「ワタミ」渡邉氏 インタビュー

  • 2006/07/19 17:28
特集
街角でいつもお馴染み!
「ありがとう」を一番集める企業を目指している「ワタミ」渡邉社長にインタビュー
取材先:「ワタミ」社長 渡邉美樹社長
担当者:李 斌
多くの居食屋が立ち並び競争が激化する中、止まらず成長を続ける「ワタミ」。また、「食」の分野だけでなく様々な分野で社会的、世界的にも貢献されている「ワタミ」の社長渡邉氏に現在和民で働いている中国からの留学生の李君がお話を伺いました。
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ワタミの渡辺氏
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お客様の喜びは、自分の喜び

李:和民の社員教育について教えてください
渡邉氏:まずサービスに関しては、お客様に対して、自分がお客様としての立場でどうして欲しいのか、こういう事はして欲しくないという事をしっかりと理解してそれを守っていけば最高のサービスが出来ると考えるのでマニュアル本は必要ないと思います。お客様が喜んでくれる事が、自分の喜びである、つまり、結局自分が喜ぶ為に仕事をするというのが、本来仕事のあるべき姿だという風に考えています。自分たちが喜ぶ為にお客様に尽くしなさい、自分たちが楽しむ為にお客様に尽くしないさいと教えています

世界を一つに

李:渡邉社長は、NPOスクールエイドジャパンの理事長も務めていらっしゃいますよね。国際的に見てどのような教育が必要だとお考えですか?
渡邉氏:現在世界では、様々な経済や環境の問題がありますよね。私は、21世紀は、世界が一つの国になっていかないといけないと思います。食料やCO2の問題に対しても、みんなが協力し、時には我慢しながらより良い明日を作っていく、そんな地球にしていく事が必要だと思います。その為には、教育というものが一番必要だと思っていますし、子供たちにも自分以外の人達の為にも行動できる人間になりなさい、カンボジアでも、夢をもって、この国をいい国にしていきなさいという教育をしています。
沢山のありがとうを集めたい

李:農業や介護の分野にも取り組まれているのですが、これからのまた何か新しい分野に取り組まれる予定はありますか?
渡邉氏:農業や介護の分野も外食のノウハウを使えばもっと生活を豊かにまた、沢山のありがとうという声を集められると思ったから始めたんですね。ですから、我々の経営資源の中で、もっと沢山のありがとうを集められるというものが見つかったらその時は挑戦します。しかし、今は、自分たちの持っている分野をより深く掘り下げていこうと思っています。

留学生へのメッセージ

李:和民の中で留学生が働いている姿が見られますが、留学生に期待されていることはありますか?
渡邉氏:皆さんは日本に来た目的というものがあるはずですから、それをまずは必ず達成して欲しいです。私が望む事は、沢山の事を学び、経験をして夢を追いかけて欲しいんですね。その中で我々が出来ることは、職つまり仕事の場を提供する事ですから、それに対しては力を尽くしたいと思っています。日本で皆さんが思いっきり働いて、稼いで、勉強も出来るようなそんな体制になればいいなと思います

座右の銘:敬天愛人

一つの成功に一喜一憂せず、常に天を意識し謙虚になること。そして、自分以外の人達を愛する為に生きること。

渡辺美樹氏

<プロフィール>1959年神奈川県生まれ。明治大学商学部を卒業後、経理会社に入社。資本金300万を貯め84年に起業。『つぼ八』のFC店として飛躍的に売上を伸ばす。92年居食屋「和民」を開発。2000年東証一部上場。06年4月持株会社に改め、外食の他、介護、環境、農業、教育の各事業を本格展開中。その他、郁文館夢学園理事長、幸会病院会長、NPO法人「スクール・エイド・ジャパン」の理事長、日本経団連理事長でもある。著書に「渡辺美樹の夢に日付を!夢実現の手帳術」など。

舞の海秀平氏のインタビュー

  • 2006/06/19 17:59
特集
やりたいことに挑戦できる喜び。
相撲界に入るキッカケとなったのは友人の死、だと彼は語る。
訪問先:舞の海秀平氏
訪問者:シェークスピアさん
舞の海さんに相撲や日本の文化についてブルネイの留学生シェークスピアさんが聞きました。
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穏やかにお話してくださった舞の海氏
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シェークスピア:最初は教師を目指していたようですが、おすもうさんになった理由は何ですか?

舞の海氏:実は大学時代にいっしょにすもうをやっていた仲間が急死したことが非常にショックでした。亡くなった友人はとっても健康で、彼も相撲の世界に挑戦しようと思っていました。彼の死で私もやりたい事をやろうという気持ちが大きくなってきました。先生になって安定した生活も考えてはいましたが、人間いつ死ぬかもしれないと想い、友人の為にも相撲の世界に挑戦することを決心しました。大切なのは自分自身で決心することだと思います。


シェークスピア:おすもうさんとして小柄なことなどいろいろなハンディがありながら、どのような気持ちで克服されましたか?

