2024/04/27 02:51
みんなの生活
生活文化の背後にあるもの
生活文化の背後にあるもの
多文化家庭支援センターから no.16
多くの国際結婚のカウンセリングをしている中で良き聞く言葉が「どうして日本にはよくわからない色々な決まりごとがあるのかと、夫や姑に聞いても、なかなか納得のいく答えが返ってこないということです。
それが文化の違いと言ってしまえばそれまでなのですが,多くの外国の人にとっては『これが日本人の考え方だから』だけでは中々理解出来ません。
この夏、恒例のファミリーキャンプがあり、90人ほどの国際結婚家庭が集まりました。その中で,大人の懇談会を持った時におもしろい発言がありました。
「うちの奥さんはモンゴル人で乾燥した国から来ているから、高温多湿の日本の環境が良く分かっていないんですよ。何度言っても残飯を台所の流し台におきっぱなしにしていると、うちの母親が愚痴をこぼしていました。モンゴルと違って,特に今年の夏なんか、一日ですぐにカビが生えますからね。」
これを聞いたとき長年答えられなかった悩み相談の回答が、一気に与えられたような気持ちになりました。
日本の夏は湿気が多くて、フィリピンやアフリカの人でさえ過酷だというほどです。ですから雑菌の繁殖速度も速く、すぐに匂いやカビが発生するので、出来るだけこまめに掃除をしたり、清潔に保つ習性が日本人の中に染み付くようになったのでしょう。
かつて世界中を震撼させ、あれだけ菌の繁殖速度が速いと言われたサーズ菌もついに日本にだけは上陸できなかったという事で、世界のメデイアが日本の生活衛生の取材に来た事がありました。デパートのエレベーターガールやタクシーの運転手さんが、清潔を保つために手袋をはめていたり、冬には風邪予防のマスクをした人たちが町中にあふれ、また学校における手洗い励行も目を見張るものがあると驚きのレポートをしていました。日本では何でもない事でもその徹底ぶりは外国人からしてみると異常だと言うのです。
また、人であふれかえる大都市近郊の駅のプラットホームに秩序正しく列を作る様子にも目を見張るものがあります。最近は変わったと言われながらも、日本人のこの集団行動、行儀の良さは見事です。多くの国ではハンバーグ屋さんの前できちんと列を作って並ぶなどあり得ません。まだまだ、集団秩序に社会が重きを置かない国もたくさんある中で、日本のこの秩序整然とした文化は世界の中でも異質に映るのでしょう。
今回の3.11の大震災で、日本社会の秩序がどれほど世界の注目を浴びたかは記憶に新しいと思います。今回の大震災を通して、私達は日本という国が過去において地震や津波に襲われても,それに備える訓練や心構えを後孫に残すべく言い伝えて来たかを気がつかされました。運動会や卒業式の整列行動も学校訓練のような形になって受け継がれているのもそうでしょう。元々は災害時の避難対策の教えの一環だったのではないかと思います。
意味もない慣習や決まり事だと思っていた事が、実は自然環境や気候、地震災害などの歴史的体験から生まれていて,現代人にもその意味がはっきりとは認識されていないものがたくさんあるでしょう。
よその国から来た人たちに日本人はどうしてこんな事をするのか?
と聞かれたときに、その歴史性や先人達の知恵について語れるような日本人でありたいと思います。。
多文化家庭支援センター 事務局長 エインズワース千明
総合週報の発行人 貝龍社長
総合週報の発行人 貝龍社長です。経営している中華料理店で国際紅白歌合戦のポスターも貼ってくださいました。当日は記者の方が、取材にも来ていただける予定。
とても有意義なイベントだと賛同してくれました。
総合週報は在日中国人なら誰でも知っている
15年前より発刊されている中国語の新聞です。http://www.lhtv.jp/
酒菜麺館 酔宴
とても良心的な値段の学生でも入りやすいお店です。
最寄り駅 高田馬場 刀削麺がお奨め!!
