2024/05/02 11:30

国際人

国籍は単なるチーム分けのカテゴリー

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今回のバンクーバー五輪で目立っていたのが、自分の出身国でない国籍或いは両親の出身国でない国籍で出場している選手たちの活躍だ。


フィギュアスケート・ペアでは、川口悠子がロシア国籍を取得しロシア代表として出場、フィギュアスケート・女子では日米二重国籍を持つ長洲未来が米国代表として参戦。逆に、アイスダンスのキャシー・リード、クリス・リードは、日米両国籍を持ちながら日本代表として出場。スピードスケートのアポロ・アントン大野選手は、日本人の父を持つ米国代表。国籍は単なるチーム分けのカテゴリーの一つに過ぎないという印象を強く受けた。

それぞれがオリンピックに参加するため、また、メダルを獲るため、最も有利なチームを選び、それに合わせて国籍を選択している。
それは、自分の価値を一番生かせる仕事や住まいを選ぶのに似ているような気がする。

コーチやマネージャーのいるリンクサイドは更に国籍が意味を持たない大融合。
女子フィギイア金メダリストキム・ヨナのコーチはカナダのブライアン・オーサー氏、銀メダリストの浅田真央を指導したのはロシアのタチアナ・タラソワ氏、米国代表のアボットのコーチは元五輪選手で世界女王の佐藤有香さん。

海外で活躍しているオリンピック選手のコーチといえば、2008年北京五輪で注目を集めた二人の女性を取り上げざるを得ない。中国のシンクロチームを銅メダル獲得に導いた日本の井村雅代コーチ、アメリカの女子バレーに銀メダルを獲らせた中国の郎平(ロウヘイ)監督だ。

選手も監督も、国籍や血統を超え、最も高いレベルを備えた素晴らしい試合を見てもらうため、チームを選び、選手を選び、コーチを選んでいる。観戦する多くの人々も純粋にこの最高のスポーツに酔いしれていたに違いない。

国籍はチーム分けのカテゴリーでしか過ぎなくなり、国や民族のボーダーラインがますます薄れていく世界の流れに喜びを感じる。

私たち一人一人にとっても、国籍が単なる住み分けのカテゴリーにすぎないことを、単なる地球上の住所の一部に過ぎないことを願ってやまない!


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張景子さんプロフィール・・北京外国語大学 日本語・日本文学学科卒業・
元中国国際放送局(北京放送)アナウンサー 
東京大学 大学院修士学位取得・博士課程修了
JCKフレンズ(日中韓関連事業)代表  立教大学 兼任講師
日中・日韓・日中韓3国の政府間交渉・民間交渉の遂次・同時通訳
NHKの中国語翻訳・ナレーション業務
東アジア評論家として「TVタックル」「太田総理」等の番組に出演

張景子さんのエッセイ集

 
 
 
 
 
 

幸せになる国際結婚のすすめー多文化家庭支援センターからーNO3

国際人
アメリカでの子育て その2 育児

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アメリカに里帰りをしていた時、夜泣きの話しになると、近所のおばちゃんが「それは歯がうずいているんだから、ドラッグストアで、オラジェル買ってつけてあげたらいいよ。」と言いました。たしかに、丁度乳歯があちこちから頭を出している頃で、歯茎の所がもりあがったりしています。さっそくドラッグストアで買ったオラジェルをつけると、嘘のように夜泣きが治まりました。これは大きなカルチャーショックでした。
夜泣きの原因が乳歯のうずく痛みのせいだったと言う事を知らずに、何百年も何千年も日本の母親たちは夜中に泣く子を抱きかかえてはどんなに辛い思いをして来た事だろうか。それなのに、こんなに文明が進んだと言われる社会の中でもまだまだ一つの知恵さえも分かち合える事ができずに来ていたのだと言う事を知らされました。
もちろん、後に続いた三人の息子たちは夜泣きが無く子育てを進める事ができました。

