2025/06/23 09:39

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日本のお正月の文化的ルーツとは?

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日本のお正月の文化的ルーツとは?
 
 
いよいよ師走のシーズン到来ですね。正月は、日本の年中行事の中でも特に、文化色の濃い時期でもあります。でも、そもそも私たち日本人は、何で新年を祝うのか考えた時に、その答えって誰も出て来ないですよね?何故なら、新年は祝うものだと思っているのが、当たり前になっているからです。でも、こうした出来事ひとつひとつとってもそこには、きちんとした理由があるのですよ。
 
ということで、日本のお正月ですが、そもそも日本の年中行事、とりわけ、祝祭日には、ある文化的ルーツが根底にあります。それが、神道と農業という二つの大きなテーマです。基本、日本の祝祭日は、農業の収穫に併せて、その祭事が決まり、その祭事にそって、お休みが定められてきました。まぁ、江戸時代までは、全人口のおよそ8割近くの人達が農業を営んでおりましたので、或る意味、当然ですよね。そして、こちらのお正月にも、同じルールが適用されます。
 
元々、日本のお正月は、大歳神と呼ばれる農耕の神様を自宅に迎え入れるためにありました。それは、昨年の恵み豊かな一年を神さまに感謝すると同時に、これからの一年の豊穣を祈念することにありました。このため、大歳神さまは、日の出と共に現れ、私たちの自宅に招来するのです。何故、お正月には、門松をたてるのか、輪飾りや鏡餅を飾るのか。そのすべては、この大歳神さまを自宅に迎え入れるために飾ります。年末の大掃除も不潔なところに神様はいらっしゃらないので、自宅を綺麗にするのです。
 
でも、最近では、そうした意味は殆ど忘れられてしまいました。何故なら、最近では、元旦に初詣に行かれる方ってスゴく多いですよね。でも、一日は、大歳神さまを自宅に迎えるため、不在するなんて恐れ多いことなんです。そのため、本来は、初詣は一日を外して、二日以降に参拝されるのが流儀なのですが、多分、殆どの方がご存じないと思います。今年は少しそのあたりに注視して、日本人らしいお正月というのを体験してみては如何でしょうか。

 

『神社ツーリズム』発刊!! 東條英利氏連載コラム  no.17

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 『神社ツーリズム』発刊!!

東條英利氏連載コラム  no.17
 
 
 おかげさまで、 9 25 日を以て、私の第二著書「神社ツーリズム」が扶桑社より出版されました。これは去年の処女作「日本人の証明」(学研)から数えて、約一年半ぶり。前著が私の人生 40 年の集大成とするならば、今回は、私が神社専門のポータルサイト「神社人」を起案してから現在に至るまでのおよそ 4 年半の集大成となります。ともに、ルーツを巡るという点では同じ構造を取っておりますが、今回は、ダイレクトに「神社・神道」にフォーカスを絞り、日本の魅力、ユニークさを語っております。
 
中には、「神社・神道」って聞くと、それって「宗教でしょ?」と言って、安易に敬遠されてしまう方もいるかもしれませんが、これは、そんな単純な話ではありません。例えば、これを返す刀で、「それでは、神道の教え、教典とは何ですか?」と聞いても誰も答えられないことと無縁ではありません。何故なら、神道には、そもそも宗教として必要な教えというものが存在しないからです。
 
これを裏付けるかの如く、来春、大いなる試みがヨーロッパを舞台に行われます。というのも、サンマリノ共和国という純正のキリスト教国に本格的な神社が出来ます。これは非常に驚くべきことで、この考えの根底にあるのも、神社・神道は宗教にあらず、ライフ・スタイルである、という考えに基づいているのです。
 
ただ世界で、こうした評価が進む一方、国内では、未だにその正確な理解には至っておりません。それは、先の通り、「宗教」というレッテルを求めてしまうことも同様。しかし、「宗教」という一言を取ってみても、そこには意外な背景があることも知られておりません。この「宗教」という言葉は、実は明治以降の近代に迎えられました。そう、元々、「宗教」という言葉はなかったのです。では、何故、国内でもこうした表現が流布されたのか。それは、「 Religion 」という単語が輸入されたからです。そう、外来宗教の存在があってこそ、迎えられた言葉である以上、神社・神道がこうした概念にそぐわないのはまさに、この歴史の変遷を踏まえていくだけでも、おおよそ理解できるものでもあるのです。
 
