敏恵氏インタビュー 

特集
NHK伊東敏恵氏インタビュー 
「人とのかかわりの大切さ」多くの人たちに会えるのが何よりの楽しみというNHK伊東キャスターにインタビュー。
第六回
訪問先:伊東敏恵
訪問者:陳えんにんさん
ソフトな語り口調と笑顔がとってもすてきな、NHK伊東敏恵キャスターにマレーシアの留学生陳さんがインタビューしました。
伊東さんは現在NHK『ニュースウォッチ9』のキャスターを務めておられます。
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座右の銘
『トゲありてこそ汝はバラ』

女性の美しさも奥ゆかしさも人間としての芯の強さがあってこそ引き立つという意味。
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陳:どうしてアナウンサーになろうと思いましたか?

伊東氏:大学時代に、人間同士のかかわりにとても興味があり、心理学カウンセラーの道を目指していました。大学院への進学も考えたのですが、早く就職してほしいという両親のすすめもあり仕事に就くことにしました。言葉への関心も高かったことや人と話をしながら番組を作っていくことにも興味があったので、メッセージを伝えるアナウンサーという仕事を選びました。

陳:アナウンサーの仕事の楽しい部分、たいへんな部分は何ですか?

伊東氏:楽しいところは、なんといってもたくさんの人に出会えることです。これにつきますね。しかし、現実はたいへんなことも多いですよね。今、担当しているニュース番組は、生放送なので私の発する言葉がそのまま番組として流れます。見えない人たちへメッセージを発するという緊張感との闘いは何年たっても変わりません。テレビの向こう側の人たちにどうしたら、バランスよくメッセージを受け止めてもらえるかを日々考えています。責任の大きな仕事ですがとってもやりがいがありますね。
陳:仕事で一番印象に残っていることは何ですか?

伊東氏:岡山の新人時代に作った番組で詩人の永瀬清子さんについて作った番組がありました。以前から永瀬さんの詩がとても好きで、永瀬さんに会えると楽しみにしていたのですが、彼女はお会いする3ヶ月前に亡くなっていました。そのこともあったのでその番組に対して思い入れが一層深くなりました。30分ほどの番組でしたが、思い出深い宝物のような番組です。
あと、3年前にひきこもりの人たちを応援していこうと製作された番組「ひとつの出会い~ヤイコと88人の若者たち~」のキャスターをしていました。その番組の中で、それまでひきこもって家の外に出たことのない若者たちに『スタジオに来て、今感じていることを伝えてほしい』と呼びかけたところ、88人の引きこもりの若者たちがスタジオに来てくれました。彼らはいろいろな意見を出してくれましたが、みんなの心の叫びを直接聞くことが出来てとても印象に残っています。

陳:好きな言葉あるいは座右の銘をお聞かせください。

伊東氏:『トゲありてこそ汝はバラ』という言葉です。
冒頭でお話した、詩人の永瀬清子さんの言葉ですが、女性の美しさも奥ゆかしさも人間としての芯の強さがあってこそ引き立つという意味です。
陳|最後に留学生へのメッセージをいただけますか?
伊東氏|日本にいる間に、出来るだけ大勢の人に会ってください。学校の勉強も大切ですが、日本のことをよく理解するには出来るだけ多くの人に会って、いろんな意見を聞くことがとても大切ですね。

陳:貴重なお話どうもありがとうございました。

Profile

伊東敏恵氏山口県立徳山高校、東京女子大学卒業後、1996年にNHK入局。岡山・広島での勤務を経て、2002年より東京勤務。これまで「お元気ですか日本列島」「日本の、これから」のキャスターや、NHKスペシャルのナレーションを担当。2006年4月からは『ニュースウォッチ9』のキャスターをつとめている。自然な語り口でお茶の間の人気も急上昇中。

アニリール・セルカン氏にインタビュー

特集
11ヶ国語を操る宇宙飛行士候補、
アニリール・セルカンさんに直撃
訪問先:アニール・セルカン氏
訪問者:蒋 華さん
いま世界じゅうで科学技術は著しく進歩しています。私たちがいつも見ている空のはるか向こうの宇宙。その宇宙に旅行することも現実になりつつあるといっても過言ではないでしょう。そんな中、2004年トルコ人初宇宙飛行士候補に選ばれたアニリール・セルカンさん。現在は東大大学院の研究室で助手をしています。
彼が、今年の6月に出版した初の書き下ろし著書「宇宙エレベーター」が巷で評判となっています。話題の人物を訪ねるため、私たちはいざ東大へ!中国人大学生・蒋華さんが直撃インタビューしました。
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セルカン氏の面白いお話に思わず聞き入る蒋さん
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蒋華…宇宙飛行士の訓練プログラムで大変だったことは?
セルカン…色々なものがありましたが、自国の訓練としては、暗いプールの中で3日間過ごしたことが身体的につらかったです。精神的には、自分の意思でないことでも、一国の代表としてやらなければならないときですね。

