2024/04/25 19:44

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Ted McGrath Interview

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Ted McGrath Interview

テッド・マクグラス氏(ビジネスコーチ・パフォーマー)

ライフスタイルや人生経験を生かしたコーチングで、多くの成功者を出している今アメリカで話題のビジネスコーチ。4つの住宅関連のブランドの創設者としてすでに億万長者だが、最近は、自分自身の経験を生かしたひとり劇もとても人気で、パフォーマーとしても注目を浴びている。

公式ページ http://tedmcgrathbrands.com/

Q: 今回の来日の目的は?


A: 今回は、友人の紹介で、ビジネスセミナーの講師として招かれ、初めて来日した。実は、高校時代に日本から来たクラスメートがいて、彼に20年ぶりに会うことも楽しみにしているんだ。

Q:セミナーで話されて、日本人の聴衆の反応は?


A: 日本人はとても、しっかりと私の話を聞いてくれた。アメリカ人と比べると日本人の方が、人の意見を素直に取り入れるように思えた。しかし、自分でビジネスをすることに対する不安は、アメリカ同様に大きい。だが、多くの日本人は今までのように組織にばかり頼った生き方を見直すことが必要な時代が来ていることを察知している。私の話を聞いて、ひとりでも多くの参加者が自分の可能性に気がつき、将来は自分のビジネスを作っていってほしいと思う。

Q: 短期間で成果の上がるコーチングで有名だがその特徴は?


A: それは、簡単には説明できないね。どうして短期間で成果が出るのかは、おそらく、私の子供の頃のとても悲しい経験が元になっていると思う。私の両親が6歳で離婚し、私は、両親に捨てられたと思った。その空虚感を一日も早く埋めるためにがむしゃらにがんばって、1年で大手生命保険会社で2万人の社員の中から優秀社員として表彰されるまでになった。しかし、表彰を祝うパーティーで、飲みすぎ、死に掛けたところを、兄に助けられた。飲みすぎたのは、せっかく1年間、血のにじむ努力をして、素晴らしい成績を上げても、自分の空虚感を埋めることが出来なかったからだ。何かが違うと感じていたんだ。
その後、独立して、自分で事業を始めたが、失敗し、失意のどん底を体験した時に、
色々な、自己啓発のセミナーを受けたり、DVDを見たりした。そして、ある日、自分は、両親に捨てられたのではなく、別れた後も両親は私のことを本当は愛し続けていたことを悟った。そして、長年満たされなかった、自分の気持ちが満たされたような気がした。それから、その経験を人に話すうちに、周りの人たちを勇気付けられるようになり、ビジネスコーチとして、数千ドルの報酬をもらえるようになった。
私のセミナーやコーチングが短期間で効果があるといわれるのは、私自身が、クライアントが、少しでも早く、私の感じた満足感を感じてほしいといつも思っているからだと思う。人の人生を変えることが出来る今の仕事に大変満足している。
そして、一度、自分の可能性に気づくとどんなことにでもチャレンジしたくなる。
私が、ひとり劇をしているのもそのひとつだ。私は特別に演劇などの訓練を受けたわけではないが、自分の経験談を芝居で表現したいと強く思うようになった。
今では、アメリカだけでなく、海外でも公演をするまでになっている。
どんな人にも、貴重な体験があるはずだ。人に知られたくない経験でもそれを乗り越えることが出来れば、とても大切なあなたの武器になる。そのつらい経験こそ、あなたを支えるベースになるのだ。

 

Q: 日本人の旧友にこの後会われると聞いたが?


