リトルトーキョーの「交番」で出会った、不屈の歴史と温かい人情
- 2026/08/28 13:13
リトルトーキョーの「交番」で出会った、不屈の歴史と温かい人情
LITTLE TOKYOやNISEI WEEK、日系アメリカ人のことをもっと知りたいと思い、LITTLE TOKYO内をうろうろしていると、『交番』と名付けられているインフォメーションセンターが目に入り、中に入って資料を見ていた。
クロージングの時間がとっくに過ぎているのに、一生懸命、電話対応をしている男性が電話を終わったら話を聞いてみようとしているところ、電話のその人が、Mr Little TokyoのBrian Kito(ブライアン・キト)さんだった。
「お待たせしてすみません」と微笑むブライアンさん。彼が率いる「交番(Koban)」は、1980年代の治安悪化を受け地元商店主たちが結成した会が、1996年にロサンゼルス市警察(LAPD)や市の協力を得て開設した、安全と観光案内の拠点だ。完全ボランティア運営で、日英両語で相談に対応している。ボランティアの徒歩パトロール隊により、地区の犯罪率を66%も激減させた頼もしい存在だ。
実はブライアンさんは、交番の目の前にある1903年創業の老舗和菓子店「風月堂」の3代目店主でもある。リトルトーキョーは日系人の心の故郷だが、その歩みは平坦ではなかった。第二次世界大戦中の1941年、大統領令9066号により強制収容所に送られ、風月堂も一時閉鎖を余儀なくされた。戦後、機材を没収されながらもゼロから再起した過酷な再建は、ブライアンさんをして「アメリカン・ドリームを2度生きなければならなかった」と言わしめるものだった。
そんな彼が今も情熱を注ぐのが、毎年夏の「二世週祭(Nisei Week)」だ。大恐慌期に地元商店の活性化目的で始まったが、現在は日系文化を祝う全米最大級の祭典へと進化している。
ブライアンさんは10代でお祭りの際にかき氷ビジネスを大成功させ、2008年には「ロサンゼルス七夕まつり」を共同創設した。2011年の東日本大震災時には、被災した東北地方や仙台市の復興支援募金を集める架け橋にもなった。
「この街の未来は、人々が主体的な関わり(オーナーシップ)を持ち、自らのルーツや文化を愛することにかかっている」と彼は語る。
観光地を巡るだけでは見えない、差別や苦難を乗り越えてきた日系人の不屈の精神。そして、人々を温かく迎え入れる交番の人情。
ドジャースの試合ももちろん楽しみだが、