特定の神もなく、教えもない、そのあまりにシンプルな姿であるからこそ、日本人の持つ独特の精神文化と深く関わっている日本の神道。そういう意味では、本著は宗教本では決してありません。あくまで、私たち自身の文化の原点を知るための教養本であり、この私たちが生まれ育った国を徹底的に楽しむためのガイド本でもある。そう思っています。若い学生諸君だからこそ、知ってもらいたい。この知られざる魅力的な世界を

 

大人女子のわがままをかなえるピンクの本

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大人女子のわがままをかなえるピンクの本


監修:東條英利氏 発行:マガジンハウス


私たちが住んでいる東京。果たして、どのくらいの神社があるかご存知でしょうか。実は、私が企画/運営する「神社人」も、東京都の神社データベースは完成しておりまして、その数、ざっと2,317社にも上ります。更に、そこから23区内を見ただけでも、1,309社と、意外なほど神社が多いことに気付かされます。でも、その自覚はあまりないですよね?ということで、9月13日、私が監修を務めさせて頂いた神社本が、マガジンハウス社より発売されました。その名も「大人女子のわがままをかなえるご利益別ピンポイント神社」(笑)。ピンクの表紙をしたド派手な雑誌です。

今回、首都圏版ということで、東京を中心とした関東近県より100社ほどの神社を掲載させて頂いたのですが、実は、これだけの神社数を載せた神社本って、意外と少ないんです。最近は、多少のパワースポット・ブームも手伝って、神社に関する雑誌、書籍もよく見られるようになりましたが、その多くは、有名どころの神社が多く、更には、お寺なども含んだりしてますので、意外と神社単体のボリュームって多くないんです。でも、冒頭に上げました通り、東京都内だけでも相当の神社がある。勿論、中には、祠程度の非常に小さなものも多数含みますが、それにしても、かなりの神社がこの日本全国には散らばっているのは事実なんですよね。だから、少しでも多くの方に、より多くの神社に触れて頂きたい、そんな想いもあって、私も今回、同書の企画に参加させて頂きました。

そして、神社でよく聞くご利益のお話。実は、こうした側面ひとつとってみても、そこには、そう言われる理由があります。今回は、設定がかなり細かくて、多少の難儀はありましたが、先ず、私たちの身近な、意外なところに、こんな文化スポットが存在する。そんな感覚に触れて頂けるだけでもありがたいものだと思っております。皆さんの知らない日本の一面がもしかしたら、ここにあるかもしれませんよ。
 

日本のお盆について

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神社人カルチャーセミナー NO.5

日本のお盆について

 

8月は多くの方にとっても、盆休みといった形で、実家に帰省される方も多いかと思いますが、実際、この盆行事に対する理解はどの程度ありますでしょうか。多分、多くの方が、先祖供養と墓参りといった理解とその心象から盆行事は、完全な仏教行事かと思っている方が大半かと思います。

 

でも、元々、この先祖供養という発想は、仏教とは無関係なんですね。何故なら、仏教とは、本来、お釈迦様の教えを説いたものであり、元々、人が輪廻から解脱する悟りの境地、ある意味、自己の生き方を示したものであって、先祖供養とは無縁のものになるからです。それでは、何故、日本の盆行事は、仏教として認知されるようになったのでしょうか。

 

実は、この先祖供養という発想は、神道の祖霊祭祀というご先祖さまを祀る行為に始まっております。神道が唯一教義として上げる「敬神崇祖(けいしんすうそ)」という考えも、すべての神さまとご祖先さまに尊崇の念を抱きましょうという、まさにご先祖さまを尊ぶ考えを示したものになるのです。

 

確かに、盆行事の「盆」という言葉は、仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という仏教行事に基づきます。しかし、当初の盂蘭盆会とは、今のような先祖供養ではなく、僧侶供養が中心であったと言われているのです。

 

それが、江戸時代に入ると、幕府は、檀家制度を施行し、国民は、寺院の檀家に登録しなければ、旅行をすることも就職することも許しませんでした。そんな仏教中心社会が形成される中で、幕府は、先祖供養までも仏式で行うよう強要していったのです。そうした過程の中で、神道の祖霊祭祀と仏教の盂蘭盆会が習合し、現在のご先祖さまを供養するというスタイルが確立されていったんですね。そうです、この盆行事、先祖供養という発想は、実は、我が国が独自発展させた、まさに神仏混合スタイルというわけなんですね。ですので、実は、先祖供養がすべての仏教国で行われているわけではないんですね。


(神社人運営者 株式会社カルチャージ代表 東條英利 )


 

東條英利氏・・1972年生まれ埼玉県出身、株式會社カルチャージ代表取締役。東條英機の直系曾孫にて、第18代目当主。日本独自の社会公益事業モデルを 模索し、神社並びに神道の存在に着目。神社を通じたカルチャー・ツーリズムを提唱し、新たな地域コミュニティと文化エンターテイメントの再生を目指してい る。

 

日本人にとって『式年遷宮』の意味するものは? 東條英利氏連載コラム no.15

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日本人にとって『式年遷宮』の意味するものは?