http://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13137516/dtlrvwlst/3987982/
3年目を迎えるJPM留学生インターンシップ
3年目を迎えるJPM留学生インターンシップ
7月7日、(財)日本賃貸住宅管理協会(JPM)・国際交流研究会は、この夏インターンを行う留学生と留学生受入れ企業の為の合同研修会を都内にて開催した。3回目になる今回は、京都、宮城、熊本からも学生や受け入れ企業の担当者が参加した。
一昨年より始まったこのインターンシップ制度は、日本で初めて業界団体が中心になり留学生の受け入れをした極めて珍しいケースだ。
インターンシップの研修会は通常は、インターンをする学生だけで行われるのが大半だ。しかし、あえて、受け入れ企業の人たちにも参加してもらっているのには、理由がある。受け入れ企業の担当者の大半は、留学生と触れ合う機会が限られている。まず、この研修では、お互いをよく知ろうとペアワークに力を入れている。お互いが知るきっかけになる10程度の用意された質問を尋ねながら、お互いを理解する。
そして、研修の最後は、それぞれのペアで決意表明をしてもらうが、研修の終盤には、4週間だが一緒に活動する仲間としての連帯が芽生えとてもいい雰囲気になっている。それは、留学生たちの日本でがんばりたいという真摯な気持ちと、その気持ちに答え、外国人の入居に真剣に取り組もうという受け入れ企業の人たちの思いがひとつになっているからだと思う。
この新鮮な出会いが、外国人の入居の問題解決のきっかけになればと節に願っている。実際のインターンシップは7月下旬からの受入れを皮切りに、各社で9月までの4週間を予定。終了後、10月には修了報告会を開催する。(留学生インターンシップサポート担当:グローバルコミュニティー宮崎計実)
グローバル時代の不動産業とは
JPM留学生インターンシップの不動産講座として、日管協の国際交流研究会の荻野会長が、『グローバル時代の不動産業とは』と題して、日本の教育機関での不動産に関する教育の必要性について話した。不動産を総合的に学べる高等教育機関は、日本には数箇所しかない。一方、他の先進国では、大学をはじめ多くの教育機関で不動産のスペシャリストの養成機関がある。資産形成の観点からも不動産の知識は大変重要視され、社会的な地位も高い。日本とは、ここが大きな違いだ。今後は、色々な教育機関と協力しながら、不動産業の魅力を若い人たちに伝えて行きたいと講義を締めくくった。
3.11 後の多文化家族 --未来を拓く人びと
3.11 後の多文化家族 --未来を拓く人びと
3.11 の震災から1 年が経ったが、被災地では、日本人同様に外国人の生活者も被災した。彼らが何を感じ、またどのような行動をとったのか?中には祖国を追われ難民として日本で生活しながらも、自分達も日本の社会の一員だとボランテイア活動をした人たちもいる。また、多くの在日外国人が、地元 の コミュニティーの為に立ち上がり、当たり前のように復興の手助けをしていた。そこにはすでに、外国人、日本人の境は存在していない。すでに日本社会に溶け込み立派に生活をしている。この震災を機に、改めて、今後の外国人政策を考えてみたい。特別な人が関わる問題ではなく、日本人誰でもが関心を持って取り組むようになれば、超高齢化社会への対応の糸口も見つかるかもしれない。
第1 章 被災地市民の歴史──陸前高田市と大船渡市の「過去」「現在」「未来」(金澤宏明)
陸前高田市の人々──そこに街があった、生活があった
陸前高田市と大船渡市に住む外国人──日本の家族と母国の家族の心
第2 章 変わる被災地いわき市のコミュニティ──絆をどう紡ぐか(荻野政男)
引き裂かれた家族とコミュニティ
絆を紡ぐ住まい方とコミュニティ
共に生きるため、いま自分たちにできることは……
第3 章 多文化家族を感じる──在日ブラジル人の思い(リリアン・テルミ・ハタノ)
在日ブラジル人の置かれた状況
3 ・11 後のブラジル人コミュニティの動向
多民族共生社会への希望
○コラム
1 「困っている人がいたら、助けるのはあたりまえ」(チョウ・チョウ・ソー)
2 生まれてくる赤ちゃんと家族の絆──帰国の決意(李賢珠)
第4 章 家族とつながる──日本人学生や留学生のアンケートより(荒井幸康)
学生たちの「つながる」までの状況
「つながる」ことに関して
留学生たち
第5 章 県営いちょう団地にみる多文化家族の動き──トランスナショナルなコミュニティ(長谷部美佳)
「トランスナショナルなコミュニティ」とは何か
いちょう団地の三月一一日
帰国ラッシュ
残った人たち
ホスト社会とのつながりと家族の絆
第6 章 外国人妻の被災地支援──被災地の民族誌に向けた一素描(李仁子)
震災直後の混乱
NPO としての支援活動
被災者とのふれあい
外国人妻から地域住民へ
マッサージによる支援活動
国際間移住者の葛藤
命がけの被災者支援
コミュニティと部外者
第7 章 多文化家族の課題と可能性(武田里子)
農村に暮らす多文化家族
スニチャさん(仮名)とその子どもたち
浮かび上がる課題と可能性
第8 章 多文化「共育」の視点からみる──韓国人多文化家族のケアの情景(李◆鉉:◆=[土乎])
多文化家族にみえる子育ての「思い」と協働
ボランティア活動を通して築く「絆」
共同体にみえる「家族」の様相
○コラム
3 韓国における結婚移民者の急増と「多文化家族支援法」(李賢珠)
第9 章 多文化空間の人口移動分析──震災ショックが日本社会にもたらしたもの(郭潔蓉)
外国人の出入国状況から見る震災後の影響
国内の人口移動から見る震災後の変化
日本再考
第10 章 未来を拓く多文化家族(川村千鶴子)
人びとの「間」
グローバル・ケア・スケープ
愛他精神と多文化空間
社会の分断と多文化家族
異国で遭遇する大災害
対話的能動性と被災地での行動力
情報の共有
変容する多文化家族
幸福な未来に向けて
あとがき(川村千鶴子)
執筆者プロフィール
京都 まちなか交通・観光案内所
京都 まちなか交通・観光案内所
四条河原町から徒歩 2分
昨年の7 月に、待望の観光・交通案内所が、東京の街のど真ん中にオープンした。
1ヶ月 7000名の人たちが訪れる案内所は、来客が途切れることはない。
小さなスペースだが、京都のお奨めのお店の情報や、お得な旬な街歩きや ツアー情報にもめぐり合える。特徴は、ベテランのボランテイアガイドや日本語学校のスタッフなども手伝いながら、英語・中国語でも生の 情報を提供しているところだ。
四条河原町は、東京で言えば、渋谷のスクランブル交差点のような人通りの一番多いところ。東京にも、多言語の観光案内所が街のど真ん中にあれば、外国人観光客も助かり、『観光立国』のキャンペーンのいい PRにはなるのではないかと思った。( グローバルコミュニティー 宮崎計実)
http://www.kyoto-lab.jp/llc/annaisho/index.html
日本一日本らしいロケーションの日本語学校
新撰組の本拠地前に日本らしい
新しいコンセプトの日本語学校が登場 !!
