感性の鋭かった先人達の知恵に学ぶ 東條英利氏連載コラム NO.13

感性の鋭かった先人達の知恵に学ぶ
東條英利氏連載コラム no.13
さて、今月は何の話をしようかと思ったら、そう、2月の今頃は、私が監修を務めさせて頂いた「神社の基本」(エイ出版社)がセブン・イレブンの店頭に並び始める?頃。まぁ、スケジュール通りに進めば、なのですが、ともかく、無事に、出版されていることを願って、今回は、神社というか、先人の知恵について、少しお話をしてみたいと思います。
私は、周知の通り、「神社人」という情報サイトで、全国の神社情報を収集し、その体系化に務めておりますが、何故、私がこういう活動をしているかというと、別に、私にスピリチュアル的な感性があるからではありません。どちらかと言えば、私は、非常に現実主義者で、こうしたテーマとは、一見、相反するような考え方を持っています。それでは、何故、私が、こうした神社を積極的に研究しているかというと、そこに、日本人という固有の国民気質を科学できる普遍的な知恵というものがあると考えているからです。
例えば、古代日本人は、神さまは尖った場所に降りて来ると信じていましたが、そのモチーフはどこにあるかと言われれば、雷にあります。勿論、今では、誰でも知っていることですが、それは、古代日本人も同様。しかし、現代人は、古代日本人に対して、「あぁ、あの光や轟音を見たら、科学を知らない彼らは、神さまが怒っているとでも思ったんだろうね」と考えると思います。しかし、本当に大事なのはここからで、雷が落ちた土地というのは、五穀豊穣になるんです。
実は、これ、科学的にも証明されておりまして、落雷のあった土地のキノコの収穫量は倍になるとさえ言われております。そう、古代日本人はすべてを知っていたんです。だから、彼らは、雷に畏怖と感謝を抱き、神として感謝をし、「雷」を、「神」が「鳴る」と言い、「雷」を、「雨」に「田」と書き、「稲妻」を「稲」の妻(配偶者)と書いたのです。ある意味、非常に合理的な考え方だったのです。ただ、私たち現代人は、傲慢にも、科学技術を過信するがあまり、現代を過大評価してしまう嫌いがあります。しかし、先人たちは、科学を知らないが故に、高い感受性を以て、本質を理解することが出来たとも言えます。
神社は、まさに、そんな先人の知恵が織り成す文化的象徴物。もしかしたら、そこには、私たち現代人すら及ばない普遍的な真理というものが至るところにあるのかもしれないのです。神社を単なる宗教施設と思うなかれ。気付きは絶えず、私たちのすぐそばにあります。