またあるときは夫の実家に滞在中に息子が熱を出しました。熱が高いので、食べものも消化できずに吐いてしまいます。アメリカの強い薬も飲ませたくないし、とオロオロしていると、義母が「コーラを飲ませなさい」というのです。「え〜!それは余りにもアメリカンでしょ!」と信じられませんでした。だって “良薬口苦し“と言う言葉にあるように、私の中では薬とは苦くて何となく神聖なイメージがあったのに、「コカコーラですか?!」と。しかし姑の言う事ですし取りあえず、いわれるとおりにしてみると、ゲップとともに熱も吐き出したのか、不思議に熱が引いていきました。詳しい考察についてはここでは控えるとして、とにかくものの考え方や対処の仕方が思いもしない所で違っている事が多く、カルチャーショックは数え切れない程ありました。

出産、子育てというただでさえストレスのかかる大仕事を、言葉や習慣の違いというまた別な課題をかかえた多文化家庭で簡単に抱えて行く事はできません。これらの『違い』が、夫婦のすれ違いや喧嘩の原因になる事は多々あります。合理的なアメリカ人が「どうして毎晩も産湯に入れるんだ。おれだって疲れているし、第一そんな必要はないだろう」と言う事の方が多いかもしれません。「そんなコーラや、わけのわからないもので大切なこどもに、変な習慣を付けさせたくないわ」と言って、自分の知っているやり方に固執する事もできるのです。でも、この『違い』を「障壁」や「困難」と捉えるのではなく、新しい方法、目から鱗の優しい子育ての開拓と思えば楽しさも可能性も幸せも膨らんでいくものです。
違いを排斥することなく、暮らしの一部として歓迎していけるようになったとき、国際家庭は
多文化を共存共生させるゆりかごになり、将来の世界の架け橋になる子を育てていくのだろうなと、感じています。


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特定非営利活動法人 多文化家庭支援センター
王禅寺事務所:川崎市麻生区王禅寺西8−12−30

お問い合わせ whitehouse@y3.dion.ne.jp (事務局長 エインズワース 千明)
ホームページ http://mcfsc.page.tl/

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幸せになる「国際結婚」のすすめ


本当に幸せな結婚とは?


家族の思想
儒教的死生観の果実

家族の思想のレビューを見る

加地伸行著《立命館大学教授》
血と生命の連続を核とする儒教的死生観こそ日本人の原感覚である、
という立場から、現代の家族をめぐる諸問題を明快に解きほぐす。
『儒教とは何か』『儒教沈黙の宗教』などの著書があり、独自の儒教研究で名高い著者が、祖先からの血の連続・生命の連続に最大の価値をおく儒教的死生観こそが、日本人の家族の思想の根本であり、日本人の拠り所とすべき精神であると論ずる。 

レイクランド大学ジャパン・キャンパスリポート NO 3

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本当の私を見つけました

何となく、朝早くから夜遅くまで勉強をしている自分に疑問を持っていた高校時代。私は、毎日決まりきった機械的な暗記中心の勉強がイヤになっていました。そんな私に勉強する本当の意味を教えてくれたのが、このレイクランド大学・ジャパンキャンパスの先生や仲間たちです。ここでは、すべての授業が少人数ですから先生と学生の距離が本当に近いですね。読まければならない本の数も半端ではありませんが、一緒に勉強する仲間とその壁を乗り越えていく楽しさを学びました。最初は英語での授業は大変ですが、無我夢中でやっているうちにだんだんと自信がついてくるものですね。今はプライベートもとても充実していて、アメリカ人、フランス人、香港から来たジャッキー(写真右)と女性4人で一緒に暮らしています。全く英語が出来なかった私が、今ここで勉強できているのは環境の影響が大きいですね。みんなで一緒に勉強して、教えあったり励ましあったりして、『学ぶことの本当の楽しさ』を体験できることはすばらしいと思います。厳しい環境で本当の自分を見つけることが出来て、先生やスタッフの人たちや周りの仲間にも感謝しています。『このままでいいのかな?』って迷っているあなたも、レイクランドですばらしい仲間といっしょに本当の自分を見つけてください。(桐原詩穂 17期生  熊本県出身)