A: 20年ぶりに会うのでとても楽しみにしている。彼は、日本から私の高校にやってきた。親の仕事の関係でアメリカに来たようだったが、英語があまり理解できず最初は困っていたので、私が彼のサポート役をかってでて、彼の友達になった。アジア人がほとんどいない地区だったので、彼も少し寂しい思いをしたこともあったと思うが、彼を通して日本にも少し、興味を持った。今回、まさか会えるとは思っていなかったが、たまたま彼も、東京に住んでいることがわかった。今夜会うが本当に楽しみだ。


Q: 日本人の若者へのメッセージをお願いしたい。


A: これからは、組織に頼ってばかりいる人生はリスクが高い。自分自身を信じて、
自分の体験を武器にして、思い描く人生を生きてほしい。日本では、大きな組織に安住したいという若者が多いと聞いたが、それが、本当の幸せかどうかはわからない。
大切なのは自分の納得する人生を生きることだ。組織の制約の中で力を発揮する人もいるし、自分のビジョンを持って、自分の世界を描くことが楽しい人もいる。
そのためにも、自分の体験を肯定的に考えて、自分の本心に素直に生きることだと思う。それと、海外の人たちとの交流も大事にしてほしい。異文化体験は人を成長させるし、多文化に寛容な自分を作ることも可能にする。
あまり結果にとらわれず、どんどん、やりたいことに挑戦しよう!!

 






 

幸せな結婚にも役立つ不動産投資

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市野美由紀さん プロフィール

1985年 中国•北京の胡同生まれ。14歳の時に来日、日本国籍に帰化
2004年 中央大学商学部入学。上海复旦大学、ウィーン大学への短期留学を通じ、福祉&環境問題に興味を持つようになる。卒業後、ソニー株式会社に入社。ツーリスト向けモデルの商談、営業を担当し、リーマンショック、SARS、世界不況の中で支店トップの実績を残すも将来への不安を感じ、株に投資するが大損。その後、不動産投資家に出会い、1200万円のアパート投資にチャレンジ。4棟のアパート所有者となり、20代で女性大家さんになる。2014年、ソニー不動産株式会社に転職。アシスタントして全般業務を習得。宅建に合格。2015年 東京ハピネス不動産株式会社を設立。不動産投資、外国人向け専門業者という二つの軸で運営中。

幸せな結婚にも役立つ不動産投資

Q:北京の胡同(フートン)で生まれたと聞きましたが、胡同とはどんな場所ですか?

A:北京の天安門広場の近くにあったのですが、旧城内を中心に点在する細い路地のようなものを胡同といいます。家は、一軒一軒独立していますが、共用スペースが多く、子供たちがみんな兄弟姉妹のように仲良く遊んでいて、住民同志も、助け合って大きな家族のように暮らしていました。その時の人の結びつきは大変強く、今でも多くの人たちとやり取りをしています。それ位、人間関係が密な場所でした。経済発展と共に今では、すべて立ち退きになり、跡形も残っていませんが、今でも私にとって理想の暮らし方は、子供時代に体験した『胡同』での生活かも知れません。

Q:日本には、14歳で来たということですが、胡同の生活からは、大きく変ったと思いますが、日本の生活で一番変わったことは何ですか?

A:日本では、中学生でも男女が別々に遊びますね。その点が一番違うと思いました。それと、日本では宿題があまりなく、授業が終われば、すぐに家に帰って、それぞれ塾に行ったりするでしょ。中国では、宿題がたくさんあって、遅くまで、男女の区別なく学校に残ってみんなで勉強していました。結果的に一日中友達といることになりますね。

Q:その後、すっかり日本の生活にも溶け込んで、中央大学に進学しますね、そこで、上海とウィーンに短期留学をしたということですが、どうでしたか?

A:上海留学中に、貴州という中国でも一番貧しいエリアで新聞社のインターンを体験しました。物質的には豊かではありませんが、人々は自給自足の生活をしながら、ゆったりと暮らしていました。文化財の取材であるおばあさんと話をしましたが、とてもうれしそうに娘や孫のために作った織物を見せてくれました。豊かな自然に囲まれ、孫や娘とのんびり暮らしているおばあさんの話を聞いて本当の豊かさとは何だろうと考えましたね。また、大学の教授の薦めでいったウィーンでも、音楽に囲まれた、高齢者の人たちが豊かに暮らしていました。ゴミ処理場なんかもとてもおしゃれで、きれいな街に溶け込んでいましたね。芸術が好きな私には夢のような場所でした。

Q:充実した大学生活を送って、ソニーに就職したにも関わらず、不動産投資を始めた理由は何ですか?