舞の海氏:身長が足りなくても何とかする方法はないかと考えると何とかなるもんだと思います。そのことについてはよくいわれますが、考え方の問題だと思います。大きな力士ももちろん怖いこともありますが、どんなに大きい人でも同じ人間ですから、勝つ方法はあると思います。怖いという気持ち以上に相手を倒すんだという気持ちが強かったですね。


シェークスピア:おすもうさんはどうして、ちょんまげやまわしをするのか?
舞の海氏:すもうは日本で一番歴史のある古い武道のひとつです。1400年ぐらい前からあり、最初はハッキリとしたルールもなかったのですが、そのうち土俵が出来て、今のような形になってきました。現在はすもうをスポーツとしてとらえがちですが、すもうは伝統文化のひとつです。しきたりも変わっていて、すもうでは、勝っても喜びをあまり表現しません。負けた人に対する思いやりや感謝の気持ちを示すことが重要なので、勝負がついた時は静かに'礼’をします。戦っている時は、相手を殺すぐらいの力でぶつかり合いますが勝負がつけば、勝ってもいばらず、負けてもひがまずお互いを尊敬します。これが相撲のすばらしい伝統です。
シェークスピア:タレントをしていて思い出に残っていることは何ですか?

舞の海氏:ブータンという国の高度2000Mのところですもうを子供たちに教えたのですが、高山病になってしまってあの時はつらかったですね。しかし、電気もラジオもなく、みんなでお米や野菜を作って生活をしているのですが、人の心は純粋でとっても豊かでした。そんな人たちといると心が洗われるようで幸せな気持ちになりました。


シェークスピア:留学生へのメッセージをいただけますでしょうか?

舞の海氏:強い意志を持って最初に志した目標を達成してほしいですね。また、色々な人と交流して日本の文化を学びながら、自分の国の文化についてもより深く理解することが出来ると思います。


シェークスピア:最後に座右の銘を聞かせてください。

舞の海氏::『受けて忘れず、施して語らず』人にお世話になったことは忘れず、人にしてあげたことは語らないという意味です。
夢に向かって頑張って下さい。

シェークスピア:今日はどうもありがとうございました。




舞の海秀平氏

日本大学 経済学部卒業。大学卒業後は山形県の高校教師に内定していたが、夢であった相撲取りへの道をかなえるため、周囲の反対を押し切りプロ入りを決意。新弟子検査基準(当時)の身長に足りなかったが、頭にシリコンを入れ新弟子検査に合格。1990年5月、大相撲 出羽海部屋に入門。同月、初土俵(幕下付出し)を踏む。1991年3月、十両(四股名:舞の海)に昇進し、同年9月幕内入りを果たす。角界最小の身体ながら、「猫だまし」、「八艘飛び」などファンを驚かせる数々の技をくりだし、"技のデパート"の異名をとる。1999年11月の引退までに、技能賞を5回受賞するなどの活躍をする。現在、アパマンショップなどのCMキャラクター、NHK大相撲解説者などをつとめる。

bjリーグを設立した河内氏

  • 2006/05/19 17:05
特集
アリーナ競技で日本初のプロリーグ!
選手として監督として常にバスケットと共に人生を歩んできた河内氏
訪問先:河内氏
訪問者:許 静
バスケットにかける思いは強くなるばかりで、昨年ついにアリーナ競技で日本初のプロリーグbjリーグを立ち上げる。今回は河内氏にプロリーグにかける熱い想い聞くために留学生である許静さんが独占インタビュー!!
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河内敏光氏
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プロバスケリーグの必要性

・どうして今までスポーツが盛んな日本にバスケットのプロリーグがなかったのですか?

アジアの他の国から見ても日本にバスケットのプロリーグがなかったことが日本の7不思議だと言われていました。実は日本にはスーパーリーグという実業団のリーグがあるのですが、アジアの方はそれをプロリーグだと思っていたのです。プロリーグではなく実業団リーグでしたので、社員の方が昼間はお仕事をして夜に練習をして週末に試合をするという形をとっていました。アマチュアのリーグでしたので、バスケットだけに専念できる環境ではなかったですし、興行の考えやエンターテイメント性もほとんどありませんでした。

・いつBJリーグを作りたいと思ったのですか?