その他大勢の学生の体験談が読める レイクランド大学ジャパン・キャンパスのHP

レイクランド大学ジャパン・キャンパスリポート NO 1

レイクランド大学ジャパン・キャンパスリポート NO 2

日本のお年寄りの力になりたい

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文化外国語専門学校 呂エイさん(左) 
右は一緒に翻訳のボランティアをしている
台湾のアニメ友達の魏鈺霞 (ギ・カスミ)さん
中国語への翻訳のボランティアをしてくれている呂エイさん。元々日本に来た目的は介護の仕事をしたいと思ったからだ。日本人のまじめに働く姿に感銘を受け、また人生経験が多い日本のお年寄りと話をするのが大好きだという。夢は介護の仕事をしながら、お年寄りの心の支えなることだ。また、コスプレやアニメも楽しみながら、日本のいいところを中国に伝えたいという。日本のアニメは愛と正義を描いているものが多く、日本人が誇りにしていいものだと考えている。
昼間は専門学校で通訳・翻訳の勉強ををしているが、夜はアルバイトをしながら、ヘルパー2級取得のための講習も受けている。今彼女の一番の悩みは、現在の留学生という立場では、いくら望んでも日本で介護の仕事につくのが難しいことだ。いろいろな人たちにも相談したそうだが、いい方法が見つかっていない。

呂さんはいう。「日本のお年寄りは、寂しい思いをしている人が多いと思いますから、ぜひとも介護の仕事がしたいです。私は、今のビザでは、介護の仕事はつけませんが、一旦は別の分野で就職を目指して、そして働きながら介護の勉強を続けて、チャンスを待ちたいです。」 

中国も10年先には、日本のように少子高齢化の問題が起こってくるという予測もある。呂さんのような人たちが、もし日本で経験を積んで、将来母国でその経験が生かされるようであれば、多くの留学生が日本で介護の道を選択するかもしれない。

介護人材の深刻な不足・・大都市の介護人材不足の原因とその解決に向けて
http://www.kikanshi.net/archives/51/005133.html

「看護留学生を迎える高島平団地の可能性」
http://ec-company39.com/takap/news/detail.html?eid=00055

看護留学生の入団地入居計画など、高島平再生プロジェクト・バージョン2の新機軸の概要が高島平新聞(2010/01/15)で公開されました。
http://ec-company39.com/takap/news/detail.html?eid=00065

外国人の子供たちをサポートしたい

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大河トレイシーさん(上智大学 大学院 日本財団留学生)
1991年に日系ペルー人として両親の仕事の関係で、4歳で日本に来た。今は大学院で学びながら、日本に住む外国人の子供たちの教育環境を少しでも良くしたいと考えている
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あまり知られていないが、日本で中学・高校を途中退学している外国人の子弟の数は2万人を超えている。
その多くが日系人の両親の仕事の関係で日本に来た子供たちだ。トレイシーさんは4歳で日本に来たのであまり困ることはなかったが、小学生くらいの年齢で日本に来るとなかなか日本の学校生活になじむのが難しい。両親が共働きで子供たちが、かまってもらえなかったり、また容姿の違いから外国人の子供たちはイジメに合うケースも多い。そんな状況でも、一人でも子供たちのことを理解してくれる先生、生徒がいればその子は精神的に救われる、学校生活を送ることが出来る。まずはお互いをもっと知ることが重要だ。