A: とてもイメージがいい会社に就職できたので、自分なりに努力をしていましたが、会社の業績がどんどん悪くなって、将来に不安な気分になっていました。そこで、株式投資を素人ながら始めましたが、結果的には大損をしてしまい、落ち込んでいました。そんな時に偶然人生を変えるチャンスにめぐり合いました。仕事の関係で参加したクリスマス・パーテイーで不動産投資をしながら、悠々自適な生活をしている人に会ったんです。年配の男性ですがとても親切な人で、私に一から不動産投資を教えてくれました。私も自分なりにも多くの本を読んで勉強もしましたが、考え方さえ間違えなければ、うまくいくのではないかという気持ちになってきたので、思い切って1200万の中古アパートを買いました。そこから、どんどん買い増していって、今では4棟を所有しています。
そして、家賃収入や管理料だけで、生活が出来るようになったので、仕事もやめて、不動産の事業に集中することにしました。

Q:今は独立したということですが、どんな不動産会社を目指していますか?

A: 私が不動産投資を始めたのは、28歳の時ですが、ただのOLだった私でも今の立場を手に入れることが出来ました。若い女性には、縁遠いと思っている人も多いと思いますが、将来結婚してからも、自分が金銭的に独立していれば、将来のパートナーが万が一困った時でも、家計を助けることができますね。そんなことが実際に出来るようになります。
幸せな結婚生活を送る上でも、女性が、不動産投資をしていることはいいことだと思います。
金銭的に自由な立場になれる友達を少しずつ作って、みんなで好きなことに時間を使えるようなお手伝いをしたいですね。

残り1名 女性向け経営セミナーはこちらから

お問い合わせ:東京ハピネス不動産株式会社 

〒169-0074 東京都新宿区北新宿1-16-19
EMAIL. m.ichino@t-hf.biz"TEL. 03-6304-0357  
http://www.tokyo-happiness.net/sub_about/

留学生アイドルグループを目指す  Melting Pot

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本番もがんばりました!! MC編

本番もがんばりました!! MIKOSHI LIVE編

留学生アイドルグループを目指す  Melting Pot


祭りをイメージした、オリジナルの曲で18日の国際紅白歌合戦を盛り上げてくれます。
メンバーは8人で、中国人とベトナム人の女性が参加していますが、それぞれ、学校や会社に通いながら時間を調整しながら練習を重ねてきたようです。
ぜひ、彼女たちを応援してあげてくださいね。

https://www.facebook.com/gtnadi?fref=nf
国際紅白歌合戦、初登場Melting Potの皆さんです。

 


Melting Pot の彼女たちをサポートするのは、外国人向け家賃保証のパイオニア

グルーバルトラストネットワークス㈱です。

 

フィリピンから今年も介護候補生が来日

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慢性的な人材不足で悩む、介護業界には朗報だが、今年も6月に、フィリピンから、介護候補生、300人、看護候補生100名、合計400名が来日している。それぞれ、12月まで、横浜、大阪に別れて日本語の研修を行う予定。今は、週6日、9時から16時半まで、日本語の特訓を受けていると、来日3ヵ月とは、思えないほど、流暢な日本語でヒルトン・マウィーさんは、話してくれた。

 

毎日テストもあるそうで、日本語の学習プログラムもかなり充実しているようだ。彼女たちは、来日3年以内での、介護福祉士の国家試験を目指して勉強をしているが、資格をとれば、経験を積みながら、日本で永住をすることも可能だ。

 

 

大幅にスタッフが、不足している全国の介護施設では、彼女たちの活躍が待ち望まれている。特に、フィリピンの人たちは、持ち前のホスピタリティーで、世界中で、医療従事者として働いており、またそれぞれの国でも人気が高い。そして多くは、本国の家族や親戚のために送金をしている。その額は、フィリピンのGDPの10%を占めるという。家族を大切にする気持ちは、敬虔なカトリック信者が多いことも影響しているのかも知れない。

 

また、彼女たちは、介護施設を訪問し、日本のお祖父さん、お祖母さんを、喜ばせようと日本語の歌やダンスを、披露することもあるそうだ。

フィリピンの人たちも参加する、1018日に開催される、国際紅白歌合戦にも応援に駆けつけたいと語ってくれた。

(グローバルコミュニティー編集長 宮崎計実)

 

わが国に本部を置く唯一の国連条約機関、国際熱帯木材機関(ITTO)の役割とは?