東條英利氏連載コラム no.15


今年は神社業界にとって、非常に重要な年と言われています。というのも伊勢神宮と出雲大社という神社界の中でもとりわけ重要視されている両社が共に遷宮を迎えるからです。

伊勢の神宮では、これを『式年遷宮』と呼び、その意味は、読んで字の如く「式年」つまり、「定められた年」に、「遷宮」、「お宮(本殿)を移す」ことになります。こちらは、おおよそ20年つき一度行われることになっておりますが、同様、出雲大社でも、平成の大遷宮と呼ばれる「本殿遷座祭」が行われ、こちらは60年ぶりとなります。そんな両社の遷宮が同じ年に迎えるのは、実は史上初めてのことなのではないかと言われているのです。これは多くの日本人にとって、ある意味、貴重な瞬間に立ち会っていると言える訳です。

では、そんな遷宮は何故行われるのでしょうか。実は、この理由は、はっきりとは分かっておりません。一般的には、遷宮をすることで、そのお宮の建築技法、技術を継承させることにあると言います。確かに、年々、宮大工の数は、その需要の低さから激減しているとも言われておりますので、そういった点では、確かに、必要な存在と言えるでしょう。

ただし、伊勢の神宮に関しては、その理由は諸説ありまして、中には、お宮の鮮度を保持するためにあえて行っているという指摘もあります。これは、神宮の本殿が、柱に礎石を使わず直接柱を埋めていることが、わざと耐用年数を低くするための知恵と考えられており、20年後の式年遷宮に備えるという点においては確かに有効と言えるのかもしれません。

他にも、三元九運と呼ばれる気の流れから算定される暦が、20年に一度という指摘や崇敬者に遷宮という負荷をかけることで、崇敬者の信仰意識を高くつなぎ止めるといった心理学的根拠が上げられることもあります。確かに、最後のものは一見怪しくも見えますが、遷宮に莫大な資金が必要となるのは周知の通りで、とりわけ、伊勢の神宮においては、今回の予算は、総工費550億円以上にも上ると言われております。これは、神宮そのものが、125社から構成されており、その全てが遷座することを思えば、相応の予算が必要となることは分かると思います。神宮の式年遷宮は、10月2日。機会がありましたら、是非、今年は両社に参拝してみて下さい。日本人として大切な何かが分かるかもしれませんよ。

「モッタイナイ」の精神に立ち返ろう!!

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神社人カルチャーセミナー NO.4

「モッタイナイ」の精神に立ち返ろう!!

ここ数年で最も世界的に浸透した日本語の一つに「モッタイナイ」という言葉があります。多分、殆んどの日本人が何度も耳にしてきた言葉ではありますが、実は、これ、日本人特有の発想と言われます。欧米で、「Mottainai」という単語が誕生したのも、ある意味、欧米にそういった発想がなかったことに始まります。

往古、日本には、「甕(もたい)」という名字があったと言います。これは、当初、「酒を入れる器」を意味し、次第に、この器を作る専門職たちを、「甕(もたい)」と呼ぶようになったと言います。酒は、今も昔も、神さまに供える大事な捧げものの一つで、酒の器も当然のことながら、欠かすことは許されません。この為、「酒の器が不足する」ことは、神に対する非礼、不届きな行いであるとされ、その時に生まれたのが、「甕(もたい)ない=神さまに失礼である」という考えと聞きます。

この由来の真偽は、はっきりとは分かりませんが、少なくとも、神道には、万物の中すべてにおいて、神霊を拝するという考えがありました(依り代という考え方)。これは、ある意味、偶像崇拝を求めた海外宗教との大きな違いの一つとなりますが、往古では、多くの日本人は、森羅万象全てに対し、畏敬の念を感じていたのです。その思想観の根底にある部分が、この「モッタイナイ」という発想に大きく影響していることは間違いないと言われています。