日本財団の奨学生として学ぶトレイシーさんはいう。
『いろいろな形の交流がもっと日系人と日本人の間で生まれるようになるといいと思います。そのためにもまずはお互いを知ることが大切です。これから、グローバルコミュニティーの紙面を通して日系人のおかれている状況や日系人の歴史を少しずつご紹介しようと思いますのでよろしくお願いします。』

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日系人・・全世界で暮らす日系人は約300万人。ブラジル、ペルー、アルゼンチンなどの南米諸国の日系人は170万人以上になる。多くは苦労しながらも懸命に働き、子供たちに教育の機会を与え、現地の人たちの信頼を勝ち得ている。ペルーなど元大統領まで排出している国もある。一方、日本で暮らす日系人は約35万。1990年以降に、工場などの従業員として働く人が多い。日本の生産現場ではなくてならない存在になっているが、最近は製造業の不況で帰国する人も増加している。

日本財団日系スカラーシップ・夢の実現プロジェクト
http://www.jadesas.or.jp/kenshu/03scholarship.html
中南米日系留学生を激励
http://www.nippon-foundation.or.jp/org/blog_mg/2009010801.html

海外日系人・・・・日本が国際協力、国際交流を考える上でたいへん重要な存在となっています。海外日系人協会は、これら日系人と日本の架け橋となることを考えています。そして、各種交流、協力事業を推進する中で海外諸国の日系人を通じた対日理解が促進され相互の繁栄を得ることが願いです。
http://www.jadesas.or.jp/index.html

幸せになる国際結婚のすすめ

国際人
アメリカでの子育て その1 出産
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アメリカでは、産後二週間もしていない赤ん坊を連れてショッピングに来たりする若いお母さんがいたりしてびっくりしたものです。出産費用がとても高いので、出産しても1〜2泊しか産院においてもらえないと聞いていましたので、私達は出産の前に日本にかえって来て、出産、育児を日本でする事にしました。夫は、アメリカにいれば英語しか話せない子どもになってしまうだろうから、バイリンガルに育てるには日本の方が良いと言う考えでしたので、それが日本で子育てをしようと決めた一番の理由でした。始めの頃は年に二度程里帰り(アメリカへ)していましたので、育児は日本とアメリカにまたがってまさしく多文化なものとなりました。

産湯(産湯)と言う習慣はアメリカにはありません。産後のお手伝いに来た私の姉や母が、食卓の上に置いたベビーバスで、赤ん坊を丁寧に丁寧に楽しそうに洗ってあげるのを毎日興味深げに見ていた夫は、そのうちにすっかり覚えてしてしまいました。
「最初の三ヶ月は一日も欠かさずに洗ってあげてよ。」と私の母に言われた夫は、三ヶ月どころか、その後生まれた弟達も含めて四人の息子を一人ずつ毎晩丁寧に洗ってあげる習慣をそれから続けて、その仕事は誰にもゆずらず、何年もの間父子の絆を作る道具としてしまいました。ひとり一人がシャワーを浴びるアメリカの文化には無い、親子で湯船を楽しむと言う事が何とも言えない喜びだったのでしょう。今ではすっかりテイーンエイジャーになってしまった息子たちとも、「毎晩欠かさずお風呂に入れてあげた思い出」は薄れる事無く父子の良い関係を保つ要因になっているようです。

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特定非営利活動法人 多文化家庭支援センター
王禅寺事務所:川崎市麻生区王禅寺西8−12−30

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幸せになる「国際結婚」のすすめ


本当に幸せな結婚とは?