92年のオリンピックのときアジアからは2つのチームしか出場できず日本は負けて出場することができませんでした.中国も韓国もそのころにバスケットのプロリーグができたばかりでした.プロリーグがある国はやはりどんどん強くなるのを実感して,プロリーグは実力を高めるには不可欠だと思いました。
地域の特色を出して一体感を

・エンターテイメント性への取り組みについて、具体的にどうお考えですか?
Bjリーグはアリーナのような体育館でのプロリーグの競技としては初の試みでした.アリーナは天候に左右されないですし,歌手もコンサートを行うような場所ですから音楽も映像も取り入れることができます.そういったものを取り入れることで選手と観客が一体になれるような雰囲気作りを心がけています.
また、BJリーグでは各チームによって応援の仕方にも地域性があります.例えば大阪エヴェッサでは漫才やお笑いが盛んな地域ですから「ハリセン」を応援グッズにしています。リーグとして音楽とチアリーダーは必ずいれるようにしていますが、地域によって応援スタイルに特徴を持たせることで色んな地域の応援スタイルを楽しむことができるし,地域ぐるみで応援を楽しめると思っています.

アルビレックス新潟 池田氏

  • 2006/04/19 16:08
特集
新潟のために
新潟の活性化・地域活性化のために
訪問先:池田会長
インタビュー:パウエル
「パウエル」
今日はセンサップの方から取材の事で参りましていくつかの質問を用意し
たんですがその前に資料を頂いて会長のプロファイル、そしてインタビュー記事を読んで
後にいくつかの質問がありましたので今日お聞きしたいと思います。
「池田会長」
どうぞ。
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池田会長
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「パウエル」
池田会長は新潟のために新潟の活性化、地域活性化のためにずっと事業をされていると思いますが、私の最初の質問として池田会長は将来的に新潟をどういう街にしたいのですか?

「池田会長」
一つは世界でもっとも物質的にも精神的にも豊かな街づくりに民間の立場で
そうなるようにチャレンジしたい。
じゃーどういう街かと言うとですね、当然ベースは経済的に当然個人所得、もしくは個人所得がもっとも高い。そういう意味では日本でもっとも高くなると国際的にも高くなる可能性があるわけですね。それはいい職場なりですね、やっぱり働く職場がきちんとなければですねいい給与が取れるような、要するにヘットコーターがあるような職場がなければですねなかなか難しいと。そういう意味では企業に企業が存在するということがあるんですね。もう一つは例えばスポーツという視点で考える場合にはいろんなスポーツがいいコーチの下で、当然プロを目指したならプロで完結できるようなサポートシステムがあり、だけど健康という意味では皆が少数しかプロになれないわけですから健康という意味で健康とスポーツという視点でスポーツを楽しみながら健康的な個人、またそれを通してファミリーとかですね、企業の人たちが十分に楽しめるようなスポーツを通して一つあります。
当然スポーツだけじゃなくて、音楽だとか、いい意味でファッション、食だとか、食もそいったものに関して人間が真から満足できるようなエリアにして参りたいと思ってます。
「パウエル」
分りました、ありがとうございます。次の質問にも繋がると思いますが自分
も留学生として日本に来てるんですが当然ながら池田会長にご意見をお聞きしたいのは
例えば新潟という地域の中では様々な事業などを発展させていくと思いますが、
その中で国内と国際規模の事業だとかの活動などあると思いますがもしよければどれぐら
いの割合があればいいですか?
それとも状況を見て国際的な事業を進めた方がいいなどそれに関するご意見があれば
お願いします。

「池田会長」
 まずその目的が新潟をいい意味で豊かにしていくと。
例えば日本でサッカーで日本国内でナンバーワンをサッカーチームを作ると。新潟という
メジャーじゃない所がチームを作るとですね、全国から指導もできるという事で色々な所
が手を上げて、それをいい意味で情報を提供させて頂いて、または指導をして今Jリーグ
を目指したいチームが50ヶ所以上になってきてる。それは今回は新潟がやった事によっ
て皆もうちもできるんじゃないかと思って頂いてた事も非常に大きいし、まあ実際できて
いる。で今手を上げてる所も非常に多くなってきていると。
ある地域で一つのビジネスモデルを作ると全国に普及していくと。それは国内だけじゃな
くてもですね、人間の本質で捉えると別に外国でも当然できるという事なんですね。
専門学校も、いろんな分野で日本一の分野の専門学校を作ってきている。その時に新潟で
ナンバーワンの学校を作るという時に何をしてきたかと言いますと日本でナンバーワンで
というのではある程度分野では東京の専門学校を超えないといけない。
そうすると世界ナンバーワンの所と姉妹提携さして、100ヶ所以上の専門学校や大学と
姉妹提携しているんですね。んでノウハウをもってくる。もしくは中国など、逆に遅れ
ている地域とも姉妹提携していくと。そういう異文化と提携する事によってお互い刺激を
お互いに受けると。そういう意味では国際の視点からいくと地方都市から国際という事が
物凄い進んでるやってきてるという事は事実なんですね。
サッカーでもシンガポールがプロリーグを作ってワールドカップに参加したいという国の
政策の中でプロリーグを作る。外国のチームも招聘したいという中で日本にも是非出てい
ただきたい時に新潟が喜んで出て行ったという事になると非常に先駆的にやってるんじゃ
ないと思います。

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