中には、これを「勿体ない」と書く場合もありますが、これは、和製漢語「勿体」がないという意味で使用されます。この時の「勿体」とは、「重々しさ」や「威厳」を表すため、「自分には不相応なものである」という意味で使われます。このため、厳密には、この本来の「モッタイナイ」という言葉の響きとは、少々意味が異なるのですが、日本人が、自らの立場をわきまえ、相手を尊重する考えは、こうした言葉の節々から同様に感じ取ることができます。日本人は、世界的にもユニークな存在なんです。

(神社人運営者 株式会社カルチャージ代表 東條英利 )


 

東條英利氏・・1972年生まれ埼玉県出身、株式會社カルチャージ代表取締役。東條英機の直系曾孫にて、第18代目当主。日本独自の社会公益事業モデルを 模索し、神社並びに神道の存在に着目。神社を通じたカルチャー・ツーリズムを提唱し、新たな地域コミュニティと文化エンターテイメントの再生を目指してい る。
 

1. 本当の教養とは? 日本を知ること

2010年11月30日(火) 14:59 JST - 記事

2. 2:建国記念日の意味って?
2011年1月26日(水) 20:37 JST - 記事

3. 3:危機を乗り越えたところに大きな飛躍がある
2011年3月28日(月) 21:54 JST - 記事

4. 「モッタイナイ」の精神に立ち返ろう!!
2011年5月29日(日) 17:44 JST - 記事

5. 日本のお盆について
2011年7月30日(土) 23:33 JST - 記事

 6. 大人女子のわがままをかなえるピンクの本
2011年10月 3日(月) 09:43 JST - 記事

日本のお正月の文化的ルーツとは?

8. 和太鼓を通じて草食系男子の根性を叩き直す?
2012年1月25日(水) 23:24 JST - 記事

9:『日本人の証明』を出版して 

10 日本人の証明を出版して NO2 東條英利氏連載コラム NO.11

11  日本人にとって『働く』とは?  東條英利氏連載コラム NO.12

12 感性の鋭かった先人達の知恵に学ぶ   東條英利氏連載コラム NO.13

13   日本語の不思議  表意文字と表音文字 東條英利氏連載コラム no.14

14   日本人にとって『式年遷宮』の意味するものは? 東條英利氏連載コラム no.15

15   グローバルな社会で必要とされる教養とは? 東條英利氏連載コラム  NO.16

16 『神社ツーリズム』発刊!! 東條英利氏連載コラム  no.17

日本語の不思議  表意文字と表音文字 東條英利氏連載コラム no.14

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日本語の不思議  表意文字と表音文字



東條英利氏連載コラム no.14

今回は、日本人のユニークさの真意というものを文字という言語面からみていこう。実は、どの世界を見ても、言語を示す文字というのは、基本、一種類しかない。しかし、こと日本人に限っては、ひらがな、カタカナ、漢字という三種類の文字を使い分けている。中には、ローマ字と数字を加えて五種類だ!という方もいるが、実は、日本では、言語を記すために、複数の文字を使い分ける希有な国民であるのだ。

ただ、特筆すべきは、単にその種類が多いというだけの話ではない。実は、日本人は大別して二種類の文字を同時に使い分けている。それが、ひらがなを代表とする表音文字と漢字を代表とする表意文字である。漢字は、その一字一字にその意味を象ったイメージというものがある。昔、とある人材研修で、粘土を使って、感情を表現してください、というものがあったが、当然、そんな漠然したものを表現する場合、その作品は、その意味を象ったものとなる。そのため、漢字はその物事の真意を反映していることが多い。

例えば、「我」という字。これは、一見、自分を意味している漢字だと安易に理解しがちだが、この字の意味するところは思いのほか深い。実は、この「我」という字は、ギザギザした、のこぎりのような刃物と矛という武具が掛け合わさった字となる。つまり、強力な武器であると同時に、危ないものを意味するのだ。実際、「我を出す」ということは、自分を誇示する場合に使われるが、反面、「我を捨てる」といえば、それは、「我」の持つ危険性を意味するところにもなる。単純に、一人称として捉えがちの字も、その意味するところは、非常に深いものなのである。

対して、表音文字は、音を意味する。その字自体に深い意味はない。以前、中国のネットニュースで、日本にノーベル化学賞が多く、中国に取れない理由をこの文字の差とみる面白い意見がみられた。どうやら理数系の事象は、単純に数値や規則を事象として捉えるため、表意文字だとその字に対する固定観念が邪魔立てし、演算的想像力の障害になるというのだ。だから、この場合においては、表音文字の方が適しているという。