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わが国に本部を置く唯一の国連条約機関、国際熱帯木材機関(ITTO)の役割とは?

国際熱帯木材機関(ITTO)は、熱帯森林資源の前途に対する世界的な懸念の高まりを背景に、国際連合(UN)によって、わが国に本部を置く唯一の国連条約機関として1986年に設立された。

熱帯諸国では森林の乱伐や破壊が加速しており、世界中の人々が危機感を募らせている。その一方、熱帯諸国の経済発展に熱帯木材の貿易が欠かせないことも無視できない。このように相反する利害をどのように調整させるのか、これがITTOに課せられた課題である。

ITTOの誕生は、1976年にまでさかのぼることができる。この年に、国連貿易開発会議(UNCTAD)の第4セッションで、国際熱帯木材協定(ITTA)に向けた討議が開始された。この討議は、国連の一次産品総合計画の一環として位置づけられていた。長年の討議を経た結果、1983年に、国際熱帯木材協定(ITTA)が締結された。ITTAは1994年に改定され、その後も引き続き、検討が加えられている。2006年にはさらなる改定と2008年の実施が予定されている。

 国際熱帯木材協定(ITTA)に向けて本格的な討議が始まった1980年代の初頭は、熱帯雨林の前途に対する懸念が強まり、国際社会の行動が求められていた。しかし、その当時は、熱帯雨林の保全と貿易に対してほぼ同じ程度の重点が置かれていた。この事情は、ITTAの前文に反映されている。すなわち、森林資源の持続的な管理を前提として、熱帯木材の貿易が盛んになれば、地域の持続的な開発も可能になるという理念である。具体的には、森林破壊を防止しながら、貴重な外貨の獲得や雇用の確保への道が拓けるという考えである。

 実際に施行されたITTAは、従来の商品協定とは異なるもになった。この協定には、熱帯木材貿易の促進と森林の保全に同じ比重が置かれていた。これは、1987年に提出された「ブルントランド報告(Brundtland Report)」や1992年の「地球サミット」より前の話である。いずれにしても、貿易も環境保全も同じ比重で重視されていた。2006年版ITTAでは、これまでの合意事項を踏まえて、世界の熱帯木材の経済状況や森林資源の持続的管理を重視しながら、熱帯木材の貿易の促進と森林管理の向上の両方を同時に追及することになる。さらに、熱帯木材だけではなく熱帯木材以外の木材に関する貿易データを含めた情報の共有も目指す。

 

ITTOの行動予定については、「ITTO Action Plan 2008-2011」を参照してください。
http://www.itto.int/ja/sustainable_forest_management/