京都壬生寺近くにある日本語学校、『活学書院』 は、四条大宮駅からすぐの便利な立地にあるにも関わらず大変静かなたたずまいだ。
元々は、企業の研修所だったという建物は、簡単なイベントも出来る大きなロビー、日本庭園、和室なども揃っている旅館のようなたたずまい。
また、中国語教室も併設しており、中国語を学ぶ日本人と留学生との交流の場としても活用される予定との事。
活学書院の専務理事の蔡龍日氏( 左)は、人材紹介会社の経営者も勤め、学生達の就職についても相談にのる体制が出来ている。日本人との交流、就職相談と日本に来る留学生の生活面でのサポートも充実している『活学書院』
京都で日本語を学びたい学生さんにはお奨めの学校だ。
詳しくは、 活学書院の公式ホームページ をご覧ください
航空券を買わずに世界中に友達を作る
ゲストハウスの入居促進の営業職
ゲストハウスの入居促進の営業職
4ヶ月の試用期間ですが、その後は、1年間の有期雇用契約を結びます。
日本語、韓国語、中国語が、出来る人を募集
給与 月額 22万円 9時〜19時 週休2日 祝日も基本出勤ですが、実質ローテーション
1月〜4月末は、祝日も全員出社です。 年齢は25〜35歳30位まで
残業は、40時間込みの給与体制。
家賃は、4ヶ月実質試用期間は2万円で、おそらく船橋のシェアハウスの管理人室
に住み込んで貰い、その後、実績伴えば、1万円の家賃となります。いわゆる初期費用等
は、一切、徴収しません。社会保険は全て完備。同業大手と比較しても悪くありません。
ご興味のある方は、
グローバルコミュニティー 宮崎まで写真付き履歴書をメールでお送りください。
問い合わせ:070-5653-1493 globalcommunity21@gmail.com
英語落語 NO3 English Rakugo
英語落語の魅力 3
鹿鳴家英楽
今回は明治時代に活躍したイギリス人落語家、快楽亭ブラック(1858-1923)のことをとりあげたい。
ブラックは英語でなく、日本語で落語を演じていたので、英語落語の範疇に入る人ではないが、文化を越えて表現しようとした点では英語落語に通ずるものがあり、外国人の前で英語落語をやる時、私は必ず快楽亭ブラックの話をするようにしている。
オーストラリアに生まれたブラックは父親の仕事の都合で6歳の時に来日した。落語や講談、歌舞伎など、日本文化に興味を持ち、やがて自分でも演じるようになった。さらに近代落語の開祖と言われる三遊亭円朝の影響もあり、創作を手掛けるようになった。代表作に「ビールの賭け飲み」があるが、これは後に「試し酒」に改作され、現在でも多くの落語家によって演じられている。
「ビールの賭け飲み」もそうだが、ブラックは西洋を背景にした話に日本人を登場させて物語を構成した。ちくま文庫から出ている「快楽亭ブラック集」には探偵小説が4編掲載されているが、それらも同様の手法で書き、お客さんの前で演じていた。
東芝EMIが2001年に出した10枚組のCD集「全集日本吹込み事始め」に、快楽亭ブラックの小品が7編録音されており、ブラック自身の肉声を聞くことができる。これは非常に貴重な記録だ。
残念ながら「ビールの賭け飲み」は全集に入っていないが、活字は残されているので、私はこれを英語に訳して、何度か演じている。
同じイギリス人で、やはり日本文化にのめり込んだラフカディオ・ハーンに比べて、ブラックの知名度は低い。私は英語落語を通して、快楽亭ブラックを日本とイギリス、そして彼が生まれたオーストラリアで紹介していきたいと思っている。