しかし、日本人は、この両者の特徴を踏まえながら、ひとつの言語として併用している。その思考は柔軟であり、複雑な表現に対応できる順応性を示しているのだ。日本人の高い順応性は、もしかしたら、こうした言語脳という観点からも証明できるのかもしれない。日本人は世界でも希有な国民であると。

3:危機を乗り越えたところに大きな飛躍がある

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3:危機を乗り越えたところに大きな飛躍がある


3月11日、東北地方を中心とした東日本が大地震に襲われました。既に、多くの方々が体験された通りですが、こんな困難な状況の中でも、世界では、日本人の勤勉さを称える報道が相次いでいます。ある報道でも、帰国難民と化した会社員が疲労で階段に座り込みながらも、階段の中央を開ける配慮を示していることに、驚いていたといいます。ある意味、日本人気質の素晴らしさというものが、こうした形で、国外に発信されたのは、何とも皮肉な話ではありますが、それでも、やはり思うのは、日本人は協調性の高い、粘り強い国民ということです。そして、それこそが、日本人本来の持つ強さということです。

元々、日本人は農耕民族でした。それは、江戸時代まで人口の8割近くが農民であったことからも伺え、その影響は、私たち日々の生活至るところに垣間みることが出来ます。例えば、日本の祝日。春分の日、秋分の日は元より、元日、子供の日、勤労感謝の日も、元々、五穀豊穣を祀る神道祭事に始まっています。日本では祝日を祝祭日、祭祀を行う日と言っているのもこのためです。敬老の日も、高齢者の知恵を借りようと農閑期に合わせて、その日取りを決めるなど、まさに、日本人の生活習慣の土台には農業がありました。そして、そこに、古代宗教観たる神道のコンセプトが組合わさったため、先にも挙げた世界有数の日本人気質が誕生したのです。これは、神道だけでも、農業だけでも成り立ちません。この両者が組み合わさってこそ、初めて機能するものになるのです。それは、単純に多くの途上国が、未だ第一次産業に従事しながらも、日本とは異なる国民性を有していることからも伺えます。

そして、これこそが、まさに日本人であり、協調性、忍耐強さを合わせ持つ所以なのです。残念ながら、今回の震災では、多くの被災者を生みました。それでも、こうした日本人の頑強な精神を呼び起こせば、必ず再興できる筈です。Japan as only one
 

2:建国記念日の意味って?

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建国記念日の意味って?

《神社文化を通して日本を知ろう 1》

今月2月には、建国記念日がありますね。ところで皆さんは、日本の建国は何をもって建国としているのかご存知でしょうか。実は、この事実、ほとんど知られておりません。私もよく講演で、「日本人は日本のことを意外と知らない」という意味で、この建国記念日の意味を尋ねておりますが、実体感としては、8割以上の方がこの質問に答えられません。仮に何らかしらの返答をしたとしても、多くは、それを明治か、戦後といった近代のことと誤認しております。そうです、今や日本人の多くは、その基本とも言える国家の創始について、何ら知らないのです。しかし、国家の創始を知らないというのは、世界の常識で言えば、とりわけ異質なことなのです。

日本の建国記念日は、別名、紀元節(きげんせつ)と言い、その紀元とは、初代天皇である神武天皇の即位に始まります。これを建国年代で言えば、今年は、2671年を迎え、この年数は、世界でも最古と呼ばれるものになります。日本に次いで古い国家は、約1100年のデンマーク、続く約900年のイギリスと、その古さは歴然です。中には、中国やエジプトの古さをご指摘する方もいらっしゃると思いますが、これは、単純な歴史の長さを語っているのではなく、あくまで国家年代です。天皇を国家元首として、国の統一を堅持してきた体制そのものになります。そして、これは、皇統譜と呼ばれるひとつの系図をもって、125代にわたり連綿と引き継がれたことにその最大の価値があるのです。

これは、世界的にみても正に生ける神話そのもので、日本の皇室は、世界の王室、国家から多大なる尊敬を集め、その価値は日本人以上に熟知されています(日本人の方がその価値を知らないという訳ですね)。そのため、日本という国を尋ねられたら、「世界最古の国」と答えるというのは、実は非常に明快なロジックになるのです。そして、それを以て国の創始として私たち日本人は、祝日を迎えているというわけです。

誰もがいつまでも安心して暮らせるコミュニテイーを目指して!!