問い合わせ

事務局 220-0012 横浜市西区みなとみらい1-1-1
パシフィコ横浜 横浜国際協力センター5F
045-223-1110

事務局長 エマヌエル ゼ メカ さん

JPM 留学生インターンシップ修了者が不動産業界でも活躍

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JPM 留学生インターンシップ修了者が不動産業界で活躍

2010年にインターンシップを受けた韓ハンコさん

写真右端が韓さん

 インターンシップの経験者で集まってカラオケを楽しみました

今は、㈱ドリームテクノ社にて、韓国語、中国語を生かして留学生向けの賃貸住宅の紹介及び、外国人向けの売買物件の紹介の仕事をしています。採用に関しても、日本の不動産会社で実践的なインターンを経験していたことが大きなポイントにりましたね。また4週間のインターンシップで日本の会社の雰囲気や、報連相(報告・連絡・相談)などをきちっと行いコミュニケーションが職場で大切であることを学んでいましたので、仕事につく上でも不安はあまりありませんでした。もちろん、業務上覚えないといけないことは、たくさんありますが、より専門性の高い仕事が要求されるのでとてもやりがいもあります。不動産の仕事はとても奥が深いですね。これからは、益々外国人の人たちが増えていくと思いますので、生活に密着した不動産の仕事は留学生にとっても魅力のある仕事だと思います。4週間のインターンシップは他のプログラムと比べると少し長いですが、部外者ではなく、会社の一員として、日本の会社のチームワーク、日本人の仕事に対する姿勢を学ぶことが出来る素晴らしい経験だと思います。

 

社会人とのコミュニケーションに自信がついた

2010年 インターン参加者 張新さん(明治大学)

また、不動産業ではないが、早い時期に他の企業から内定をもらった張新さん(右から2番目)はいう。

『このインタ-ンシップの経験で社会人の考え方、仕事への取り組む姿勢を身を持って体験しました。また社長にもインタビューをする経験も出来、自分も少し大人になったように思います。就職の面談でも落ち着いて受け答えできたのは、社会人の人たちと4週間の間、色々な形でコミュニケーションをとることを覚えた方だと思います。留学生にとって、会社を体験できることは何より自分自身への自信になると思いますね。本気で就職を考えているならこのような長期のインターンシップは就職活動にとても役に立つと思います。』

 

2010年 インターンシップ参加者 郭イジョさん(上智大学)

現在、就職活動中ですが、面談でも留学生で長期のインターンシップをしている人は少ないので良く面接官に聞かれますね。私もインターンシップで、日本の会社で仕事をすることを体験し、相手の立場に立て物事を考えることを徹底して教わりました。また、毎日インターンの担当者にメールで一日の報告をしますがそこでも、物事を簡潔にまとめて報告をすることの大切さを教わりました。これは、面談でもとても役に立っていますね。いつも簡潔にわかりやすく話すことを求められますからね。とてもいい経験ですから友達にも薦めています。

2011年  インターンシップ参加者 黄思紅さん(日本大学)

私は、インターンシップ経験者の郭イジョさんの紹介で、参加しました。企業の担当者の方々も、毎日メールで励ましてくれたインターン担当者もとても熱心に私をサポートしてくださいました。私はインターンをした時はあまり日本語に自信がありませんでしたが、今は、大学院で社会企業家について勉強しています。インターンシップの最中に出会った素晴らしい人たちの影響で関心を持ちました。日本の意識の高い社会人の人と触れ合うことが出来るのもこのインターンシップの素晴らしいところだと思います。

 

前列左から5番目が金ゴテイさん

 インターンを修了して企業担当者と記念写真


2011年にインターンシップを経験、不動産会社でアルバイト中の金ゴテイさん

今は、㈱イチイで、不動産業務に必要な資料を作るアルバイトをしています。私はインターンの間は、電話の応対などもやりました。自分の日本語がどこまで日本の会社で通用するのかも良くわかりました。4週間のインターン中は、正直慣れない仕事で、毎日大変でしたが、ビジネス日本語には自信がつきましたね。不動産会社には色々な立場の人から電話がかかってきますが、それぞれ、どのように応対するのかを毎日勉強しながら覚えていきました。アルバイトや短期のインターンシップではとても体験できない日本の会社の雰囲気を味わうことも出来ました。自分の能力を高めたい人にはこのインターンシップはとても役に立つと思います。

応募はこちらのページから

 



 

外国人を採用する企業紹介 エクスポート・ジャパン株式会社

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外国人を採用する企業紹介

 

○企業データ

エクスポート・ジャパン株式会社

本社所在地:大阪府大阪市中央区淡路町2-6-9

業務内容:多言語ウェブサイトの企画・制作・海外向けウェブプロモーション・

海外向けウェブリサーチ

公式サイト http://www.export-japan.co.jp/

エクスポート・ジャパン株式会社  代表取締役 高岡 謙二

フランソワ・ブロサールさん(フランス)

 

"ビジネスを通じて多文化共生社会に貢献する"

"Contributing to intercultural relations through internet business."