蒋華…トルコでは、セルカンさんに憧れて宇宙飛行士になりたい子どもが多いそうですね。
セルカン…子どもたちにそう言ってもらえるのはすごく嬉しいです。でも彼らには、「宇宙飛行士」という将来の夢だけにとらわれず、科学や歴史、宇宙など様々な分野の学問を勉強して、自分の視野を広げてほしいと思います。私も本来の専門分野は建築・工学ですが、実は日本史が興味深くて好きですよ。

蒋華…セルカンさんはトルコ人?国際人?
セルカン…国籍上、紙の上ではトルコ人です。実際はトルコに住んだことはないのですが、とても愛着をもっており、海外で働くことでトルコのためになると信じています。しかし私は、宗教・国籍・肌の色で人を差別しませんし、そのようなことはあってはならないと思うのです。その点では、自分はれっきとした国際人だと考えています。

蒋華…一番幸せな時間は何をしているときですか?
セルカン…お酒を飲んでいるときです。だいたいのお酒が好きですが、特に梅酒が好きですね。でも、ビールと紹興酒だけは苦手です。
ビールに関してはドイツにいた頃、周りにいたビール好きな大人たちのお腹が、ぽっこり出ていた思い出があります。(笑)

蒋華…日本にいる留学生たちにメッセージをお願いします。
セルカン…私も過去は留学生だったので、気持ちはよくわかります。来日する選択をしたのは自分自身だから、日々チャレンジをしながらできるだけ楽しく過ごしてほしいと思います。自分の国を離れて暮らすのは、つらいこともあるけれど絶対に良い経験になるからです。
また勉強ばかりでなく人に会ったり、読書をしたり、バランスを保つことがたいへん大事なことです。研究者は、何日間も研究室に泊まりこみをするイメージがあります。しかし実際は、長い間ダラダラと取り組むのは効率よくありません。私も夜の7時までには研究室を後にしています。人との出会いも、大切にしてほしいですね。




座右の銘…「無」
無事是貴人(むじこれきにん)という禅語が元の語です。
幸せも悲しみも感じない「無」の世界では、問題が起こることがありません。
「無」はいわば「バランス」と同等のものなので、自分の心を「無」にすることができれば、必ず成功ができると信じています。


セルカンさんの著書
宇宙エレベーター(大和書房・定価2100円)
第一章から第五章にわたって、宇宙や時間、原子など様々なテーマで「旅」が綴られている。専門書のような小難しさは一切なく、宇宙や物理にさほど興味のない人でもさらりと読める内容。サンタとトナカイのクリスマス当日の労働や、独自の十一次元宇宙など、気になる人は要チェックな一冊!

アニリール・セルカン

1973年ドイツ生まれ。トルコ国籍。大学卒業までをドイツ、スイスで過ごし、1995年イリノイ工科大学建築学科卒業、1997年プリンストン大学数学部講師に就任。1999年バウハウス大学建築学科修士課程終了。2003年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程を修了、日本宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究本部宇宙構造物工学研究室講師を経て、現在、東京大学大学院助手、エール大学客員教授などを務める。2001年NASAジョンソンスペースセンター宇宙構造・材料系客員研究員として宇宙飛行士プログラムを終了、2004年トルコ人初宇宙飛行士候補に選ばれる。8ヶ国語+古代語3ヶ国語の計11ヶ国語を操る。また学問だけでなく、トルコのスキー代表選手に選ばれた経験をもつなどスポーツに精通する面も。専門は建築・工学。

「ワタミ」渡邉氏 インタビュー

特集
街角でいつもお馴染み!
「ありがとう」を一番集める企業を目指している「ワタミ」渡邉社長にインタビュー
取材先:「ワタミ」社長 渡邉美樹社長
担当者:李 斌
多くの居食屋が立ち並び競争が激化する中、止まらず成長を続ける「ワタミ」。また、「食」の分野だけでなく様々な分野で社会的、世界的にも貢献されている「ワタミ」の社長渡邉氏に現在和民で働いている中国からの留学生の李君がお話を伺いました。
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ワタミの渡辺氏
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お客様の喜びは、自分の喜び