家族の思想
儒教的死生観の果実

加地伸行著《立命館大学教授》
血と生命の連続を核とする儒教的死生観こそ日本人の原感覚である、
という立場から、現代の家族をめぐる諸問題を明快に解きほぐす。
『儒教とは何か』『儒教沈黙の宗教』などの著書があり、独自の儒教研究で名高い著者が、祖先からの血の連続・生命の連続に最大の価値をおく儒教的死生観こそが、日本人の家族の思想の根本であり、日本人の拠り所とすべき精神であると論ずる。 

女性を大切に

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日本ほど女性が女性らしい国はなく、また同時に日本ほど女性が大切にされない国はないような気がします。

レディーファーストで知られる欧米はもちろんのこと、同じアジアの中国や韓国でも女性は大切にされます。

大切にするということは、なにも仏様のように飾っておいて何もさせてないということではありません。重い荷物やかさばるものを、一緒にいる男性が持ってあげたり、階段や坂道で転ばないよう支えてあげたり、美味しい食べ物を先に女性に薦めたり……と言ったような、男性の女性への心配りのことです。

残念ながら、今でも日本では女性がバッグや紙袋を手一杯持ってばたばた歩き、そのそばを旦那さんらしき男性が手ぶら同然で歩いている光景をよく目にすることができます。何か訳ありの方ならいざ知らず、ただ女性をいたわる気持ちの欠如によるものであれば、多くの国ではひんしゅくものであるに間違いありません。

ある中国の留学生が指導教官のお宅に招待された時のこと。先生の奥さんが大きなたらいを持ってベランダに向かっていると、その先生は道を避けながら窓を開けてあげていたそうです。普通、逆でしょうが!その留学生は呆気に取られ、自分の指導教官の行動が理解不能だったと言います。

そういえば、私は先日、飛行機の中で荷物がちょっと重くて上の棚に上げられずにもたもたしていたのですが、後ろのほうに座っていた男性がすっと立ち上がって、「手伝いましょうか」と言うや否や、ひょいっと持ち上げて収めてくれるではありませんか。なんて素敵な方!惚れ惚れしてしまいました。女性は困ったときに助けてもらうと、一気に相手に対する好感度がアップするようですね。

自分より力の弱いものをいたわる、困っている人を助ける。これは暖かい社会を支える原点ではないでしょうか。ましてや、女性は母となる予備軍。母を大切にするものは、その母となる予備軍をも大切にするはずです。女性を大切にすることによって、男性の品位もきっとより高まるに違いありません。

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張景子さんプロフィール・・北京外国語大学 日本語・日本文学学科卒業・
元中国国際放送局(北京放送)アナウンサー 
東京大学 大学院修士学位取得・博士課程修了
JCKフレンズ(日中韓関連事業)代表  立教大学 兼任講師
日中・日韓・日中韓3国の政府間交渉・民間交渉の遂次・同時通訳
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東アジア評論家として「TVタックル」「太田総理」等の番組に出演

張景子さんのエッセイ集
 
 
 
 
 
 
 

日本でチャンスをつかんだ韓国人学生

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日本でのインターンのチャンスを生かして、今は韓国事務所で勤務する、チョン・ヒョナさん
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日本に来るなら、自分の将来のためになることをしよう

韓 国では日本語をある程度話せても、実は特技になりません。みんな日本語うまいし…。でもビジネスでも使えるくらい日本語が話せるのであれば話は別です。そうなると敬語を勉強しなければいけません。そのためには、会社づとめの経験が必要だと思いました。それで日本でインター ンが出来ないかと思い、高校時代からの知り合いに聞いていたETICというNPOに連絡を取りました。韓国からメールや電話で連絡を取りましたが、ビザの問題さえなければ、インターン受け入れ先企業の紹介はOKということだったので、ワーキングホリディのビザを取って日本に来ました。

面接を受けたTOE エンターテイメントは、世界中の映画などのコンテンツを扱っている会社でした。アルバイトで海外営業のアシスタントの経験もあり、韓国映画も最近ブームなので、通訳も出来るのではと思っていました。
しかし、面接はとても厳しいもので、完全に落ちたと思い帰り道ですごく泣きました。
その時、慰めてほしくて韓国のお母さんに電話したら逆に怒られました。『外国でチャレンジしてまだ1回目でしょ。まだチャンスはあるんだからがんばりなさい』って言ってくれました。
そして、コーディネータから面談結果の電話が来ました。『合格だよ』って。すごくすごくうれしかったですね。雑用になるかもしれないよって言われたけど、採用してもらえたことがうれしくて、「何でもやります!」っていいました。
そして、最初の2ヶ月は社長にありがたいと思ってとにかく一生懸命働いていました。