 

上記は、エクスポート・ジャパン株式会社の企業理念だ。高岡氏は、大手食品メーカーやタイの領事館での勤務を経て、2000年に起業。JICA、JR東日本、ミキハウス、Fedexなど、国内外の超一流企業や団体の多言語での情報発信のサポートや、日本を紹介するサイトとして有名な『Japan-guide.com』の日本総代理店として、インバウンド事業にも大きく貢献している。今回は、大阪本社で、プログラマーとして活躍するフランソワ・ブロサールさんと高岡社長にお話を聞いた。

 

入社の経緯は?

 

(フランソワ)元々子供の頃から、アニメなどの影響で日本には興味があった。高校や大学でも日本語の授業をとっていたが、愛媛大学での3ヶ月のIT・プログラム関連のインターンシップを受け、日本で働いて見たいという気持ちが強くなった。大学卒業後、フランスでセキュリティ関連の会社で経験を積んだのち、ワーキングホリデーの制度で来日。色々な会社で面接を受けたが、日本語の力が足らず入社には至らなかった。しかし、在日8年のフランス人の知り合いの紹介で、エクスポートジャパンの事を聞き、自分の技術が日本を紹介することにも役立つと訴え、入社が決まった。

英語を話すメンバーも多いが、日本語を早く上達させるために、出来るだけ日本語での会話を心がけた。そのおかげで、1年半経った今では、ほとんど業務上は日本語で困ることはなくなった。制作チームの一員としてミーティングやプレゼンテーションも行うが、あまり意識をすることもない。漢字は、書くのは難しいが、(注)「リカイチャン」という日本語の上をマウスでなぞると英語になるソフトがあり、それを使ってどんどん漢字もわかるようになったという。

 

日本の会社で働いてみての感想は?

 

(フランソワ)もちろん、日本人の仕事にかける時間と情熱はフランス人より大きいかもしれない。しかし、私は日本での生活をとても楽しんでいるので、それはあまり問題ではない。あと、勤務時間もコアタイムを守れば自分で時間を決めることも出来る。通勤ラッシュを避けて気持ちよく出勤することも可能だし、夕方から約束があれば、早く出勤して調整することもできる。また、有給も自己申請で自由に取れるので、帰国してもゆっくり出来る。他の日本の会社と比べても労働条件は悪くはないと思う。

 

外国人の社員が気持ちよく働けるために心がけていることは?

 

(高岡) 誰とでも話しやすい雰囲気を作る。例えそれが、批判的なことであっても、他のメンバーの本音は大切だ。何か不満や不安が、あっても、みんなで共有出来る様にしたい。それには、上司や幹部が上下の関係なく、みんなの意見をオープンに聞く姿勢が大切だ。私もあまり人に管理されるのは好きではない。だから、社員にもプロ意識を持って自己管理をして仕事を進めて行くことを推奨している。

あと、会社の企業理念にも掲げているし、社員の2割が外国籍ということもあり、自然と多文化への理解は、社員が共有していると思う。

それと、大阪と東京の事務所をつないで、『フランス語ランチ』『中国語ランチ』を毎週開催しており、社員がホスト役になって、東京と大阪の社員が一緒に、外国語に親しもうという試みも続けている。外国人社員と日本人社員というだけでなく、普段はあまり行き来のない、東京と大阪の現場の社員同士のコミュニケーションにも役立っている。

自分自身の能力を高めるための、本の購入やセミナーの参加なども推奨しており、一定額会社も費用を負担している。社員の能力の向上は、会社にとってもとても有益なことだ。

 

これから、外国人の人材の活用を検討している人にアドバイスは?