李:和民の社員教育について教えてください
渡邉氏:まずサービスに関しては、お客様に対して、自分がお客様としての立場でどうして欲しいのか、こういう事はして欲しくないという事をしっかりと理解してそれを守っていけば最高のサービスが出来ると考えるのでマニュアル本は必要ないと思います。お客様が喜んでくれる事が、自分の喜びである、つまり、結局自分が喜ぶ為に仕事をするというのが、本来仕事のあるべき姿だという風に考えています。自分たちが喜ぶ為にお客様に尽くしなさい、自分たちが楽しむ為にお客様に尽くしないさいと教えています

世界を一つに

李:渡邉社長は、NPOスクールエイドジャパンの理事長も務めていらっしゃいますよね。国際的に見てどのような教育が必要だとお考えですか?
渡邉氏:現在世界では、様々な経済や環境の問題がありますよね。私は、21世紀は、世界が一つの国になっていかないといけないと思います。食料やCO2の問題に対しても、みんなが協力し、時には我慢しながらより良い明日を作っていく、そんな地球にしていく事が必要だと思います。その為には、教育というものが一番必要だと思っていますし、子供たちにも自分以外の人達の為にも行動できる人間になりなさい、カンボジアでも、夢をもって、この国をいい国にしていきなさいという教育をしています。
沢山のありがとうを集めたい

李:農業や介護の分野にも取り組まれているのですが、これからのまた何か新しい分野に取り組まれる予定はありますか?
渡邉氏:農業や介護の分野も外食のノウハウを使えばもっと生活を豊かにまた、沢山のありがとうという声を集められると思ったから始めたんですね。ですから、我々の経営資源の中で、もっと沢山のありがとうを集められるというものが見つかったらその時は挑戦します。しかし、今は、自分たちの持っている分野をより深く掘り下げていこうと思っています。

留学生へのメッセージ

李:和民の中で留学生が働いている姿が見られますが、留学生に期待されていることはありますか?
渡邉氏:皆さんは日本に来た目的というものがあるはずですから、それをまずは必ず達成して欲しいです。私が望む事は、沢山の事を学び、経験をして夢を追いかけて欲しいんですね。その中で我々が出来ることは、職つまり仕事の場を提供する事ですから、それに対しては力を尽くしたいと思っています。日本で皆さんが思いっきり働いて、稼いで、勉強も出来るようなそんな体制になればいいなと思います

座右の銘:敬天愛人

一つの成功に一喜一憂せず、常に天を意識し謙虚になること。そして、自分以外の人達を愛する為に生きること。

渡辺美樹氏

<プロフィール>1959年神奈川県生まれ。明治大学商学部を卒業後、経理会社に入社。資本金300万を貯め84年に起業。『つぼ八』のFC店として飛躍的に売上を伸ばす。92年居食屋「和民」を開発。2000年東証一部上場。06年4月持株会社に改め、外食の他、介護、環境、農業、教育の各事業を本格展開中。その他、郁文館夢学園理事長、幸会病院会長、NPO法人「スクール・エイド・ジャパン」の理事長、日本経団連理事長でもある。著書に「渡辺美樹の夢に日付を!夢実現の手帳術」など。

舞の海秀平氏のインタビュー

特集
やりたいことに挑戦できる喜び。
相撲界に入るキッカケとなったのは友人の死、だと彼は語る。
訪問先:舞の海秀平氏
訪問者:シェークスピアさん
舞の海さんに相撲や日本の文化についてブルネイの留学生シェークスピアさんが聞きました。
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穏やかにお話してくださった舞の海氏
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シェークスピア:最初は教師を目指していたようですが、おすもうさんになった理由は何ですか?

舞の海氏:実は大学時代にいっしょにすもうをやっていた仲間が急死したことが非常にショックでした。亡くなった友人はとっても健康で、彼も相撲の世界に挑戦しようと思っていました。彼の死で私もやりたい事をやろうという気持ちが大きくなってきました。先生になって安定した生活も考えてはいましたが、人間いつ死ぬかもしれないと想い、友人の為にも相撲の世界に挑戦することを決心しました。大切なのは自分自身で決心することだと思います。


シェークスピア:おすもうさんとして小柄なことなどいろいろなハンディがありながら、どのような気持ちで克服されましたか?