仕事ってなんだろう。。

インターン期間中はとにかく必死でやりました。仕事にも慣れないうちにいきなり電話を取るように言われて、あわてて日本語の敬語の本を買ってすぐに覚えました。こんな雑用もまだちゃんとできない私に会社はチャンスを与えているんだ。インターンのコーディネーターから「120%一生懸命やりなさい」っていわれていたので精一杯がんばりました。インターンでの仕事内容は簡単にいうと、営業アシスタント。社長、常務の経理清算、出張の手続きのお手伝いもしました。
インターンを行って、価値観が変わりました。最初は日本語の勉強のためと思っていましたが、やりたい仕事ってなんだろうって考えるようになりました。徹夜明けで体力的にはつらくても、充実した顔で仕事をしている社員さんの存在にもすごく刺激を受けました。
社員の人たちもすごくいい方々で、こんな人たちと会える機会もなかなかないなと思いました。

これからインターンを始めようと思っている留学生へ

日本で外国人が働くことはたとえインターンであっても、受け入れてくれる会社にも大きな負担になります。受け入れている会社は、何の役にも立たない自分たちにチャンスを与えてくれているんです。そのことに感謝して、精一杯やりましょう。日本の学生でも今は大変な就職難です。外国人なら日本人以上に大変なのは当たり前。私でも出来たんだからみんなにも出来ると思います。とにかく周りの人たちに感謝して、一生懸命がんばってください。自分を信じて前に進んでください。

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*株式会社ティー・オーエンタテインメント (TOE)・・イギリス・韓国・ロシア・シンガポールにも事務所を持つ、総合エンターテイメント会社 http://www.toenta.co.jp/
*特定非営利活動法人エティック (ETIC) ・・多くの若者に希望と勇気を与えた実践型インターンシップの先駆者的団体  http://www.etic.or.jp/


レイクランド大学ジャパン・キャンパスリポート NO 2

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大学で人生が変わった!
(ジャッキー・ホー さん) 

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香港から来たジャッキー・ホーさんは、高校を卒業後、留学をしようと決めていた。その留学先は、姉やいとこのいるアメリカやイギリスではなく日本だった。漫画やアニメを通して、子供のときからなじみのあった日本で住んでみたいとずっと思っていたとのこと。
たまたま見た雑誌でレイクランド大学・ジャパンキャンパスの記事を見て、学校説明会に参加した。日本に住みながら、4年制のアメリカの大学に通える。授業はすべて英語で行われるが、日本語の授業もあるので日本語も学び続けられる。彼女にとっては最高の環境がそこにあった。今は、いろいろな国から来ている学生たちと共同生活をしているジャッキーさんはいう。
「高校時代は決して積極的な性格ではなかったのですが、何事も前向きに考えられるようになったのは、周りの明るい雰囲気のお陰ですね。決して勉強は楽じゃないけど、みんな自分の目標に向かってがんばっています。家族のように見守ってくれる職員、先生たちも私たちが成長出来る環境を作ってくれています。安心して勉強できますよ!!」

その他大勢の学生の体験談が読める レイクランド大学ジャパン・キャンパスのHP

レイクランド大学ジャパン・キャンパスリポート NO 2

こんな日本人が増えればいいのですが 永生病院 宮澤相談役

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アジアの看護師・介護士をサポートする元看護部長、永生病院 宮澤美代子氏、看護や介護の仕事には国境はない。言葉のハンディを乗り越え頑張る彼らを育てるのは私たちの使命だ。