 

(高岡) 単に外国語が出来るとか、特別な技術などで採用するケースもあるが、色々な文化を取り入れることで、時代の変化にも対応出来る柔軟な組織になるのではないかと思う。営業企画部門などでも、外国人人材の活躍するところがもっとあるはずだ。

あと、一番大切なことは、どこまで、本気で海外との取引を考えているかということだ。国境を超えた人の行き来は今後とも増えていくであろう。日本の市場だけでは、不十分だと誰もが理解してきている。

仕事に対する考え方ももちろんその文化によって様々だ。いいところはどんどん取り入れて、会社の運営の仕方も工夫が重要だ。

 

*注)「リカイチャン」はフリーの翻訳ソフト。日本語の言葉にをマウスを重ねると、即座に読み方や意味が出る。 多くの漢字が苦手な外国人に使われている。

特集:日本の大学はどのように変わるべきか?
学生たちは何を求めているのであろうか?

留学生活体験リポート ドイツ ハンブルグより

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留学生活体験リポート ドイツ ハンブルグより

●ハンブルク大学留学●
大阪市立大 3回生 鵜塚 真生

ドイツ最大の港町として、観光客や地元の人で活気溢れる都市ハンブルク。
そこに、私は今年の4月から交換留学生として滞在しています。 (2014年10月現在)
ハンブルクは古くから貿易で栄えていた都市で、レンガ造りの倉庫街や毎週日曜に開かれる「フィッシュマルクト (魚市場)」など、港町にいることを感じられる場所が数多くあります。街の中心にある大きなアルスター湖も、ハンブルクのシンボル的存在で、私の一番のお気に入りの場所です。夕方には絵のように綺麗な景色が見られ、たくさんの人が散歩やジョギングを楽しんでいます。

●ドイツ語の勉強●
大学に入学してすぐに何故、自分が独語を選んだのか、はっきりとは思い出せないものの、学んでいくうちにドイツ語が放つ、知的で力強い響きに魅了され、文法をパズルのように読み解いていく練習が、単純に楽しかったのを覚えています。英語だけでない別の外国語の世界にも浸り、学問の視野をもっと広げたいと思い、二年生からドイツ語の専攻を決めました。三年になる際、教育制度の優れたドイツで、大学の勉強を通して英語、ドイツ語の両方を身に付けるという目標とともに、日本を発ちました。

●ドイツに住んで●
ハンブルクに来て感じるのは多様な国籍、言語、文化を持つ人の多さです。ハンブルクの街中にはあちこちに、中東、アジアの料理店が立ち並び、町で人々が話す言葉は、ドイツ語だけに限りません。ハンブルクはドイツの中でも特に移民が多く、様々な文化が濃く入り混じった都市です。50年代頃から、ドイツは経済復興のため、トルコを中心に多くの移民を受け入れてきたのですが、来る前の私の頭の中では、やはり白人ばかりのイメージが出来上がっていたので、そういうものが尽く覆されました。
前期では、多国籍のメンバーからなる音楽バンドに参加し、身近に言語の多様性について考える機会がありました。バンド内でコミュニケーションをとる際、拙いドイツ語で話す私は、仏、伊、西、中国などから移住し、時に母国語で話しながらも、ドイツ語、はたまた英語を流暢に話す彼らからは特に多くの刺激をもらいました。日本にいた頃の、一か国語だけが当たり前という環境からは、絶対に得られない経験だったと思います。
様々な国が隣り合ったヨーロッパにいると、自然と色々な言語、文化に触れる機会が増え、そういうものが日本より隔たりなく、もっと身近に扱われているように感じます。

●日本語学科●
ハンブルク大には「日本語学科」が存在し、多くのドイツ人が日本に興味を持って勉強しています。彼らの授業にも参加することができ、そこにはまた違った楽しさがあります。私達が普段意識しないような文法を一から学び、膨大な数存在する漢字に、「明日は漢字テストだ…。」などと言いながら、地道に挑戦していくドイツ人。「外国語」を学ぶ者同士、共感し合えることが自然と多いです。彼らとは「タンデム」という言語学習のための時間を通して、日本語やドイツ語で、日々お互いに勉強を助け合っています。