舞の海氏:身長が足りなくても何とかする方法はないかと考えると何とかなるもんだと思います。そのことについてはよくいわれますが、考え方の問題だと思います。大きな力士ももちろん怖いこともありますが、どんなに大きい人でも同じ人間ですから、勝つ方法はあると思います。怖いという気持ち以上に相手を倒すんだという気持ちが強かったですね。


シェークスピア:おすもうさんはどうして、ちょんまげやまわしをするのか?
舞の海氏:すもうは日本で一番歴史のある古い武道のひとつです。1400年ぐらい前からあり、最初はハッキリとしたルールもなかったのですが、そのうち土俵が出来て、今のような形になってきました。現在はすもうをスポーツとしてとらえがちですが、すもうは伝統文化のひとつです。しきたりも変わっていて、すもうでは、勝っても喜びをあまり表現しません。負けた人に対する思いやりや感謝の気持ちを示すことが重要なので、勝負がついた時は静かに'礼’をします。戦っている時は、相手を殺すぐらいの力でぶつかり合いますが勝負がつけば、勝ってもいばらず、負けてもひがまずお互いを尊敬します。これが相撲のすばらしい伝統です。
シェークスピア:タレントをしていて思い出に残っていることは何ですか?

舞の海氏:ブータンという国の高度2000Mのところですもうを子供たちに教えたのですが、高山病になってしまってあの時はつらかったですね。しかし、電気もラジオもなく、みんなでお米や野菜を作って生活をしているのですが、人の心は純粋でとっても豊かでした。そんな人たちといると心が洗われるようで幸せな気持ちになりました。


シェークスピア:留学生へのメッセージをいただけますでしょうか?

舞の海氏:強い意志を持って最初に志した目標を達成してほしいですね。また、色々な人と交流して日本の文化を学びながら、自分の国の文化についてもより深く理解することが出来ると思います。


シェークスピア:最後に座右の銘を聞かせてください。

舞の海氏::『受けて忘れず、施して語らず』人にお世話になったことは忘れず、人にしてあげたことは語らないという意味です。
夢に向かって頑張って下さい。

シェークスピア:今日はどうもありがとうございました。




舞の海秀平氏

日本大学 経済学部卒業。大学卒業後は山形県の高校教師に内定していたが、夢であった相撲取りへの道をかなえるため、周囲の反対を押し切りプロ入りを決意。新弟子検査基準(当時)の身長に足りなかったが、頭にシリコンを入れ新弟子検査に合格。1990年5月、大相撲 出羽海部屋に入門。同月、初土俵(幕下付出し)を踏む。1991年3月、十両(四股名:舞の海)に昇進し、同年9月幕内入りを果たす。角界最小の身体ながら、「猫だまし」、「八艘飛び」などファンを驚かせる数々の技をくりだし、"技のデパート"の異名をとる。1999年11月の引退までに、技能賞を5回受賞するなどの活躍をする。現在、アパマンショップなどのCMキャラクター、NHK大相撲解説者などをつとめる。

bjリーグを設立した河内氏

特集
アリーナ競技で日本初のプロリーグ!
選手として監督として常にバスケットと共に人生を歩んできた河内氏
訪問先:河内氏
訪問者:許 静
バスケットにかける思いは強くなるばかりで、昨年ついにアリーナ競技で日本初のプロリーグbjリーグを立ち上げる。今回は河内氏にプロリーグにかける熱い想い聞くために留学生である許静さんが独占インタビュー!!
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河内敏光氏
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プロバスケリーグの必要性

・どうして今までスポーツが盛んな日本にバスケットのプロリーグがなかったのですか?

アジアの他の国から見ても日本にバスケットのプロリーグがなかったことが日本の7不思議だと言われていました。実は日本にはスーパーリーグという実業団のリーグがあるのですが、アジアの方はそれをプロリーグだと思っていたのです。プロリーグではなく実業団リーグでしたので、社員の方が昼間はお仕事をして夜に練習をして週末に試合をするという形をとっていました。アマチュアのリーグでしたので、バスケットだけに専念できる環境ではなかったですし、興行の考えやエンターテイメント性もほとんどありませんでした。

・いつBJリーグを作りたいと思ったのですか?

92年のオリンピックのときアジアからは2つのチームしか出場できず日本は負けて出場することができませんでした.中国も韓国もそのころにバスケットのプロリーグができたばかりでした.プロリーグがある国はやはりどんどん強くなるのを実感して,プロリーグは実力を高めるには不可欠だと思いました。
地域の特色を出して一体感を

・エンターテイメント性への取り組みについて、具体的にどうお考えですか?
Bjリーグはアリーナのような体育館でのプロリーグの競技としては初の試みでした.アリーナは天候に左右されないですし,歌手もコンサートを行うような場所ですから音楽も映像も取り入れることができます.そういったものを取り入れることで選手と観客が一体になれるような雰囲気作りを心がけています.
また、BJリーグでは各チームによって応援の仕方にも地域性があります.例えば大阪エヴェッサでは漫才やお笑いが盛んな地域ですから「ハリセン」を応援グッズにしています。リーグとして音楽とチアリーダーは必ずいれるようにしていますが、地域によって応援スタイルに特徴を持たせることで色んな地域の応援スタイルを楽しむことができるし,地域ぐるみで応援を楽しめると思っています.