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厚生労働省発表の2014年の認知症患者は全国推定患者数462万人、2025年には、700万人を超えるとも言われているが、その対応策は、未だに十分とはいえない。
https://info.ninchisho.net/archives/2666


現状の介護の体制は大規模な介護施設が中心で、ひとり一人に十分なケアを行うことは現実的に困難だ。また、介護スタッフも重労働の割には、待遇がいいとはいえない。『認知症と付き合う』のが精一杯で、『認知症の改善』に役に立っているという充実感を味わうことが難しい状況も介護スタッフのモチベーションが上がらない原因のひとつとになっている。


今回は、その状況に一石を投じようと認知症介護の現状の問題の解決すべく、スタートした新たな取り組みを紹介しよう。

心の通った介護サービスを目指して

看護師の経験もある田口アキ子さんは、地元の奈良県桜井市に、住まいの日本家屋を改造し、近所の人たちが気軽に立ち寄れる新しいタイプの『小規模多機能介護施設 ‘より愛どころ ありがとう’』をオープンした。一般の家屋と変わらない雰囲気の中、通いでも、毎回なじみのスタッフから、介護のサービスを受けられるなど、希望者のニーズに合わせた介護が好評だ。

3ヶ月で効果が現れる認知症改善プログラム

田口さんは、義理の両親を介護した経験から、介護をする上で大切なことは、『介護者が、1対1で認知症と向き合い、あきらめなければ認知症は、回復する』という信念を持つことだという。

3か月で効果が現れるという『PMAT認知症改善プログラム』と出会い、スタッフ全員で取り組んでいる。このプログラムは、20年にわたる試行錯誤から開発されたもので、海外、特に、中国や台湾ではNHK WORLDなどでも大きく取り上げられ大きな反響を呼んでいる。


患者と指導者が1対1になり、まずは温熱マットで手足や体を刺激する。そして、様々な器具を使った運動をゲーム感覚で繰り返す。少しでも、うまく出来るようになると患者も指導者といっしょになって、楽しく運動を繰り返す。3ヶ月程度で劇的な効果が現れることがこのプログラムの大きな特徴だ。
介護保険のない中国や台湾では、認知症の治療に時間を掛けられないので、短期間で改善が見られるこのプログラムは地域をあげて取り組まれている。日本に多い大規模な介護施設では、患者と指導者が1対1で行うこのプログラムは導入が難しいが、‘より愛どころ ありがとう’のような小規模の施設なら導入が十分に可能だ。

認知症の改善が、介護者の大きなやりがいに!!


また、この成果の上がるプログラムは、介護にあたるスタッフにも、症状の改善に貢献が出来るという『やりがい』を提供できる。これが、大変大切なことだと田口さんはいう。介護のつらいところは、症状を改善するという取り組みより、とりあえず、日々の業務をこなすことに精一杯になってしまうことにある。


このようなプログラムを利用することにより、介護の仕事にあらたなやりがいを見つけることが出来るようになり、介護に喜びを見出すことすら出来ると、田口さんはいう。


また、この施設では、地域の人たちと入所者の高齢者が、菜の花の栽培を通して交流したり、近隣の小学校と連携して、子供たちが高齢者の人たちと触れ合う機会も提供している。
田口さんの理想は、認知症高齢者を隔離するのではなく、地域の人たちと関わることで、高齢者が生きる楽しみを感じる体験を提供することだ。


身近な『小規模多機能介護施設』の必要性が叫ばれて久しいが、まだまだ成功例は数少ない。この‘より愛どころ ありがとう’の試みは、多くの事業者のモデルとなっていくであろう。経済的にはまだまだ厳しいところもあるが、薬を処方するより、『PMAT認知症改善プログラム』などの効果のあるプログラム中心の認知症医療に変換することにより、将来の認知症患者の増加にも対応できるのではないか?

『家族』の概念が変わりつつある日本社会で、小規模多機能介護施設を中心とした、『思いやりの身近な地域コミュニティー』が復活することを願っている。


『食と健康』に考えるためのレストランもオープン予定

認知症に効果があるといわれているヴァージン・ココナッツオイルや、溶存水素を多く含み、腸内環境を改善するといわれている『創生水』を使って、『体が喜ぶ・無農薬野菜を調理して、本当の野菜のおいしさを感じてもらいたいという。食に関する知識は、認知症を予防する上でも大変重要な知識だ。