留学も早くも残り半分以下となり、語学力の向上はもちろんのこと、ここでしかできない出会い、経験を求めてこれからも自発的に行動していきたいと思います。

外国人の力で外国人向け不動産ビジネスを拡大

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外国人の力で外国人向け不動産ビジネスを拡大

有限会社ダイワホームズネットワーク
専務取締役 藤井 恵子 ( ふじい けいこ) さん ×
 フレイザー・ジャーミンさん
 

Q. 外国人向けの仲介業を始めたきっかけは?
藤井さん─ 2011 年、フレイザーの前任のスタッフが飛び込みで「不動産の仕事をしたい」とダイワホームズの店舗を訪ねてきたのがきっかけ。彼女の帰国に伴い、新しくダイワホームズに入ってきたのが、フレイザー。彼も、得意の日本語を生かして、不動産管理会社、仲介会社で2 年の経験を積んでいた。日本で不動産業の経験があり、なおかつ日本語ができる英語のネイティブスピーカーを採用できたことは大変幸運だった。不動産仲介会社が外国人を対象に集客する場合は、インターネットや口コミに頼るところが大きいが、日本語からの翻訳ではわかりづらい。そこで、ホームページの制作をイギリスの会社に発注し、英語ネイティブ顧客に訴求する情報提供を始めた。英語圏向けのSEO 対策もうまく機能し、当初から一定のユーザーを集めることにも成功。顧客の立場を理解したプロモーションを目指す徹底した顧客第一主義を目指す。


Q. フレイザーさんの今後の抱負は?


フレイザーさん─ 海外企業の大阪進出支援事業を考えている。タイガーコペンハーゲンと
いうデンマークの雑貨店が大阪に店舗を出したが、大阪を選んだ理由は、欧米の会社の日本
進出は東京を選ぶ場合が多く、逆に大阪なら話題にもなりやすいし、街がコンパクトで関西
圏のどこからも店舗にアクセスしやすいからだそうだ。しかし、そのタイガーコペンハーゲ
ンが出店に際して一番困ったのが、日本の不動産業者とのやり取り。日本市場に興味を持っ
ている海外企業はとても多いので、外国人にもわかりやすい不動産仲介のサービスを行うこ
とができれば、まだまだ大阪へ海外企業を呼び込めるチャンスがあると思う。将来的には、
外国人に日本の優良物件のオーナーとして投資してもらい、その物件を外国人に賃貸住宅と
して仲介するような不動産ファンドビジネスを目指したい。


不動産総合コンサルティング企業
DAIWA HOME’S GROUP

大阪府大阪市北区曽根崎新地2-6-21 GUILD7 階
http://apartment-osaka.com
06-7670-7178

ロシアの家 ジェーニャのコラム

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ロシアの家 ジェーニャ コラム

先日、日本のテレビでロシアのフィギュア選手、プルシェンコさんのお家が紹介されました。豪華で広いお家で、ロシア人が見ても「すっごい!」と思います。

 

一般のロシアのお家は割と素朴な感じです。フルシチョフ時代に作られた「フルシシェーフカ」というマンションが一般的で、キッチンは6平米しかないと言う狭さ。ロシア自体、広いイメージがあるけど、お家は日本と比べてもちょっとだけ広い。

そういう意味では、アメリカとかヨーロッパより、ロシアが日本に近いかもしれない。広くて綺麗なお家は、みんなの夢の一つです。きっと、世界共通ですね!

ちなみに、日本と同じ、お家は土足禁止です。玄関で靴を脱ぎます!

違う所があげるとしたら、ロシア人は、友達とお家で集まるのは、大好きです。初めて会う人でも「うちにおいでよ」と誘った時、社交辞令ではないです。本気でこれからお家に行く事になっちゃいます。

ただ、ロシア人はシャイな人が多いので、初対面の時は照れています。2回目会ってから、大仲良しになっちゃいます。シンプルな人たちです!

ロシア人も、お・も・て・な・しが全て!自分が明日食べ物がなくなっても、お客さんのためなら、一番美味しい物を出します。

リビングより、キッチンで紅茶やビールを飲みながら、友達と話すのは、一般的。

いつかロシア人にお家に誘われたら、断らないで!来てくれたら、心から喜んでもらいます☆