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永生病院が最初に外国人のヘルパー実習生を試験的に受け入れたのは2004年。当時は、患者さんの命を預かる大切な仕事なので、言葉も不充分な人たちに務まるのか疑問に思った。しかし、彼らは日本語は流暢ではないが彼らの明るい性格や、じっくり話を聞くやさしさが、患者さんからも病院のスタッフからもとても評判がよかった。病院側もそれ以降、本格的に外国人看護師、介護士の受入に真剣に取り組むようになった。

EPAの制度によってインドネシアからの看護師の受入も始まり、今では、フィリピン、中国、インドネシアの看護師、介護士が働く。多くは看護助手として働きながら日本の資格取得をめざして勉強中だ。外国人のスタッフは患者の人たちにも暖かく迎え入れられている。日本の戦争時代を生きた多くの高齢者は、日本人で看護師を目指す人たちが不足している中、異国から来て頑張る彼らの姿にエールを送る人たちも多い。彼らの存在は、日本人スタッフへも大きな刺激になっているという。また、これを機に50万人以上いるといわれる現在は仕事についていない日本人有資格者の復職が進むことも期待されている。

しかし、まだまだ外国人スタッフを受け入れる現場への負担は非常に大きい。
いくら海外で実務経験があっても、日本で看護婦として働くには、日本の国家試験に合格する必要があるからだ。3年以内に日本人と同じ条件で合格しなければいけないのは、本人にも受け入れ側の病院にも大きな負担である。普段の業務で必要な日本語の会話能力は働きながら身につくが、国家試験に合格するレベルの日本語を、3,4年で身に付けるのはほぼ不可能に近い。また、宮澤さんへの問い合わせの多い看護師、介護士不足で困っている医療機関では、外国人スタッフを受け入れるのは経済的、人的な負担があまりにも大きい。

宮澤さんの意見では、一定期限で評価をして日本で看護助手として働ける年数を延長する、また国家試験でも日本語の文法能力が原因で合格できない場合が多いので、試験問題に振りガナを付ける、辞書や参考書の持込を特別に許可するなどの配慮も検討すべきだという。今のままの制度では漢字がわかる、漢字圏の人でないと実際の試験に合格するのは難しい。当然のことであろう。

少子化の問題はそんなに簡単に解決できるものではないし、このままいけば、2050年には成人1人で1,3人の高齢者を支える計算になり、医療分野に限らず外国人の受け入れを真剣に考えないと今のままでは財政的に不可能な数字である。国民の健康な生活に関わるこの大きな問題は、国家が早急に真剣に取り組む最重要課題であろう。

幸いに医療の現場では、外国人スタッフは同僚からも、患者からも多いに期待されている。経済な問題、受入れ側の人的な問題さえクリアされれば受け入れたい医療機関は後を絶たないという。
文化を超えて心と心が通じ合う医療の現場では、病院側も日本人のスタッフも、また患者の間でも、一日も早い『開国』が待ち望まれている。



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永生病院で業務に就く中国・インドネシア・フィリピンの人たち





永生病院 相談役・ 看護・介護採用担当部長 宮澤美代子氏プロフィール

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長崎より看護の道をめざし上京。産婦人科医院の寄宿舎に住み込み、看護助手として夜勤もこなしながら、定時制高校に通い2年間かけて准看護婦の資格を取得。とにかく忙しかったが、新しい命の誕生に携わる仕事に誇りを持っていた。22歳で結婚、3人の子を育てながら仕事と通学をこなし3年で正看護婦の資格を取得、1990年から永生病院に勤務。2003年に430人の看護師らを束ねる看護部長に就き、翌年から外国人研修生らと接してきた。言葉のハンディを乗り越え、仕事に向き合う姿に感銘を受け、外国人看護師・介護士たちのアドバイザー役を引き受ける。また最近は急増する医療機関からの相談や講演依頼、報道機関の取材対応と、外国人医療人材の受入れに関して現場から発信する第一人者のひとりだ。