アルビレックス新潟 池田氏

特集
新潟のために
新潟の活性化・地域活性化のために
訪問先:池田会長
インタビュー:パウエル
「パウエル」
今日はセンサップの方から取材の事で参りましていくつかの質問を用意し
たんですがその前に資料を頂いて会長のプロファイル、そしてインタビュー記事を読んで
後にいくつかの質問がありましたので今日お聞きしたいと思います。
「池田会長」
どうぞ。
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池田会長
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「パウエル」
池田会長は新潟のために新潟の活性化、地域活性化のためにずっと事業をされていると思いますが、私の最初の質問として池田会長は将来的に新潟をどういう街にしたいのですか?

「池田会長」
一つは世界でもっとも物質的にも精神的にも豊かな街づくりに民間の立場で
そうなるようにチャレンジしたい。
じゃーどういう街かと言うとですね、当然ベースは経済的に当然個人所得、もしくは個人所得がもっとも高い。そういう意味では日本でもっとも高くなると国際的にも高くなる可能性があるわけですね。それはいい職場なりですね、やっぱり働く職場がきちんとなければですねいい給与が取れるような、要するにヘットコーターがあるような職場がなければですねなかなか難しいと。そういう意味では企業に企業が存在するということがあるんですね。もう一つは例えばスポーツという視点で考える場合にはいろんなスポーツがいいコーチの下で、当然プロを目指したならプロで完結できるようなサポートシステムがあり、だけど健康という意味では皆が少数しかプロになれないわけですから健康という意味で健康とスポーツという視点でスポーツを楽しみながら健康的な個人、またそれを通してファミリーとかですね、企業の人たちが十分に楽しめるようなスポーツを通して一つあります。
当然スポーツだけじゃなくて、音楽だとか、いい意味でファッション、食だとか、食もそいったものに関して人間が真から満足できるようなエリアにして参りたいと思ってます。
「パウエル」
分りました、ありがとうございます。次の質問にも繋がると思いますが自分
も留学生として日本に来てるんですが当然ながら池田会長にご意見をお聞きしたいのは
例えば新潟という地域の中では様々な事業などを発展させていくと思いますが、
その中で国内と国際規模の事業だとかの活動などあると思いますがもしよければどれぐら
いの割合があればいいですか?
それとも状況を見て国際的な事業を進めた方がいいなどそれに関するご意見があれば
お願いします。

「池田会長」
 まずその目的が新潟をいい意味で豊かにしていくと。
例えば日本でサッカーで日本国内でナンバーワンをサッカーチームを作ると。新潟という
メジャーじゃない所がチームを作るとですね、全国から指導もできるという事で色々な所
が手を上げて、それをいい意味で情報を提供させて頂いて、または指導をして今Jリーグ
を目指したいチームが50ヶ所以上になってきてる。それは今回は新潟がやった事によっ
て皆もうちもできるんじゃないかと思って頂いてた事も非常に大きいし、まあ実際できて
いる。で今手を上げてる所も非常に多くなってきていると。
ある地域で一つのビジネスモデルを作ると全国に普及していくと。それは国内だけじゃな
くてもですね、人間の本質で捉えると別に外国でも当然できるという事なんですね。
専門学校も、いろんな分野で日本一の分野の専門学校を作ってきている。その時に新潟で
ナンバーワンの学校を作るという時に何をしてきたかと言いますと日本でナンバーワンで
というのではある程度分野では東京の専門学校を超えないといけない。
そうすると世界ナンバーワンの所と姉妹提携さして、100ヶ所以上の専門学校や大学と
姉妹提携しているんですね。んでノウハウをもってくる。もしくは中国など、逆に遅れ
ている地域とも姉妹提携していくと。そういう異文化と提携する事によってお互い刺激を
お互いに受けると。そういう意味では国際の視点からいくと地方都市から国際という事が
物凄い進んでるやってきてるという事は事実なんですね。
サッカーでもシンガポールがプロリーグを作ってワールドカップに参加したいという国の
政策の中でプロリーグを作る。外国のチームも招聘したいという中で日本にも是非出てい
ただきたい時に新潟が喜んで出て行ったという事になると非常に先駆的にやってるんじゃ
ないと思います。